3月のライオン | ナノ
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強気な彼女


それは、いつものように将棋会館の側にあるベンチに座って、島田さんを待っていた夜のことだ。

「待ちなさいってば後藤!」
「いいから帰れっつてんだろうが」
「いやよ」
「ああそ、勝手にしろ」
「ええっそうするわよ!だから泊めて」
「断る」


どこかで聞いたことのある声が、気の強そうな女性と言い争っている。
その二つの声がわたしの座っているベンチに徐々に近付いてきた。
かつんかつんかつん。ヒールの音と革靴の歩調がせかせかせかと追いかけっこをしているのが聞こえてきて、こんな人目のつくところで痴話げんかとはどんなカップルだろうと興味本位に振り返った。

「あ」

振り返るんじゃ、なかった。
そう後悔するもとき既に遅し。すげない言葉を吐いていた男とばちりと目が合ってしまった。とりあえず、スルーするわけにもいかないので挨拶をしてみることにした。

「えぇっと、どうも後藤さん」
「…またストーカーか」


次から次へと、と髪をかきあげ嫌味ったらしく口角をあげて見せた後藤さんの横に、綺麗な、とおっても綺麗な女の子がへばりついていた。


「ストーカーにもストーカーする相手を選ぶ権利があるってもんです」
「そこは否定しねーのかよ」
「そうですね、ストーカーなんて物騒です。愛のハンターと呼んで下さい」
「島田オタクが」
「島田オタク!あれ、それちょっといいかもですね!ナイス命名後藤さん」


かつーん、とヒールの音が夜の帳を叩き壊すかのように鳴り響いて、私は思わず肩をゆらした。
美人さんは後藤さんの片腕を掴んで仁王立ち。ちらりと足元に目をやれば、わずかに震えている気がするのは気のせいだろうか?


「ちょっと後藤っまだ話は終わってないわよ!」
「あーあー、うるせぇ」


目を細めて、じっくり上から下までぶしつけに眺めてしまう。
綺麗な長い髪、スタイル抜群、おしゃれな洋服、お化粧もばっちり決まっている恐らくは自分と同世代の女の子。
すげなく扱われている姿が、後藤さんに追いすがるその姿が、なんだかとっても・・・・・・・、

「待ちなさいってば逃げてんじゃないわよ後藤っ、ごとぉ〜〜〜〜〜」

ばたん、と非情にも閉ざされたタクシーのドアの向こうで火心底うんざりだ、という顔で後藤がひらひらとあっちへ行けの仕草をする。
それがまた更に彼女の怒りに油を注ぐのか、烈火のごとく鬼気迫る表情で彼女は叫んでいた。
40男のくせにやけにそれが様になっているのがまたちょっと悔しい。なるほど、女性人気が高いのも頷けるというものだ。
……棋士さんがたの間じゃ苦手意識もっている人間のほうが多そうだけれども。


「あ」


取り残された彼女と目が合った。
仁王立ちして、じろりとベンチに座る私を上から下まで検分したあげくに、彼女はこともあろーか鼻で笑った。
声にこそ出していなかったけれど、彼女は確かに今こーいった。「大したこと無い女ね」

・・・・・・強気だ。そんでもって自分の容姿にかなりの自信がおありのよう?
いや、まあかなりの美人さんだし、自分がちんくしゃなのはわかっているけれども地味にへこむ。



「なによ??」


けんのある調子で美人さんに凄まれると、思わず身がすくむ思いだ。
蛇に睨まれた蛙とかってきっとこういう状態なんだろう。


「え、や、」
「つれなくされて可哀想?あわれ?馬鹿みたいだとかそんなふーに思ってんでしょう!」
「まさか!!」

そんな風に思われていたとは非情に心外だ。
それまでしどろもどろの応対しかできず、あんまりにも美人さんで直視するのもなんだか照れくさくてきょときょとと動き回っていた私の態度の豹変に美人さんは少しだけ目を見張った。
まっすぐに、彼女の目を見て、彼女へ向かって否定の言葉をつむぐ。
ここだけはちゃあんと否定しておきたい。だって、彼女を見ているとすごーく概視感におそわれるのだ。なんだかどこかでみたよーな気がする光景。


「どっちかっていうと親近感を感じてました!」
「はぁ?!」

余計に理解ができないという顔をされて、思ったより私のすとーかーぶりは広まってなかったんだなあとちょっぴり安心。
最近は会う人会う人に「あ、島田さんに求婚中の子だ」「今日も島田待ち?どこがいいかねえ、おじさんにしとかない?」「島田呼んできたげよーか」なんて声をかけられるようになってしまっているから、嬉しいようないたたまれないような気持ちがないまぜになっていた。
もしや、他の島田さんふぁんとかに知れてしまったら、わたしは後ろから刺されてしまうかも?!と危機感をつのらせていたのは、どーやら自意識過剰だったのだ。


「いやだって、歳上おっかけるのって結構理解されないし、大変じゃないですか?」


「あんた、後藤とどういう関係?」
「え、あー、」
「ストーカーって?島田ってあのひょろながい頭薄くて幸まで薄げなあの島田?後藤とはずいぶん親しげじゃない」

カチン。

「ごつくて妻帯者でちょっとというかだいぶ性格に難ありでガラスのようにとんがりまくったそれこそ幸薄げってかずどーんと重たいもんばっか背負いまくりの後藤さんストーカーの美人おねえさん、島田さん侮辱するのやめてもらえますぅううう?」

とおっても腹が立ったので、とりあえず同じだけ言い返してスッキリした。
二言目には皆して島田さんご自身も気になさっていることを言うのか・・・・・!わたし別にそんなこと気にしてないのに!
島田さん素敵だもん、輝いてるもん、かっこいいもん!!どうして皆にはそれが伝わらないのかと思う一方で、わたしだけがわかってりゃあいーのだ、そのほうがライバル減っていいしとか自分勝手なことも思ってしまう。
いや、実際わかっている人はわかっているのだ。
だって、島田さんファン結構いるらしーって聞いたし。ふぁんれたーとかたまに貰ってるし。


「・・・・・・・・・馬鹿じゃないの?」
「島田さん馬鹿といわれれば確かにそーです!島田さんラブ!愛してます!」

いつもなら「結婚したい」まで言うけれども、それはちょっぴり目の前の彼女に対して酷なことかもしれないと口をつぐんだ。
島田さんは独身だけれども、彼は違う。後藤さんにはれっきとした奥様が存在する既婚者で。
世間一般に言わせれば彼女の横恋慕。浮気。不倫。
わたしの恋より遥かに多くのハードルが存在している彼女の恋は、なんだか胸が締め付けられそうなほどに痛む。とても他人事とは思えない。


しまださんだって、いつけっこんしたっておかしくないのだ。



「あ、これ名刺です!美人なおねーさんお名前伺っても?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


美人は黙して語らない。
けれども、まったく自分の存在を嫌っているわけではないのはわかる。だって、彼女はどすんと私の座るベンチの横に腰をおろしたから。


差し出した名刺には名前と携帯のアドレス・番号、加えて「素敵な島田さん情報求む!」という可愛い手書きのメッセージ入り。
何人かの棋士さんがたにお渡ししている島田さんの嫁になる計画の一端である。
故事にもこうある。

――将を射んとすれば、まず馬を射よ。

スミスさんや松本さんあたりの比較的年齢の近い棋士さんは、面白がっているのか、はたまた本当に応援してくれているのか、よく島田さんの写メを送ってくれたりする。
感謝の気落ちでいっぱいだ。是が非でも嫁になりたい。
島田さん夫人になった暁には素敵な可愛い女の子との合コンを山ほどセットしてあげますから!(いや、これは今でも結構してるんですけどね)


どうして彼女に名刺を渡そうと思ったのかは、正直よくわからない。
彼女は多分、島田さんのことなんてまるで眼中にないだろうし、素敵情報が流れてくるとも思えない。
でも、なにか。

そう、最初にいったように、彼女に感じる「親近感」。
追いかけて、追いかけて、追いかけて。
私たちの恋は、ほんの少し将棋と似ている。

終わりの見えない恋。
振り向いてもらいたくて、追いつきたくて。

一生懸命に背伸びして、早足で大人になろうと足掻いている。

履きなれない高いヒールに、足を痛めてなお、それを履くことをやめない。
少しでも、近づきたいから。



「おねえさんすっごい大人っぽい格好だからぜひともお洒落とか教えてもらいたいなぁ、なんて」



反応は無い。月明かりに照らされた横顔が、ほんの少し疲れて見える。
鞄から取り出したタッパーに入れておいた試作品の生ちょこれいと。
きたる二月の一大イベントに向けてひそかに、対局の合い間のおやつにでもしてもらえたらなぁともくろんでいるそれは、脳の活性化を促す効能を調べに調べ改良に改良を重ねて作ったものだ。


「おひとつどーです?」


口にいれればほろりと溶ける、甘い甘いちょこれいと。
その甘さはどこか人の心を落ち着かせ、とんがったところをまあるくしてくれる魔法のお菓子。


口の中でとろけたちょこれーとをこくんと飲み下した彼女が、甘い甘い吐息と一緒にぽつりとこぼした。
「・・・・・・・幸田、香子」



香子。
将棋の駒、《香車》と同じ名を持つ彼女は、その名の通り、どこまでもまっすぐに一途に進み続ける激しい嵐のように後藤さんへぶつかっていく。
その道がどんな茨の道かも知っていてなお、その身が傷つくこともいとわずに。



「よろしくね、香子ちゃん」



今度のお休みはデパートにヒールの高い靴を買いに行こう。
少しでも、大人に近づくために。
彼女のように、痛みを感じながらも毅然と歩こう。

そうして島田さんの目線に、一歩でも近づけたらいいと思う。