王様とわたし
「そこのはしから、はしまで全部一つずつ頂こう」
およそ老舗和菓子屋なんて縁のなさそうな、それこそ高級ブティックあたりで買い物をしているのが似合いそうな人だった。お忍びでやってきた有名人だって、きっとこの人ほどの存在感はないかもしれない。
「先日のゼリーも大変においしかった」
真顔のままその人はそう言った。先日。そうだ、つい先日あったばかりの人だ。あかりはようやく、思い至った。接客上手のあかりは人の顔を覚えるのが得意だったはずなのに、どうしてだか、もう一度会うなんてことはないとばかりに思っていたから、考えが及んでいなかった。
――柘植正臣。結の友人、らしい大学生企業家。
彼は、雨上がりの朝、こうして唐突に三日月堂に現れた。
「ほんとうに?それは良かったです、また来てくださるなんて」
そわそわした。まっすぐに柘植があかりを見ている。そわそわと落ち着かない気持ちを振り切って笑顔で答えた。
笑顔は、あかりがもつ数少ない剣であり、盾だ。母と父を早くに失って、長女として妹たちを守るために。
笑顔は人をしあわせにする。
そうやって、あかりは生きてきた。自分を見上げる妹たちの不安が少しでも薄れ、幸せで満ちるように。
柘植は黙ったまま、一つずつ菓子を詰め込んでいくあかりを見据えている。
「これ、食べきれますか?」
「問題ないです。こう見えてかなり食いますから」
柘植が肩をすくめた。
「それに、大学に持っていけばあっという間になくなります。丁度月末で連中も飢えてますからね」
そんなものなのか、とあかりは納得した。大学というところがどんなところなのかは、行っていないあかりには知る由もない。
あの夜一緒だった林田や島田のことを思い出した。あの二人もかなり細身だったが、柘植はそれよりさらに細く見えた。
コツリ、とショーウィンドウを長く細い指が触れた。菓子を詰める視界の端を指先がちらつく。
どうしてだろうか。
あかりは少し、柘植を苦手に感じていた。
じっと、みられていると身のすくむような心地になる。
夏祭りの夜、この手と指は驚くほど器用に動いていた。触れれば折れてしまいそうな細さに見えるのに、対象者に有無を言わせぬ強さがあった。少し、祖父と似ているかもしれない。何かを創り出す手だ。
ふりまわされている結と島田を微笑ましく遠巻きに見守っていたら、二人に向かっていた両の眼がふいにピタリと、あかりに向けられた。目があったことに驚いた。彼はあかりに興味がないと堂々と言い放っていたから猶更だ。
目をぱちくりと、立ち尽くしているうちに柘植はどんどん近づいてきた。
――失礼、
指先が伸びてくる。
とっさに身をひいたあかりを捕えて、あっという間に採寸されてしまった。
「あかりさん?」
ぼんやりとしていたら、目の前に柘植の顔があった。
「す、すみません、あの少しぼんやりしてしまって」
後ろへすぐさま顔をひく。柘植は怪訝そうな顔だ。
「風邪でも?」
「やだ、困りました。気をつけなくっちゃ」
こくびをかしげてあかりは笑う。だが柘植は眉をひそめて不機嫌そうな表情をする。
「結ちゃんにもよろしく伝えてくださいね」
「ええ」
会計を告げると、
「ああ、」
懐をさぐった柘植が口をつぐんだ。
「どうかされました?」
「お恥ずかしい話なんだが、」
口がへの字に曲がる。そうしていると、少しだけ年齢相応に見えて、苦手意識も少し薄れる。
「財布を忘れてきたようだ」
「まぁ」
「出直します」
とっさにきびすをかえそうとした柘植のスーツを身を乗り出して、捕まえていた。
「後日で、かまいませんよ?」
「いや、よくないでしょう」
「踏み倒す心配、あるんですか?」
「・・・・・」
「柘植くんなら、大丈夫でしょう?結ちゃんのお友達だもの」
「・・・・・あなたはお人よしが過ぎるな」
(・・・・あ、)
自信満々な顔か鉄面皮な顔ばかりの柘植の表情が、ゆるんだ。しかたないな、とばかりに口元をゆがめて。
「では、代わりにこれを」
用意された菓子折りを左手に持った柘植は、ずっと右手にさげていた紙袋をあかりに差し出した。
紙袋、といよりもそれはショッピングバックとでもいうべきなのだろう。TSUGE、の文字がシンプルにあしらわれている。
「ええっ?いただけません、だってこれとってもお高いんでしょう?」
「暇つぶしで作った服です、今日顔をあわせた誰かにどうせくれてやるつもりだった。それが、たまたま貴方になっただけだ。着てみて感想をきかせてくれれば助かるが」
両手を突き出して遠慮しているのに、柘植は少しもひるむことなくぐいぐいと押し付ける。
「このまま帰るのでは、食い逃げのようで気分が悪い。受け取ってくれ」
ついに根負けして、あかりが受け取ると、ニッと柘植が笑う。先ほどのゆるやかな笑みとは違う、自信満々な笑みだ。
「きっと、似合う」
指先が、またあかりに延ばされた。
そっとなでるようにほほに触れて、離れていく指先を茫然と見送った。
「では、失礼する」
好き勝手にふるまって、朝一番からあかりを右へ左へと振り回した王様みたいな男は、くるりと背を向け去って行った。
手元にはショッピングバッグがひとつ。全部の菓子を足したって、きっとこの服の方が高いに違いないのに。
***
「あら、素敵な服じゃない。どうしたの、それ?」
みさきの言葉に、あかりは「柘植くんにいただいたの」と答えた。
「TSUGEブランド!いい服だと思ったわ〜、いいじゃないの、似合ってる」
「お返ししようとしたんだけど、受け取ってくれなくて」
「箪笥のこやしにしとくよりかは、着ることにした、と」
こくりとうなずく。
シンプルなフリルのあしらわれた白のフレアシャツに、肌触りのいい生地のスカート。派手すぎず、かといってシンプルすぎもせず。絶妙な甘さを残した服は、あかりによく似合っていた。
「柘植くん、最近よく三日月堂くるわよね」
「・・・・おじいちゃんと意気投合しちゃったみたい」
あの後も、何度か柘植はふらりと訪れるようになった。毎日のように顔を出すこともあれば、数日まったく見かけないこともある。店の中で祖父とあれやこれやと論議している。
「新進気鋭のデザイナーさんとねぇ、わかんない」
「ほんとねぇ」
まだ、柘植には着たところは見せていない。いつもじっとあかりを見ては「着ないんですか」と聞いてくる。それをあいまいにはぐらかしてきた。
そして、彼が絶対にこないであろう店でならと、ようやく着てみる気になったのだ。
「でも、気をつけなさいよ」
「なにがですか?おばさま」
心配そうに、少し面白がりつつも、みさきは口をひらいた。
「だって、そりゃあ――、」
――男が女に服を送るのは、その服を脱がせるためだっていうじゃない?