3月のライオン | ナノ
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愛に近い恋心で5のお題


1、君の大切なものを僕も大切にできたら (元拍手お礼文)

先ほどまで結が座っていたソファに、淡い緑のマフラーが置き忘れられていた。それを拾い上げて、宗谷は自動ドアの向こうに見えた後姿に目を向けた。
結が最近お気に入りなのだと嬉しげに言っていたマフラーだ。けれども、そんなお気に入りのマフラーがないことに彼女は少しも気づかない。なぜなら、彼女はマフラーよりも大切なものがあるのだ。

「宗谷?どうしたソレ」
「いえ」

隣にいた神宮寺が首をひねる。宗谷はマフラーを持ったまま、先ほどまでいた部屋へと戻るべく背を向ける。

「お前のじゃないよな?」
「忘れ物ですよ」
「誰のか知ってんのか」
「ええ。今度わたしておきます」
「お、」

神宮寺が片手を目の上にあて自動ドアの向こうへと視線をなげて「まーた、やってんな」と笑った。肩越しにちらりと振り返る。結と、彼女の思い人が並んで歩く姿を捉えた。

「つかマフラー、嬢ちゃんのじゃねーの?」

喰えない調子で神宮寺は問う。意味ありげな視線だ。おっかけていって渡せば?と促すように顎をしゃくる。

「今行くと、馬に蹴られますよ会長」

宗谷は薄く笑った。マフラーを紙袋にいれて、茶化しに行こうとする神宮寺をつれていく。

「宗谷さぁ」
「何か」
「割と馬鹿だな」

島田の横でとびきり幸せそうに結が笑った。その横顔を見送った。






2、恋情と愛情の狭間で揺れる

彼女のことを好きだと思う。
親愛や友愛、惜しみなくそれを彼女へと贈る。

神宮寺が言った。「お前の嫁にどうだ?」
そして想像した。自分の隣にたつ彼女を。“彼”の隣ではない、自分の隣に立ち笑う彼女を、想像してみようとした。
『宗谷さん』と屈託なく呼ぶ彼女を思い浮かべようとした。

「……無理でしょう」

静かに宗谷は呟いた。
無理なのだ、と思う。宗谷は自分の隣に立つ彼女を、自分にだけ微笑む彼女を上手く思い浮かべることが出来なかった。彼女の隣にはいつだって、“彼”がいる。それを分けてしまえば、そもそも彼女そのものが霞をつかむように消えてしまうのだ。
宗谷にとっての彼女は、最初から“彼”しか見ていないし、そういう彼女を宗谷は好ましいと感じてきたのだ。


ソファで眠る彼女を見つけた。島田を待っているのだろう、大事に抱えている紙袋の中身はいつものように島田に捧げられる差し入れなのは聞かなくてもわかった。甘い匂いがかすかに鼻をかすめていく。そういえば少し前に失敗したと大量の菓子を食べているところに遭遇した。その時はかすかにこげた香りがしたが、今度は成功を収めたようだ。
失敗作、と彼女は呼ぶがほんの少し焦げたそれとて十分に美味しかった。彼女が島田に差し入れるものは彼女自身の厳しい合格点をきちんとみたしたものだけだ。
ほほにかかる髪をそっとよけてやる。
眠る彼女を見下ろして。甘い香りにかすかに胸がやける。

頬に指先を伸ばし、けれど触れる寸前で止めた。そのまま踵を返す。眠る彼女を起こす役目を、許されているのは自分ではないと知っている。足音がした。彼女の待ち人がもうやってくるだろう。
宗谷はそのままその場をあとにした。

触れたいのは恋だろうか。
けれど、触れないのは多分愛かもしれない。

この感情には名前をつけてはいけない。だから宗谷は何も言わず、ただその場をあとにした。








3、好きだと言えることが嬉しい

「君の作るものが好きだよ」

宗谷は素直に告げた。

「もっと上手に作れる人なんて山ほどいますよー。私、大学じゃみそっかすの部類ですからね」

照れくさそうに彼女が言う。不器用で、失敗をしながらも気持ちをこめて作られる彼女の料理は、彼女の思い人と少し似ている。
一途なまでに、まっすぐに。


――好きな食べ物はなんですか?
というのは一体どこで受けた質問だったか。各地でおこなわれるセレモニーでのあいさつだったか、はたまた何かのインタビューだったか。
宗谷は覚えていない。なんと答えたのかも。どれだけ昔のことでも棋譜ならスラスラ出てくるが、そうしたごく普通の問いの方が何百倍も思い出しずらい。
各地でのあいさつなら、当たり障りなく郷土品をあげていただろう。好きな食べ物というのが宗谷の公式プロフィールにおいてさして重要ではないものも、ファンにしてみれば大事な情報だ。
食に対して、宗谷の認識は著しく低いし、特に嫌いなものなしというのがファンからみた宗谷名人だった。


――好きな食べ物はなんですか?
何度目かわからない、質問だ。
だから宗谷がそんなことを言ったときはちょっとした騒ぎだった。


「焦げたクッキーが、好きです」


しばらく将棋会館には香ばしめの焦げ気味クッキー差入れが殺到したとかしないとか。






4、僕の気持ちはちゃんと伝わっているかな (元拍手)
「島田の昔の写真が出てきたよ」

結の目がそれを聞くなり輝いた。

「いつごろのですか?」
「さあ?まだB級にも上がってない頃だとは思うよ」

まだまだテレビなどへの露出も少なかったころだ。テレビでも雑誌でも、下位の棋士たちの情報はあまりのるものでもない。田舎から出てきた結は、今のように将棋会館に顔を出すこともできなかったからなおさらだ。

「お宝写真!」とはねて喜ぶ。
ありがとうございます、とはじけるような笑顔が向けられて、宗谷はくすりと笑った。
思った通りの反応が返ってきたことに満足する。

「いつもありがとうございます」
「お菓子のお礼」
「・・・・そういわれると失敗作はあげずらいんですが」
「まぁしばらく焦げたクッキーはいらない」
「雑誌で不用意な発言するからですよ。そんなおいしかったですか?」
「・・・・そうだね」
「今度は成功したやつでもっとおいしいの持ってきますよ」





5、願いはただ、君のしあわせ (元拍手)

近くにあると触れたくなる。
傍にいると温かくて、いつまででもまどろんでいたくなる。
もっと近くに。そう思うこともある。けれど、それを望んでしまえば、今ある距離さえ失ってしまう。


「彼女が欲しくないわけじゃないです」

囁くように宗谷が言う。神宮司はかすかに目を見開いた。
たきつけている人間としては、聞き逃せない一言だ。

「ただ」

じっと、宗谷は虚空を見つめている。その視線の先に、誰かを思い浮かべるかのように。

「彼女の幸せは、彼の隣にある」

それを、誰よりも知っているから、と。彼の。島田開の隣に。
神宮司がため息をつく。それに珍しく宗谷は答えるように薄く笑んだ。


「それがなにより一番でしょう」
「それで、お前がいいんならな」

肯定も否定も、宗谷は返さない。


「言っとくけどなぁ、んなことしてると惚れた女の結婚式で友人代表スピーチやる羽目になるんだからな」

「それも悪くないですね」

艶やかに、口元をゆるめて、宗谷冬司は微笑んだ。







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