02.彼の理想について:3月のライオン
「宗谷さんっ、ちゃんと朝ごはん食べました?」
「宗谷さんっ、ネクタイが歪んでます!」
「宗谷さんっ、ちゃんとお昼ごはん食べましたか?」
「宗谷さんっ、ハンカチ忘れてます!」
「宗谷さんっ、お夕飯ちゃんと食べるんですよ?」
宗谷さん宗谷さん宗谷さん。
宗谷さんと変な噂が流れているのを知っているけれど、これはそう言う色気のある話ではないのだ。
これは恋人というよりもむしろ《母親》である。
「宗谷さんってほんっと将棋馬鹿ですよね」
あまり表情の変わらない彼が、きょとんと私を見つめた。
「そんなことを面と向かってずけずけ言うのは君くらいだけど」
「宗谷さん、放っておいたら寝食忘れて将棋指し続けてそのあげくに過労死とかしそうで怖いんですよ」
会長さんの苦労がおして忍ばれる。
ここ最近は「宗谷のことはまかせたわ☆」なんて言っているけれど、よっぽど大変だったに違いない。
「キミはいい母親になれるよ」
「その前に島田さんが素敵なだんな様になってくれたらいいんですけど・・・」
家政婦まがいのことを始めて数ヶ月。時給がすこぶるよろしいこのバイトは、とっても私の生活を潤してくれる。
「ねえ宗谷さん、今度島田さんにどんな奥さんが理想が聞いてみてくださいよ」
「・・・・・覚えてたら」
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「というわけで、君の理想は?」
偶然将棋会館の一室で鉢合わせた宗谷と、出された茶を飲みながら島田はすっとんきょうな声をあげた。
「君の理想の奥さんについて聞いてきてくれと頼まれてたのを思い出した」
誰に、なんて聞かなくてもわかった。島田はむせるのをこらえながら、お茶を飲み干す。喉がからからに乾いた気分だ。
「・・・・いや、俺は、まだ、」
「まだ?」
「・・・・そういう宗谷は?会長もせっついてるだろ」
やり返したつもりだったが、藪蛇をつついた。
「彼女みたいな奥さんはいいだろうね」
「・・・・・・・・・」
「あくまでも理想の話」
それを会長の前で口にした日には、間違いなく高級料亭での見合いの席がセッティングされる。それが目に浮かんだ。
「奥さんというよりは、母親のようだと思うことがあるよ」
「それ、女性にいうと怒られるやつだと思うぞ」
「違うよ島田、それは意識している男から言われると女性が怒る一言、だ。彼女の意中の人は僕じゃないから問題ない」
でもまぁ、と穏やかに宗谷は続ける。
「男は母親を自分のものにしたくなるイキモノらしいけれど」
すっ、と視線が鋭くなった気がしたのはきっと気のせいではないだろう。
「それで、君の理想は?」
話しが始めに戻った。つまるところ、くだらない言い訳すんなボケ、ということなんだろう。口元が思わずひきつった。まるで神様みたいな、自分が見上げている鳥のような存在が、彼女を通すと地に足つけた同じ《にんげんのおとこ》なのだと実感する。
「・・・・」
理想の奥さん。
それを思い浮かべようとして、自分の家を思い出す。誰と、ここで生きていきたいか。
自分は将棋盤の前に座っている。トントンと包丁を使う音がして、いい匂いが鼻先をかすめていく。もう夕飯時だ。
―――『 島田さん、ごはんできましたよ 』
キッチンからこちらを振り返った人の顔は、
「・・・島田」
「・・・・・なんだ」
「顔が赤いけど」
「・・・たのむ、今のは見なかったことにしてくれ」
「理想の奥さんは」
「・・・・・」
からかわれている。あの宗谷に。
いや本人は単純に聞いているだけなのか。どちらにせよ、もう島田には白旗をあげるよりほかに術はなかった。
「・・・・・・・りょうりじょうずな、ひと」
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