※大学生設定



思い返せば私はこの部屋に不満ばかりを持っていた。
散々憧れた一人暮らしの生活だっていうのに、親の仕送りと雀の涙程度のバイトの収入に頼る学生生活では大したアパートに住むことはできなかった。駅からは遠いし、ユニットバスは免れたけど足を抱えて入らなきゃいけないはどの小さい浴槽の申し訳程度のバスルームだった。壁は薄くて隣からの音がよく響いた。日当たりは良くなかったし、上の部屋の住人は夜中によく洗濯機をまわしていた。
一人暮らしをしたら部屋中自分のすきな雑貨で埋めて過ごそうでて決めていたのに、可愛い雑貨は高いから、必要最低限な日用品(しかも大抵は100円均一で賄われていた)だけしかない寂しい部屋になっていた。そんな私の部屋に比べて彼の部屋はとても広くて綺麗で、机からソファからまな板、包丁も全ておしゃれなものを使っていた。セキュリティもしっかりとしていたマンションで、私の部屋に置いたら大半がうまってしまうような大きくてふわふわなベッドがあった。私の部屋に来るたびに彼は私の部屋を馬鹿にするように笑った。そして私たちが付き合って4年目のいつかの日に、彼はこう言ったのだ。俺の家はひろいんだから、お前の一人や二人くらい(今思えばおかしな話だ、私一人しかいないじゃないか)全然一緒に住めんだよ。大学だって、俺の家の方が近いだろうし、冬が寒いんなら二人いりゃ温めあうことだってできる。そんな彼の甘い言葉に私が泣きそうになったのは、もう一ヶ月前のことだ。それなのに、随分と早く感じた。


「なんだよ、なにそんな顔してやがんだ」

「そんな顔って」

「変な顔」

「これが普通です」

「あん、そうだったか?」


彼は意地悪そうに笑った。ただでさえ空っぽに近かった部屋は本当に空っぽになってしまった。なにもなくなってしまえば、狭かったと感じていたこの部屋は思っていたよりも広く感じた。


「いまさら、いやだなんて言わせないぜ」

「ううん、違うよ、なんでそんなこというの」

「…んな顔してた」

「違うの、なんか、名残惜しくてね」


考えてみれば、駅からは遠いけど、そこまでの道は素敵な古本屋さんがある緑の気持ち良い小道が続いていたし、狭い浴槽に跡部と笑いながら無理矢理にふたりで入るのがすきだった。(跡部は散々文句を言いながらも一緒に入りたがるのだ)壁が薄いのは夜中に一人でも寂しいって気持ちを思いださせなかった。日当たりは良くなかったけどひとつ贅沢をして可愛いアジアン雑貨店で蓮の花の形のランプを置くと柔らかい光がそこにあった。上の部屋の人は同じ学生さんで、夜中にバイトをしてると遅くなってしまうらしく、夜中に洗濯機をまわしてしまうお詫びに実家から届く野菜を分けてくれたりした。私は寝る時の物音がそんなに気になるタイプじゃないかったし、同じ一人暮らしの学生同士として仲良くしてくれる人が近くにいてくれることに安心感を覚えていた。可愛い雑貨でいっぱいにすることはできなかったけど、跡部がなにかと買ってきては置いていく可愛くて、それ以上に大切なカップやクッションなどがあった。この部屋は、自分の理想とは違うことは多かったけれども、全部全部が大切だった。跡部と小さなベッドにふたりで縮こまってくっついて入るの
が大好きだった。

跡部はひと足先に部屋を出ていた。空っぽの部屋に一人残されて、日に焼けた壁紙を眺めていたら少し泣きそうになった。愛しい部屋にひとこと呟いた。


「さようなら、ありがとう」



ワンルームへの別れ


目の淵と鼻が赤くなったみっともない顔の私をみて跡部は少し笑って、頭を撫でてくれた。一緒に帰ろう。珍しく車を呼ばないで彼は私の手をとり歩き出した。見慣れた駅までの道を行く、彼のぶっきらぼうな優しさが目の奥に染みる。蝉の声が止んだ空気が冷えはじめた夕方に、彼の声はとてもあたたかいのだ。

20090902
20100613 加筆、修正
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