3月のライオン | ナノ
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困惑気味の彼



「島田さん、飯食いに行きませんかー?」


スミスにかけられた誘い文句も耳に入らないのか、島田は自分の手元を一心に見つめていた。
困ったように、照れたように、でもどこか嬉しそうな、穏やかな横顔にスミスはおやっと首を傾げる。
昨夜偶然コンビニで遭遇した際には胃痛で今にも死んでしまいそうな顔していた人物と同じ人物だとは思えない。心配で、胃によさそうな定食を出してくれるいい店でも紹介しようと思っていたのに随分と元気そうである。少なくとも、スミスにはそう見えた。


「島田さん、何を見て、」


ひょい、と興味本位から手元を覗き込めば、可愛らしいハンカチに包まれた何かが島田の手元に収まっているのが見える。

「えっ?!あー、スミスか……いや別に何も無いよ?」
「随分可愛いもんもってんじゃないですか」
「……えーと、あー、うん、」


するりとハンカチをほどけば、中から小さな重箱が現れた。
蓋を開ければ、色とりどりのおかずが少しずつ盛り付けられている。そのどれもがヘルシーさで胃にやさしい食べやすそうなものばかり。


「あ〜、いつもの子か!島田さんラバーの!!」
「……あー、うん、ちょっと黙ろうかスミス」


1年ほど前から姿を現すようになった彼女は棋士たちの間でもちょっとした有名人だ。
衝撃の逆プロポーズはいまや伝説として語られている。以降も熱烈なアプローチを続けている彼女にいつ島田が堕ちるのか、なんて賭けて遊んでいる連中までいる始末。


「うっわ、うまそ〜!これいつも貰ってんですか?」
「たまにだよ、たーまーにっ!」
「いいなぁ・・・なんつか愛に溢れた弁当?みたいな。独身にゃ目の毒ですけどね」


俺は外でくってきますかねー、外で弁当差し入れてくれるファンなんていたら戻ってくるかもっすけどね!なんて捨て台詞を残してスミスが去っていく。
その後姿を見送って、綺麗に並んだおかずの数々にあらためて向かい合う。
レンジてチンすればできる冷凍食品は一つも入っていない。手作り弁当、という奴だ。
弁当と一緒に渡されたシンプルだけれど手にフィットする箸で、一つ一つを口に運んでいく。正直ものすごい美味しい、というわけじゃあない。
けれど、すごく食べやすい。朝から痛んでいた胃が、少しずつ大人しくなっていくような料理だ。


「お、いいもん食ってんじゃねーか島田!」
「ああっ、なにしてるんですか会長っ!?」
「何って、つまみぐい」
「いい大人のすることですかそれが!」


ひょいひょいと後ろから伸ばされた手にいくつかのまだ手をつけていないおかずをもっていかれてしまう。ああ、あれは美味しそうだからとっておいたのに。
会長は満足そうにぺろりと指先を舐めて、「今度は逃げられんよーに気をつけんとなぁっ、がっはっはっは!」なんて言って人の傷口をえぐる。

「こんだけの料理作れる嫁さんつかまえとかねー手はないだろうが」

「・・・・まだ20歳の子ですよ?俺じゃ犯罪です」

「20!わっかいのたいしたもんじゃねーか、ま、成人してんだから問題はない!お前さんは考えすぎてはげるタイプだな、もちっと人生楽しめんのか」

「・・・・・・・・・・・ほっといてください☆」


きわどい生え際をじっくり眺める会長はスミスと同じように高笑いと捨て台詞を残して去っていく。「式には呼べよー」
呼びませんし、そもそも式なんてあげませんから・・・・・・・・。
手作りの弁当を綺麗に平らげて、お茶を飲んでひといきつく。確かに、こんな嫁さんがいたら幸せだろうと思う。俺の胃のことを考えた上での料理は食べやすくて、結構な量があったのに食べきってしまった。
けど彼女はまだまだ若いし、俺みたいなおじさんにいつまでも関わっているべきじゃないんだろうか?
桐山や二階堂たちのほうが並んだ姿を思い浮かべてみてもお似合いだし自然だ。一過性の思いで人生を棒に振ってしまうようなことをするべきじゃない。
子供の錯覚だ。敬愛と親愛、そんなものがごちゃごちゃになってしまっているだけだ。
関わりすぎないほうがお互いのためだし、大人の俺がきちんと諭してやらなくてはと気を引き締める。浮かれてはいけない。こんな、夢みたいなこと。

対局を終えて帰り支度をしていると携帯が鳴った。
表示されている名前は行きつけにしている喫茶店のマスター。「あの子が来てる。もー暗いし送ってってやったらー?」それだけ言って切られた携帯を持っている、自分の顔が綻ぶのがわかる。
ああ、困ったな。
誰かが自分の帰りを待っている、たったそれだけの些細なことにこれほど胸が騒ぐだなんて。



「いい子、なんだよなぁ・・・・・・」



彼女がまだ高校のセーラー服を着ていた、あの衝撃的逆プロポーズの日から変わらないまっすぐな瞳が愛していると叫んでいる。
それを受け入れてしまいたいと、その言葉を欲している自分をもう一度しっかり戒めて、ゆるんだ表情も引き締める。
彼女にはいつかきっと素敵な相手が現れる。まぁ、それまでの虫除けみたいなものだ。東京に田舎から出てきたばかりの警戒心の薄い彼女の東京の保護者のようなものだ。

連盟が見える窓際の席。
そこに座る彼女は、多分俺を発見したのだろう。そわそわと落ち着かない様子で何度もたったり座ったり、水を飲み干して深呼吸をして見たりしている姿が逐一目に入ってきた。
下宿に帰る前のほんのわずかな時間をこの喫茶店で過ごす島田を待っている。


喫茶店の自動ドアが開き、いつも座る席へと足をのばせば子犬がじゃれついてくるかのように目を輝かせて彼女が駆けてくる。
あくまでも本人はさりげないつもりらしいのがいっそうほほえましい光景。あるはずのない犬耳と尻尾が見える気がした。彼女は犬っぽい。マテ、といわれたらいつまででも待っていそうな忠犬。
可愛い。あくまでも主観的な意見だがそう思う。
こんな若くて可愛い子が、いつまでもこんな枯れた男につきまとっているはずなんてない。
そう自分に言い聞かせないとやっていられないところまで来てしまっている自分はもうかなり彼女にはまりこんでしまっているのか。




困惑気味の彼




地元から送られてきたものをほんの少しおすそ分けしたら、まるで素晴らしいブランド物のバックでももらったかのように彼女が目を輝かせて喜ぶから、
好きだったらまたあげるよなんて、いい人ぶって。
結局今日もまた「次」に会う約束をしてしまう。次こそは、ちゃんと言わなくては。次こそは。


そうしてまた、今日も全てを先送りにして。