私の好きな彼女について
あれ?と思った。
これはまずいんじゃないのか?と、そういう疑問だ。
病院の待合室でたまたま手に取った週刊誌。私はゴシップまみれのこの雑誌をこきおろしつつ、鼻で笑い、そうしてろくでもない世界を垣間見ては自分の幸福をかみ締める不届きものだ。
他人の不幸は蜜の味。しかし、だ。そんな私にだって例外はある。
家族と友人だ。ごくごく一般的。私はその二つを重視し愛している。
週刊誌を閉じて、私はすぐさま病院を後にした。勿論電話をかけるためだ。病院を一歩出たところで、通話ボタンをおす。長い長い呼び出し音が、ついには留守電に変わった。
(……結?)
私の、大親友である私の電話に、あの結が、出ない。
私からの呼び出しに、彼女がコール三回以内で出なかったことなんてこれまで一度だってなかった。これは異常事態である。
私の最愛の友である、結が、その日、東京から姿を消した。
***
「で、何か心当たりありませんか島田開八段」
痩せ型でひょろりと背の高いスーツの男を、敵意剥き出しで睨みつけてやれば、男はあからさま動揺していた。
「いや、俺は……」
「何も?本当に?まったく心当たりがないと?」
「……、」
何を言いあぐねているのか。まったく一刻を争う緊急事態であるというのに。苛苛と私は足を踏み鳴らす。
「あの子が、三日も大学に出てきてない。馬鹿で、アホで、ドジで、間抜けのうっかりやの、お人よしの、私が一回でやることを三十回やってようやくできるようになる不器用娘だけど一度も学校を休んだことのない結が!」
背の高い相手のネクタイを縄のようにつかんでやる。
そして空いた手で鞄をさぐり、一冊の本を取り出した。ここへ来る途中の本屋で購入したのだ。
「コレ」
それを目にした島田は一瞬眉をしかめた。どうやら見たことがあるようだ。
「相手が違いますよね?あの子の意中の人はあなたのはずだ」
その週刊誌にのっていたのは、棋界に君臨する名人と、その恋人などと称される人物の写真である。恋人?結婚間近?なんて無責任な煽り文句がでかでかと書かれた写真の人物は、モザイクがかかっていたって知る人ならばすぐさま特定できた。
「これ、見て、ご感想は?」
「……」
「かんそう、は?」
「……いいんじゃない、のか」
「へぇ、いいんですか。ほー、ふーん」
ひっぱたいてやろうかと思った。
いい年こいた大人が、何をうじうじ悩んでいるのだ。そう言って、強烈な一発をお見舞いしてやろうとして……、やめた。
「だいたい何があったかなんて想像できますけど」
どうしようもない。何で結はこんなのが好きなのだ。
「一個だけ聞きますけど」
返事はない。沈黙を肯定とみなすことにして続ける。
「結のこと、嫌いですか邪魔でしたか面倒でしたかうっとおしかったですか?」
言ったあとでちっとも一個じゃなかったと気づいたけれど。
「YESかNOでどうぞ」
結の思い人は、困ったように、笑った。力なく。
答えない。答えられない。そんな資格なんて自分にはないのだと言わんばかりに。けれど表情は確かに「NO」だと言っている。なんてめんどくさい男なんだ。
「脈有りじゃないか…」
小さくしたうちする。
私の小さな呟きは島田には聞こえていなかったはずだ。もう目の前にいる私のことどころではない様子だ。
脈有りなんじゃないか。正直、一生懸命な結を横目に、てっきり軽くあしらわれているものだとばかり思っていたのに。
「そんなことより、結ちゃんは…」
「いえ、もう結構。だいたいわかりましたから」
ぴしゃりと言う。
「振った女のことで、手を煩わせるのも申し訳ないですし。何とかします。心当たりは全くないですが。そんな雑誌見て及び腰になって手を放して、今更後悔しているんですか?イヤイヤおきになさらず。貴方のせいじゃない。現実から逃げ出したのは結も悪い。では、どこぞへおでかけの途中にお邪魔いたしました」
ぐぐ、と島田が言葉を飲み込む。そうとも、振ったのだ。ただのファンにそこまで関わることもあるまい。
関わるというならば、それはどういう関係で?友人?いやいやムリがある。
「降られて傷心中ならば、慰めて優しくしてあげればあの子も落ちてくれそうだし」
そういい捨てて、私は今度こそ島田に背を向けた。
私は結が大好きだ。愛している。
けど、あの子は島田以外なんてまるで眼中にないのだ。
いつも、いつも、いつもだ。
何てうらやましい。
週刊誌の写真を見る。確かに似合いかもしれない。けれど、モザイクがかけられていてもわかる。この写真の相手ではダメだ。私が好きな、世界で一番可愛いと思うあの子の笑顔は「島田さん」のことが好きで好きでたまらない、ってそんな笑顔なのだから。