3月のライオン | ナノ
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After rain comes fair weather. 3


(ああ、まずいなぁ)

最初に浮かんだのは、指導対局のことじゃなく、一人の女の子のことだった自分に島田はなおのこと『まずいなぁ』と思った。のそりと布団から起き上がるが、身体が重い。ぐらぐらと頭が煮えている。体温計は見当たらないが、熱があるのは明白だった。
げほげほと、咳をしながらもう一度『まずい』とかすれた声でつぶやいた。


(……携帯がない)


前日の自分の行動を振り返る。そういえば、うっかり充電が切れかかっていたから休憩室で充電器につながせてもらっていたのだった。回収して帰るのを忘れていた。家の電話が故障している今、あれが無くては外部へ連絡ができない。ぐったりと、肩をおとす。のそのそと起き上って、重たい体をひきずりながら寝間着から着替える。一番近所の公衆電話はどこだったか。
このことを彼女が知ったら、きっと気に病ませてしまう。先日の雨だけが原因ではない。恐らくはここ最近のめり込むように盤面に向かっていて、不摂生をしていたせいでもあったのだ。彼女が気に病むことはないし、島田自身の健康管理の問題だ。そういっても。きっと彼女は気にするだろう。できれば、彼女が知らないでいるうちに治してしまおう。普段なら布団に寝ていれば治るだろう、なんて無精をするところだったけれど、公衆電話によるついでにかかりつけの診療所によって変える算段をぼーっとした頭でつけていた。
財布と保険証、薬手帳をコートのポケットにつっこんで、島田は寒空の下へのりだした。



***




「……結ちゃん?」

ふいに、冷たくて心地いいものが額にふれたのに気が付いてゆるゆると意識が覚醒に向かう。ぼやけた視界に映ったのは、もう随分と見慣れているけれど、この家の中で見るのは初めての顔だ。

( ゆめか、これ )

つい先日、彼女は玄関先までやってきた。あるはずのもう一本の傘が見当たらなかったあの日、思わず口にしかけた言葉を飲み込んだのをぼんやり思い出す。

――雨がやむまで上がって待つか?

その一言を口にしかけて、飲み込んだ。雨粒が煩く瓦を叩いている。
口にしかけて、気が付いたのだ。いま、この場所には二人しかいないのだ。桐山も、二階堂も、会長も、――、宗谷も、だれもいない。島田と、結と。本当の意味で二人だけで。
じわりと、手が熱を孕んだ。自分のテリトリーに、彼女を引きこんでいたことに気が付いた。
ただのファンにこんなことはしない。親しい、友人?それともーー?

自分にとっての彼女は。

雨に濡れた彼女が、玄関口に所在なさげに立っている。濡れた服が、張り付いて体のラインがくっきりと浮かんでいるのを思わず視線でなぞった自分に気が付いて、もうそんな言葉が言えるはずもなかった。




島田の布団の外にはみ出した手を、島田よりも小さな結の手が握っている。かすかに震えているのに、渾身の力がこもっている気がした。
「結ちゃ、」
もう一度、名前を呼ぼうとして、呼べなかった。島田の唇を、結が、ふさいだ。


「し、まださん」


視界いっぱいに、顔を真っ赤にした結がいた。他の物はもう何も見えないくらいに。真っ赤な顔で、今にも彼女は泣きそうな顔をしていた。じわり、と大きな瞳に涙が溢れそうになっている。


「わたし、島田さんの看病が胸を張ってできる存在になりたい、です」

「ほかの誰かじゃなくて、」

「わたしが、そばにいたい」


ぽたりと、島田を覗き込む結から大粒の涙がこぼれて、頬に落ちてきた。熱で、熱くなっているのに、その涙の熱のほうが何百倍も熱を持っている気がした。現実感のない光景だった。確かに背景は見慣れた我が家の天井のはずなのに、それが一層非現実的に感じさせる。握られた手が、燃えるように熱いから、その熱がこれが夢じゃないんだと教えてくれている。


( まずいなぁ )


と、その日何度目かの言葉が頭をよぎった。病気をしている時というのは厄介だ。理性がうまく働かない。だから”まずいなぁ”と思った。
なんで、どうして彼女がここにいるんだとか、もっと考えるべきことはあるだろうに、熱でやられた頭はろくに働いてくれない。ただ、目の前の彼女に見とれていた。



「すきです、つきあってください」


その日、もう何度目かも分からない告白をされた。