寡黙な彼
今日も今日で、私は朝もはよから島田さんの入り待ちをしていた。
手には本日の手作り弁当、季節にあわせて趣向をこらし、大学で学んだ栄養学の全てを総動員して作成した傑作だ。
新鮮なお野菜をふんだんにつかった胃に優しいへるしーな作り。
これから一日がかりで対局のある島田さんに一目でいいから会いたい、そしてあわよくばこの弁当を渡す。
簡単そうに見えてこれがまた難しいミッションなのだ。
初めて弁当を作った際には、緊張のあまり目の前を通り過ぎていく島田さんに声をかけることすらできなかった。
二度目も同じく。
三度目に漸く声をかけて、けれどもやっぱり恥ずかしくなって、渡せないままにお別れしてしまった。
五度目になって、これではいかんと奮起した。
先生も言っていたではないか!「男は胃袋で捕まえろ」
頑張れ頑張れと自分を励まし、それでも中々ふんぎりがつかなくて、でもでももしもこのままちんたらと悩んでいる間に他の島田さんファンの女性が差し入れなんかしちゃったりして、そのあまりのおいしさに島田さんがとりこになっちゃったりして、私の入るスキなんて無くなってしまうかもしれないのよ!?と最悪のケースの妄想に妄想を重ねた結果、8度目に漸く島田さんの手に私特製愛情弁当は渡ることになった。
最初は当然断られた。
けれども、妄想の中の美人さんに胃袋をゲットされてしまった島田さんを思うと、焦燥感と危機感にかられて私うっとおしいぐらいに島田さんにまとわりついていた。
まったくファンにあるまじき恥ずべき行いだ。恋する乙女の暴走とはかくも恐ろしい。
いつしか、毎日、はさすがに島田さんもご迷惑だろうと数日に一度、差し入れに行くようになっている。
棋士のかたがたは出前であったり近くの定食屋さんに行くかたが多いようで、更には料理なんてあまりするような人も少ないのか手作りのお弁当は非常に受けがよかったらしい。
というのは近頃仲良くなった将棋連盟の会長さんの談である。
会長さんもまたおっしゃった。「男は胃袋で捕まえろ!」
島田さんのために、心を込めて作った一品。
冷めても美味しい工夫をこらしたおかずたち。
それが、今や別の男の口へと消えていくこの状況。
げっそりとあからさまな溜息をついてみせるのに、その人物は一向に気にした様子も無い。まぁ、そんな人の目なんぞを気にするようなやわな精神をしているはずもない人なのはわかっていたけれど。
島田さんではない、ならば全く知らない男かといわれればそうでもない。
勿論知っている、顔と名前くらいは。
だって、島田さんの同期だって聞いたから。
何度か島田さんの対局相手だったこともある人だから。
「……美味しいですか」
沈黙に耐えかねて、わたしを口を開けば、彼はこくりと頷いた。
そうして再び黙々と食事を続ける。
その仕草が『歳の割りに』やけに幼く見えて、母性をくすぐられる。いやいやいや、わたしは島田さん一筋ですけどね?!
「食べきれないなら残しちゃってもいいんで」
「調度いいから」
「あ、はぁ、ソウ、デスカ」
これは恋とか愛とかとは違うけれども、子供とか小動物とかを『可愛いなぁ』と思う気持ちと似ている気がする。
話に聞いていた印象と違うから、ギャップ萌えというやつかもしれない。女はそーいうのに弱いんです、そーいうのが好きなんですよ。恋とか愛とかとはそーいうのは別腹なんですよ。
しかし、これ以上一緒にいるとなんだかほんとに情が移ってしまいそう。
人に中々懐かない野生の獣に対して餌付けが成功したことの、なんともいえない達成感に浸っているべきではない。
「あの、それは差し上げるんで」
私はこの辺で失礼しますと続けたかったのに、またもや言葉を遮られる。
「キミを、見たことがある」
「は?」
わたしが貴方を見たことがあるというならともかくとして、貴方が私を?
そりゃあ、島田さんに付きまとうストーカー予備軍として幾人かの棋士さんたちの間で話のネタにされているのは知っている。
けれども、この人とそーいう話をする人がはたしているんだろうか?
「島田にプロポーズしてた子、だよね」
「〜〜っあ、え、」
何年まえだったかな、とじいっと私を見つめて彼は、将棋の神様に愛されてやまないその人はつぶやいた。
「まだ?」
まだ、とはどういう意味で聞いているのか。
まだ好きなの?まだ追いかけてるの?まだ諦めてないの?、とかそーいうこと?
あれ、恋バナじゃないかこれって?
「………まだまだ追っかけてますけどもそれがなにか」
「ふうん」
最後のおかずをぱくりと口に放り込み、米粒一つ残さずに綺麗にからになった弁当箱の蓋を閉めて「ごちそうさま」と礼儀正しくお礼を言われた。
「お粗末さまでした」
「これいつも差し入れてるの」
「い、いつもというわけじゃっ、……週に、二三度程度で」
将棋の世界で神とも悪魔とも例えられるこの人と、どうして二人向かい合ってコーヒーなんぞ飲んでまったりおしゃべりに興じているんだろうか。
「へぇ、島田がうらうやましいな」
「そっ、そう重います?!島田さんもそう思ってくれてますかね?!う、う、うざいとかって思いません?あっ、宗谷名人もこういう差し入れとかよくもらったりするんですかね?そのあたりどーですか?忌憚ないご意見を伺いたいです!!」
「うざい?」
「めんどくさいかってことです!うっとおしいとか思いません?!」
天才はイマドキの若者言葉なぞはご存じないようだ。多分、KYとかも意味を知らないに違いない。
しかし、これはチャンスである。
桐山くんたち低段者ではまだ世間さまの認知度も低くファンの存在も少ない。だからこそ「迷惑なファン」とはどんなものかとは聞いてもわからないのだ。
けれども彼は違う。島田さんと同期で、おそらくは将棋の世界で最も有名な人。
「宗谷名人くらい有名だとほらっ、わたしみたいなおっかけファンとか差し入れくださるんじゃあないですか?」
「あの、どんな差し入れが嬉しいです?記憶に残りますかね?あっ、逆に迷惑だったものとかなんですか?」
「できれば今後の活動の参考までに聞きたいんです!!」
きょとん、と。
本当に年齢にそぐわないその仕草が、彼を若くみせるのだろうか。これが30代の男か?
「こんな美味しいものが毎日食べられるのは嬉しいと思うけど」
また食べたい、とふわりと笑った顔に思わず見惚れてしまったのは誰にも内緒だ。
寡黙な彼
あんまりしゃべらない人だと思っていたのに、結構きちんと相談に乗ってくれた天才棋士《宗谷冬司》名人が、その後も私の恋の相談相手になってくれたのは心底以外なことでした。
まぁ、そのたびに何かしらの手料理をよーきゅーされるようになったわけですが。
なんだか希少珍獣の餌付けに成功してしまったようなのです。
(宗谷冬司となかよくなった)