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慌ただしく変化していた空気も、ようやく落ち着きを見せ始めていた。脱出ポッドを使えばロケットから脱出できること、ヒュージマテリアも回収できること、そしてシドの熱い思いに、これから何をするべきかを今一度考えたこと。
図らずも宇宙へ飛び出してきてしまったが、結果的には皆を団結させ、士気を高めることとなった。
「そうと決まれば、ヒュージマテリアを回収して早いところ脱出しよう。奥の部屋にあるんだったな」
「お、おう……」
全員の足が、ヒュージマテリアの保管してあるという部屋に向けられたときになって、シドはどこかはっきりしない様子で頭を掻いている。
「今度はなんなんだ」
「いや……なーんかロックされてたような気がしてきたぜ」
「"ロックされてた"?」
「なんつーか、こう……かあーー! 口で言っても始まらねえ!」
シドが重厚な扉を開くと、狭い部屋の中央にはガラスケースが置かれており、中にはヒュージマテリアが入れられていた。どうやら彼が言っていたのは、このケースにロックが掛けられている、ということのようだった。
「そういうことか……」
「シド、パスワード知ってるの?」
「知るわけねえだろ」
マテリアを目前にして、ロックの解除という難関にぶつかってしまった。開閉ボタンのすぐ横には数字盤が置かれており、闇雲に入力していては到底開きそうもない。
「おいケット・シー、パスワード傍受できねえのか?」
「無理言わんとってくださいよ! ここ、宇宙ですよ? 無線機なんか使えませんって」
何の手掛かりも得られないまま、クラウドは数字盤に適当な数字を打ち込んだ。当然ロックが解除されることはなく、パスワード入力エラーです、との機械音声が虚しく流れた。
「数字は4桁か……シド、メテオに衝突するまであとどれくらいだ?」
「1時間もねえな、せいぜい40分か50分ってとこだろ」
一万通り近くもある数字の組み合わせを、全て試している時間はなさそうだった。こうなればもう、ヒュージマテリアを諦めて脱出する他ない。全員の命には代えられない。
「いや、待てよ……前にロケット村にパルマーの野郎が来た時、なあんか言ってた気がするな……」
「オッサンやるう! で、いくつなの?」
「……確か最後は3だった気がするんだけどよお」
「おい、ちゃんと思い出せ!」
頭を捻るシドに、はやくはやくと皆が急かしていた。彼の言う通りにクラウドが数字を入力し、あれこれと試しながら、パスワード入力エラーです、との音声を嫌という程聞いていた。
「……」
「……イリス?」
「……うっ、」
二人で部屋の入口付近に立って、皆を見守っていた。果たしてロックを解除できるのかと、焦る気持ちを抑えていた。
その時、突然息苦しさが襲い、思わず胸を押さえる。隣に立っている彼は異変に気付いたのか、組んでいた両手を解いてこちらを向いた。
「どうした、」
すかさず肩を抱かれるが、呼吸は乱れるばかりで、立っていることもままならない。視界が狭まり、床に膝を付いてうずくまる。
「っ……、は……」
「落ち着け」
空気が薄くなってしまったかのように、上手く呼吸ができない。額から汗が滲むのがわかる。床についた掌は感覚がなくなってゆく。
「大丈夫だ、少し経てば治まる」
このような症状は、これまでに何度も経験していた。その度に彼に背負われ、看病され、少し時間が経てば何事も無かったかのように回復もしていた。
彼もそのことを承知して、落ち着かせるように声を掛けてくれている。背中をゆっくりと撫でながら、倒れ込んでしまいそうな身体を支えている。
「……いつ、も……と……」
「……?」
いつもと違う。そう口に出そうにも、声にならないまま喉を掠めて空気に溶けてしまう。
確かに、息苦しさも、気持ち悪さも、頭痛も、これまでと同じ症状だった。倒れ込んでしまいそうなほどの目眩にも慣れたはずだった。
「うっ……、……」
それでも、"これ"はいつもとは違うと感覚的に察知していた。まるで思考を掻き乱されているような不快感が、絶えず襲ってくる。表面的な体調不良の下で、何か良くないことが身体に起こっている。
「私がついている」
身体を支えながら握られた手をひしと掴んで彼を見た。いつもの様に真っ直ぐな目で、力強く見つめている。そんな彼を見ても尚、胸に巣食っている恐怖は消えてはくれない。
まるで自分が自分でなくなるような、思考を何者かに奪われていくような感覚がしていた。今きちんと言葉を発することができないのは、呼吸の乱れではなく、思考を働かせることができていないからだと、そんな気さえする。
──人間? 面白いことを言う、それが人間か? 命を魔力に吸いとられ続ける憐れな媒体だよ──
北の大空洞で、眠りにつくセフィロスを見た。クラウドがセフィロスに黒マテリアを渡してしまった。メテオを呼び寄せるという悪夢の始まりだった。
そんな場所で、あの宝条と対峙した。彼は自分を見るなり、実験が成功したのだと、目を輝かせて誇らしげに話していた。彼の言葉が今になって思い出される。
──放っておいたところで身も心も魔力に食い尽くされる憐れなサンプルだ──
身も心も魔力に食い尽くされる、その言葉が今になってわかった気がした。今自分は初めて、"心"を蝕まれているのかもしれない。
自分の思考に、見たことのないはずの映像が流れ込んでくる。身体中に管を繋がれ、謎の液体を投与され、溶液に満ちたケースに入れられる。
──せいぜい自我を失ってゆく様を見届けたまえよ──
自我を失う、そんなことになってしまえばもう、自分は自分でなくなってしまう。仲間と共有してきた恐怖も、焦燥も、悲しみも、痛みも、喜びも、全てなくなってしまうのかもしれない。
彼と出会って初めて感じた胸の高鳴りも、嫉妬も、愛しさも、幸せも、自分の中から消えてしまうのかもしれない。
「……ん、セント……さん、」
「ああ」
「私、の……おねが…………きいて、もらえます……か……?」
息も絶え絶えに、改まってそんなことを口にすれば、彼は少し訝しげに首を傾けた。それでも、手を取りながらじっと見つめて離さない。急かすこともせず、話の続きをじっと待ってくれている。
「……うっ…………。……セフィロス、さんの……とこ……」
「……」
「私も、……つれて、いって……ください、ね……」
一体何のことを言っているのかと、また訝しげに眉を顰めたのが見える。唐突に彼の名前を口にして、返答に困っているのかもしれない。
それでも、そう伝えなければならないと、残された理性がそう言っていた。今伝えなければきっと後悔することを、直感的に判断していたのかもしれない。
「どうか…………おいて、……いか、ないで……」
「ああ、イリスを置いてなどいかない」
きっと思っていること全てが、彼に伝わったわけではなかった。それでも、彼の言葉に嘘は感じられない。こんな状態になっている自分の言葉にも、彼は誠心誠意応えようとしてくれている。
「……ヴィ、ンセント……さんが……」
「……」
「……ヴィンセント、さんの……こと……だいすき、です、よ……」
涙がせり上がってくるのを感じた。ただでさえ狭い視界が滲んでゆく。最後に見えた彼は、少しの驚きを纏いながらも、微かに目を細めて笑っていたようだった。
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