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43:Suger and Bitter Night (WT)


ちょっと協力してほしいと頼まれれば、否やはない。潜入捜査で春を使いたいときは、大抵は相手の警戒を解かせたい時だと知っている。
二つ返事でOKした。丁度、ボーダーでの仕事が一区切りついたのも良かった。奇しくも、潜入先は三門市だった。大規模な企業のトップたちが集まるダンスパーティーなんて、外国や夢物語の中だけでなく、この日本にも存在するんだなぁと感心する。降谷から贈られてきたドレスを横目に、小さくため息をついた。あれを着て降谷の隣に立つとは、どんな拷問だろうか。会場の女性陣に「なによあのちんちくりん」と睨まれることは間違いない。

最初にこの手の潜入があったのはいつだったか。振り返ると、つきりと胸が痛んだ。
今回はパートナーとして出席するが、その頃は彼らの『妹』とか『良家の令嬢とその護衛』とか、そういう設定が多かった。組織にいたころだ。不器用な春に、根気強く付き合って、ダンスを教えてくれたのはスコッチだった。早々に諦めて煙草をふかしはじめた赤井と、覚えておけよ、と言うだけ言って動画をよこして丸投げしたバーボン。それを苦笑まじりに見て、手を差し出してくれたのがスコッチだった。何回足をふんづけたか、数えきれない。彼の足の甲は酷い痣になっていたことだろう。だいじょうぶだ、できるよ、と大きな手が春の腰にゆるりとまわされ、まるで自分がお姫様にでもなったみたいに、ドキドキした。
ひとつステップを覚えるたびに、よくできました、と頭を撫でてくれたことを思い出して、ふと自分の頭を自分で撫でる。そんなことをしても、全然違うな、と実感するだけなのに。
その時のドレスを選んでくれたのは赤井で、化粧はバーボンがしてくれて、スコッチが胸元を飾る花を送ってくれた。真っ赤なドレスに、きめこまやかなお化粧、真っ白な花。
そのパーティーの席で起きた事件で、全部が台無しになってしまったのだけれど、初めてのドレスアップというのは春の中に大事な思い出としてしまってある。
ダンスパーティーが銃撃戦に変わって、料理の並んだテーブルが弾除けようの壁に変わる。ヒールをへし折って走りやすくして、ドレスの裾を短くした。大騒ぎの夜。
硝煙の香りが残る中で、全部がようやく片が付いて月明かりの下で同じくずたぼろになっていたスコッチが手を差し出してくれた。アジトの屋上で、バーボンの引いてくれるギターの音色にのってステップを踏む。遅れて合流した赤井が、それを煙草をふかしながら眺めていて、楽しくなってきた春が赤井をひきずりこんでスコッチと三人でもつれるようにステップを踏んだ。
「うまいうまい」とスコッチが褒めてくれて、「まぁまぁだ」赤井が言い、「ステップが一歩遅れたぞ」とバーボンからは厳しい指摘が飛んできた。途中で演奏者はくるくる変わって、いつのまに持ってきたのか酒瓶が転がっている。ギターの弾き方を習って、赤井たちに踊って!と無理難題をふっかけて。


懐かしい思い出に目を細めた。馬鹿ばかりやっていた。
そういえば、あの日のドレスに少しだけ今日のドレスは形が似ていた。色は勿論赤ではなく白だった。(降谷さんは赤い色がお嫌いだ)
いい予兆なのか、悪い予兆なのか。またパーティーが戦場に変わるんじゃないかという一抹の不安がよぎる。今回は確か情報の受け渡しだと言っていたが。
本部で着替えて、隊員の誰かに見られると気恥ずかしいのでそのまま下宿の壁際にハンガーでドレスをひっかける。降谷はここへ迎えに来ると言っていたし、どうせ春の化粧にケチをつけてはやり直しをするに違いないから問題はないだろう。
ドレスも、靴もある。化粧ポーチには、お気に入りのコスメが揃っている。
胸元が少しだけ寂しそうだった。











パーティーの会場は三門市内でも指折りの、というか一番高いホテルだった。超高層ホテルではなくクラシカルな装いを残した明治期の洋風建築という感じだ。英国風庭園が望めるバルコニーがある二階の一番広いフロアは人であふれかえっている。隣でかっちりと着込んで、常とは少し髪色やなにかを変えてはいる降谷は、変装していても最高級の男前なのは隠せていないので、一歩フロアに足を踏み入れた段階で女性陣から視線が突き刺さりまくっている。当の降谷はそしらぬ顔だ。
にこやかに会話する降谷の横で、にこにこと笑っている。時折話題を振られてても、そつなく降谷が助け舟をくれるから問題はない。
最初の曲は当然のようにパートナーと踊る。差し出された降谷の手をとる。誰もがその隣に立ちたいとうらやむ王子様みたいな顔して、所作もほんとうに王子様そのもので。だがしかし、騙されてはいけない。この人は阿修羅だ。三つの顔と、三つの偽名ががちらついた。うっとりと見とれていられる人たちが心から羨ましい。
この羊の皮をかぶった狼さんは、結構凶暴だ。


一曲踊り終え、幾人かにそれとない挨拶をして、しばらくすると任務のステージがあがったのかいつのまにか降谷は姿を消して、フロアに春を置き去りにした。この屋敷のどこかで、このフロアにいる人たちには想像もつかないようなバトルが繰り広げられ始めるのだ。爆発音が聞こえないかだけは気を付けよう、と心にとめる。会場をぐるりと見渡した。よくあるのは(よくあるというのが恐ろしい話だが)パーティー会場じたいに爆発物が仕掛けられているパターンだ。会場に不審物はないか。勿論降谷もチェックしているだろうけれど。自分のセンサーにひっかかるものがあれば報告をしなくてはならない。
イヤリングに見立てたインカムごしに『問題は?』と風見が言う。イヤリングのずれをなおす素振りで、トンとたたく。ノック1回は異常なし。ノック二回で要警戒。異常事態の時は悠長なことをせずにすぐさま連絡という手はずだ。
イヤリングへのノックは、咳払いでも応用する。
久しぶりに正装して、思ったよりも疲れは早く蓄積しはじめた。こんな高いヒールで長時間いるのは訓練のいることなのだ。
靴が重い。ヒールの中にじつはナイフが仕込んであるとか、そんなスパイみたいなギミックはいらなかったから軽くてぺたんこな靴を採用してほしい。女社会ってやつはもう少し改革されるべきだ。人の波にまぎれて、ジュースのグラスを一つとってフロア全体が見渡せる壁際に陣取った。酒は飲むな、ときつく言い渡されている。
さざめくような笑い声と、たくらみが交錯している。三門市で開催されたとあって、ボーダー関連でスポンサーをしているところの関係者も何人か見かけたが、今回は素知らぬ顔を通すしかない。いや、そもそも向こうは春がボーダー関係者だなんて知る由もないが。
唐沢がいたらどうしよう・・・と戦々恐々としていたが、どうも別のパーティーに出席しているらしい。


『パーティーフロアで立つときは壁を背にしろよ。窓を背にするな。外から狙い撃ちにあう。だが窓から離れすぎるのもよくない。何かあった時に、逃走用のルートとして有用なら猶更だ。建物の構造を頭いれておけよ?』


ふいにそんな声が聞こえた気がして、少しグラスを握る手に力が入る。フロアの反対側にみえるバーカウンターに視線を向ける。潜入捜査はよくやった。特に『あの人』はこういう場ではよくバーテンダーや会場のフロアマンに扮するのがうまかった。男前だが、目立ちすぎない。赤井や降谷は人の目を引きすぎるのだ。
シェーカーを振る姿を、カウンター越しに見てはいつか自分にも作ってくれるだろうかと胸がときめいた。銀色はあまり好きな色とは言えなかったけれど、そこから生み出される色とりどりのカクテルは好きだった。
グラスの中のジュースに口をつける。そうだ、言われなくても春は酒なぞこんなところで飲む気なんてかけらもなかった。
降谷の中では未だに『わたしものみたい!』と背伸びしていた頃のままなのかもしれない。何故飲みたかったか、変なところであの人は鈍い。名探偵のはずだが、おかしなものだなぁと思わず笑ってしまった。


『対象を確認。回収にかかる』

降谷の声が耳元のインカムから聞こえた。会場でのめくらましももう必要ないだろう。確保の段階になればもう自分はお役御免だ。気を抜いたわけではないが、小さくもらしたため息を拾い上げた降谷に『最後まで気を抜くな』と即座に窘められてしまった。

「八嶋、りょーかい」と小さく返事をすると、舌うちが返ってきた。
『八嶋、お前もその場を離れろ。ピックアップポイントはわかってるな』と風見。

コホン、と一回の咳をした。
風見は降谷のバックアップに向かうと言いのこして、こちらも通信を切った。パーティー会場に危険はないとの判断なのだろう。ここが戦場になることはないらしい。
さて、どこから出るか。フロアにある2つの扉を自然なしぐさで見比べる。安全のはずだ。なのにまだどこか、ふわふわと足元がおぼつかない気がして気が急いた。ふと、そこに見知った顔を見つけてしまった。

インカムで風見に呼びかけたが応答がない。あちらも戦闘になっているのかもしれない。
ああ、しまったと天を仰ぎたい。反対側の扉付近で、明らかに春を伺っている男がいる。三門市で、というのがみそだったのかと気づく。三門には『八嶋春』がいる。春自身にさして価値はない。だが『春の能力』に関して言えば、高値がつく。
人身売買のブラックマーケットでなら、それはそれは愉快な値段で取引されるだろう。これまではアメリカ政府の庇護があった。だが、もうそれも正式な契約は解除の方向に向かっている。現状、自分は完全にフリーなご身分だ。ただの大学生。
騒ぎを起こせば、降谷たちの数年越しともいえる仕事の邪魔をすることになる。なるべく穏便に、この場を逃げおおせたい。ピックアップポイントに固執せずに。
ここは三門だ。大丈夫だ落ち着け、と脳内の建物見取り図と、周辺地図を呼び出す。


「やぁ、随分と青ざめた壁の花だね?」

肩を叩かれる。にこやかに、紳士が声をかけてくれたのは、普段ならば丁寧に応対するところだ。だが今はまずい。この手の老紳士は話が長いのが玉にきずだ。お願いだから、どこかへ行ってくれ。

「少し酔ってしまったようです」
「だろうねえ」

だろうね?どういうことだ。酔ってしまって、とはこの場を離れる口実のつもりだった春は怪訝な顔をした。紳士は「君の飲んでいるのは飲みやすいが、結構キツい。いかんな、誰だこんなのを女性に渡すとはけしからん」

オレンジジュースだと思ったが、どうやら酒だったらしい。また頭の中で声がした。


『潜入捜査中に口にいれるものはよくよく吟味しろよ?』


ああ、もう。
春は歯噛みする。グラスをよこしたボーイもグルだったらしい。一杯目は確かにジュースだったのに。こういう凡ミスをするから自分は駄目なのだ。いつも、結局足を引っ張ってしまう。


「ほんとうに。気が付かなかったなんてお恥ずかしい。ジュースだと思っていました」

男が、近づいてくる。黒いスーツ。ぞくりと背中を悪寒がはしる。
生理的な嫌悪感に、吐き気がした。『春さんって二宮のこと苦手?』と太刀川にきかれたが、そうじゃない。彼とは親しいわけではないが、苦手なんてことはない。口数は少ないが、彼はいい青年だ。誠実で、真面目で。春が苦手なのは『黒』だ。黒のスーツ。
黒のコート。
視界に映るだけで、条件反射で体が警戒で硬くなる。刻まれているのは恐怖だ。トラウマというのも悔しい事実で。太刀川隊のコートもあまり好きではなかった。
平気な顔をしたいのに。

殺気をまとう黒が、心の底から嫌いだった。

「水をもってこさせよう」
「いえ、ほんとうにお気遣いなく」

どうしたらいい?巻き込んでしまう。目の前の老紳士は間違いなく善意の人だ。だが、今はその善意が困る。放っておいてくれ。

「彼女のことなら大丈夫ですよ」

肩に誰かの手がかかる。そのまま肩がひかれると、バランスを崩して後ろにいる誰かの胸が背中にあたった。


この声を春は知っている。でもどこか違う。どこが違う?
肩を抱き寄せられ、抱え込まれてしまうと、相手の顔がみえない。老紳士がおやおや、と目を細めて「余計なお世話だったかな?」と笑う。慌ててそんなことは!とだけ言い添えた。

「少し、風にでもあたらせてきますから」

抱き寄せられたまま、すぐそばのバルコニーに連れ出された。狙撃の心配なんてしている間もなかった。黒服の男が近づいてくるのが視界の隅にうつってとにかくここを離れなくてはいけないと、春はそれに従った。


人ごみをかき分けて、バルコニーに出る。少し肌寒いせいか、そこには誰もいない。もうすぐそこまで敵は来ている。どうしよう、どう逃げる。降谷ならば、ここから庭の木にでも飛び移るのだろうけれど、自分には無理だ。一か八かやってみる価値はあるかもしれないが。そして、助け出してくれたこの人は、一体誰だ。

バルコニーに出ると、少し腕をのばして距離をとり相手を見上げた。
茶色の髪、青い目。よく見知った人のパーツは同じなのに、悪戯気に笑う仕草さえ同じなのに。


「・・・・ユーイチ、君?だよね?」
「正解」

にこりと迅が笑った。だが、その顔は、

「え?!ええ?!でも、あの、顔が、何か心なしか、」
「トリオン体は結構いじくれるんだよ。どう?30歳のおれ」

じわりと温度があがる。まって、そもそも何でここに彼がいるのか。それもわざわざトリオン体をいじってまで。誤差が少ないほうが動きがいいはずで、わざわざ本来の自分とずれを生じさせてまで?
色々聞きたいことはあるし、というよりもそんなことを言い合っている場合でもないのだが。


「すごい、かっこいい」


ばかみたいな一言しか出てこない。
迅は嬉しそうに表情を緩めた。迅としては、自分より太刀川を寄越したかったのだが、今日は課題に終わるまでこいつは一歩も本部から出さんぞ、と風間に言われてしまった。
さしもの迅も、この場にいつもの隊服姿ではこれなかった。

「開発室の人たちが面白がっちゃってさ」

自信作だって、と迅は常とは少し違う大人の笑みを浮かべる。迅があと十年もしたらこんな風になる。開発室のつくった未来予想がすごい。
心拍数がはねあがる。声音も、少し落ち着いて、それでもどこか耳になじむ。まるでよく聞いている声みたいに。

「春さん?」

うあわわああああ!!目が回りそうになる。実際回っているからもしれない。ぐるぐると思考が少しも纏まらない。こんなぽやぽやしていていい状況じゃないぞ自分!と叱咤するがうまくいかない。だって、こんな!叫びだしたいのを堪えるので精一杯だ。お酒も聞いているのかもしれない。これは降谷さんにあとでめちゃくちゃお説教されるやつ・・・と埒もないことを考える。

かつりと、革靴の音が近づく。
いかん、これをどうにかしなくては。

「ごめんねユーイチ君、いまちょっとたてこんでて」
「知ってる」

知っている?何を?

「春さんがそこの木に一か八かで飛び移って、酷いめにあうって」

バルコニーの先にある木を慌てて春は見た。そうか、一か八か追い詰められたらやるしかないとは思っていたけれど。そして自分にがっかりする。降谷や赤井なら、傷一つなく、とまではいかないだろうけれど難なく着地できるだろうに。

「そっか・・・心して挑むよ・・・・」

ひとまずこのドレスだ。可愛いし気に入っていたが、こんなひらひらではお話しにならない。名残惜しいが、裾から裂いて、動きやすくしなくては。
動こうとした春を迅の手がさえぎる。困ったように、迅が首を傾げた。そんなささいなしぐさにもイチイチ心拍が跳ね上がるのだから始末におえない。だってかっこいいんだよ!なんだこの色気!抗えと言う方が無理だ。

「あのさ、春さん。おれ、トリオン体なんだよ」
「うん?そうだね、でもあの、もうすぐそこに銃もったやばい人たちが、」

はて、とそこで漸くまともな思考が働いた。そうか、トリオン体。銃なんて、きかないのか。トリオン体って便利でいいな。でも春はトリガーなんて持ってきていない。公安の仕事の手伝いに、まさかボーダーの備品を持ち出すわけにはいかないからだ。

「なんで自分でなんとかしなきゃって思ってるかなぁ?」と迅ががりがり頭をかいて、そのままその手をそっと伸ばしてくる。春の少し乱れていた髪を、すくいあげて髪にかける。指先が、耳元をくすぐって、顔が爆発するんじゃないかってほど熱くなる。

「『春!』」

インカムと、それから実際の声とが重なった。降谷だ。そしてその前に物騒な顔をした男たちが立っている。
あちらはもう片付いたのだろうか。


「仕事終わってる?」

反射で頷く。終わっている、はずだ。あとは騒ぎを起こさずに、ここを去るだけ。だがそれが難しい。今にも銃を抜きそうだ。ここは日本なのに!と心の中で叫ぶ。まったく世の中ぶっそうすぎる。


「そ。なら良かった」

迅だけれど、迅じゃない。いや迅なのだが。
迅が笑う。


「帰ろっか」


帰る。どこへ?帰るというよりも、逃げるが適切な気がしたのに、あまりにも迅はあたりまえみたいに言う。
フロアが沸き立つ。どうも次の曲が始まっているらしい。にぎやかなワルツ。迅にひきよせられて、バルコニーの床をヒールが鳴らすのと、フロアからかすかに漏れ聞こえるメロディが重なってまるで踊っているみたいだ。

「うわっ?!」

ふわり、とそのまま足が床を離れてしまう。軽々と、迅の腕に春は抱え上げられていた。浮遊感に思わず、何かつかむものを、ととっさに体が動いた結果、まるで迅の頭にすがりつくみたいな形になってしまう。迅が軽くジャンプする。抱え上げられているだけで視界は十分高くなっているのに、迅がバルコニーの手すりの上にのったものだから、ますます視界は高くなる。地面が遠い。高台にあるホテルから、三門の街の灯りがみえた。夜景が綺麗、なんて言ってる場合じゃないのに。


「じゃあ、春さん連れて帰りますんで」と耳元のインカムに迅が顔を近づけて告げる。これは降谷に向けて、ということだろう。

降谷が、スーツの男に蹴りをいれて持っていた銃をたたきおとし、そのまま拘束する。だが、まだ相手はたくさんいて、これ放っていっていいのか?とも思うが、春がいても実際は足手まといになるだけで。ここから足手まといを減らすのが第一だと思うなら、勿論怪我も、自分の実力不足も承知で木に向かって飛んでいたかもしれない。落下する夢は見なかったし、痛いめにあう夢も見なかった。でも、それは――、多分。



迅が、バルコニーの手すりを蹴った。ふわりとまた浮遊感に襲われる。
まるで怪盗キッドみたいだ。中森警部には申し訳ないけれど、やっぱりこういうのに女の子はいくつになっても胸がときめくものなのだ。









『降谷さん!八嶋は?!』

風見がインカムごし言う。

『そっちは』
『問題ありません、当初の目的は達成されました』

なら問題はない。こちらも、つぶした組織の残りかすを一部だが始末できた。結果は上々だ。だが。

『・・・・降谷さん、どうかされましたか?』

優秀な部下は、かすかな声音の変化に何かを察したらしい。

『腹の立つ顔を見た』
『は?』
『中森警部殿はいつもこんな腹の立つことをされていているのか・・・』

目の前で、宝がかっさらわれていく。我がもの顔で。まったく腹が立つ。

「してやられたな降谷くん」

どこから湧いてきたのか、気に食わない顔がまた一つ増える。

「貴様が遅いせいだろう赤井」

「仕方ないだろう、これでも数は減らしてきた。最後の最後、一番いいところだけを持って行かれたな」

既に一戦交えてきたらしい赤井秀一は、笑う。懐に手を入れる赤井に、

「このホテルは全館禁煙だ」と降谷がすげなく告げた。












トリオン体の迅に抱えられての移動は、まるで風を切るようだった。景色が飛ぶように流れていく。ひらひらのドレスが、まとわりつく。何もないところにグラスホッパーで足場を創り出しては建物を飛び越えていく。その軽やかなステップはまだパーティーの最中でダンスでもしているかのようだ。
抱え込まれた状態で、ちらりと迅の顔を伺うと、そこにあるのは知っている迅とは少し面立ちが違う。「しっかりつかまっててね」と抱えこまれて迅が囁いた。
声も、少し違う。なんだこれなんだこれ、なんだこれ!無茶な任務には慣れている。こんなのは日常茶飯事だ。だからこれしきでパニックになるなんて降谷にでも知られたらお説教を食らうだろう。「それでよく公安がつとまるな」で正座で朝までお説教コースだ。私は別にまだ公安の人間じゃない、なんて反論はするだけ無駄であるし、火に油をそそぐだけなのでしない。ともかく、非常識極まりないとんでも超人二人に鍛え上げられているという自負がある平常心が、今は少しも働いてくれない。
無理だ、これは駄目だ。何がダメなのかも自分でよくわからないが、良くない。うっかり流されるように手を取って一緒に来てしまったが。このままでは心臓が破裂する。自分は歳上に甘やかされて生きてきた自覚がある。迅を相手にしていて思うのは『彼は年下で、守られてしかるべき未成年である』ということだ。自分がそうしてもらったように。その大前提は体にしみついているもので、だが今は。違う。

「ユ、ユユユユーイチ君?!」
「春さんどもりすぎ」

笑い方も何だか違う。けどどこか既視感がある。どこかで見たことがある?この迅を?その答えも動揺しすぎていてうまく導き出せない。

「ごめん、けどちょっとコレも限界みたい」
「限界?」

ホテルから随分離れた警戒区域にある民家の上でようやく迅が立ち止まって、ゆっくりと春をおろしてくれた。視線が、高い。19歳からまだ成長するらしい。
月明かりに浮かび上がる輪郭をたどる。赤井や降谷たちと同世代くらいの姿をしている『年上の迅悠一』を、正視できないで、あわてて下を向いた。ばくばくと煩いくらいに心臓が鳴っている。なんだこれなんだこれ!?

すると、先ほどまで黒のスーツに合わせた磨き上げられた上等な靴だったのが、見慣れたものになっている。
上をゆっくりとむく。先ほどよりも早くに、迅の顔を見れた。
見慣れた迅がそこにいた。まるで幻のように、大人になった迅は宵闇に溶けて消えてしまった。

「え、え、ええ?!えっと、」
「招待状はさ、結構簡単に手に入ったんだよ。唯我のコネ」

唯我はボーダーのスポンサーを務めるほどの大財閥だ。三門市で行われるパーティーの招待を受けていないわけもなかった。

「でもさ、正装でって指定はね〜。おれ、全然似合ってなくてさ。場に溶け込んで春さんに近づける人選について話し合ってたんだけど、何個か同時にゲートが開くのも見えちゃったから。そこへ開発室の人が来てついでに実験したいからって」

「人選が最高すぎるけど、元の身体と違うとやっぱりしっくりこないってこと?」

「慣れれば違うかもだけどね。」

そう言った迅の恰好はいつもの見慣れた隊服に戻っていて、ほっと胸をなでおろす。年上で、正装して、髪型もなんだか違う迅はなぜか真正面から見ることさえできなかった。

「・・・いつものユーイチ君だ」
「ふぅん」
「な、なに?」

やけにしげしげと迅が春を見ている。バランスのとりずらい屋根の上だから、距離もとれずに迅の隊服をつかんでいるが、もっと距離が欲しい。

「春さんは年上好きだよね」
「・・・・・・はい?」
「さっきまでと反応が違うのわかんない?ね、春さん、アラサーのおれそんなに好みだった?」

顔が近くなる。年下でも、身長は迅の方が高い。

「・・・・・そんな慌てて年取らなくっても」

「背伸びしたい年頃なんだよ、おれも」

「・・・・・」

その気持ちは春にも痛いくらいによくわかった。背伸びして失敗ばかりしていた春とちがって、迅は随分とそつなくこなしている。すごいな、と思う反面で無理しなくていいのにな、と思う。思うけれど口にはしない。迅の失敗は誰かの『 死 』に直結する。なんて重い。

「あのね、」

何か言わなくてはと思ったが途中で言葉が途切れてしまった。くしょん、と情けない咳をしてしまって、少しも恰好がつかない。迅がくしゃりと表情をゆるめた。
視えてたのだろうか。
上着を脱いで、春に勢いよく羽織らせてくれた。温かい、ということはこれは生身なのだ。
青い、玉狛の隊服はやはり春には大きくてすっぽりと覆われる。

「いやいやいや!ユーイチ君が風邪引いちゃ、」
「トリガーオン!」

隣でいつも通りの迅が笑っている。先ほどの特別製のトリガーから、いつものトリガーに切り替えたようだ。トリオン体だから風邪はひかない。

「・・・便利だなぁ」
「さ、帰ろっか」

差し出された手を取る。その手には確かに温度はあるけれど、先ほどまでとは少し違う。トリオン体の迅は、春の腰に腕をまわして抱え上げる。抵抗するのを諦めて出来る限り邪魔にならないように、おとなしくしている。

「ああ、そうだ。言い忘れてた」
「んー?」

迅がそっと耳元でささやいた。

「ドレス、すごく似合ってた」

春は真っ赤になって撃沈した。迅のスーツの方が百万倍かっこよかったし、そもそも迅の隊服姿はいつだって最高に最高なんだということすら言い返せなかった。





――――――――――――――――――
34:内容はUNISON SQ○ARE GARDENの『シュガーソングとビターステップ』のイメージで。

シュガビタのエンディング映像のドレスアップしたライブラメンバーが好きだったので、こんな感じになりましたー。
世界中を驚かせる夜にはならなかったですが、夢主はめちゃくちゃ迅くんに驚かされた夜になったかな!










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