3月のライオン | ナノ
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嘘吐きな彼女



「島田が結婚するらしいな」

噂、聞いてないのか?とニヤニヤした顔で語りかけてくる中年男をちらりと横目に眺めてから、私は小さく溜息をついた。
穏やかな春の陽気に包まれた今日この日が、いったい何の日かを私はちゃあんと知っている。どうせ、この手のやからが現れるだろうなあとは予測済みである。

「その噂、今朝からもう何回聞いたと思ってんですか。ネタが古いんですよ」
「ほー」

馬鹿馬鹿しい。
なんてたちの悪い嘘!それを私に言って、一体どんな反応を期待しているというのだ。泣いて喚いて、この世の終わりだと嘆いてみせれば満足なのか。
私が島田さんを好きで好きでだーい好きで仕方ないのを知っているだろうに。なんて酷い。鬼か。

「ああ後藤さん、島田さんその噂の相手がダレか知ってますか?」
「あ?」

こーなることはわかっていた。わかっていたからこそ先手を打った。
うるさい外野の度肝を抜いてやりたくて。ささやかな意趣返しのつもりで。
乙女の恋路を、からかうなんて大罪を犯すものは馬に蹴られてしかるべきなのである。


「じゃじゃーん」

効果音付きで一枚の紙切れを後藤の前へと広げた。
気分は水戸黄門の印籠を掲げる助さん角さんである。この紋所が目に入らぬかぁああああ。

「は?」

目をまーるく見開いた後藤さんの顔はとっても見ものだった。これを香子ちゃんに見せてあげれなかったのが悔やまれる。
にたーりと、先ほどの後藤さんの笑みを私は奪って笑う。

「報告が遅くなっちゃいましたけど、実は噂の相手って私なんですよね。春からは島田夫人です」

ふたつ並んだ名前。
印が押されたそれをまじまじと見つめている後藤さん。あまりにも驚いているから、自分がしたこの《冗談》も大概にたちが悪かったかもしれないと少しばかり反省する。少しばかり、手の込みすぎた、冗談。

「な、」
「なーんちゃって」

後藤さんの言葉尻を奪う。
早々に訂正をいれないととんでもないことになるのは、今朝一番にこれを見せた相手であるスミスさんと会長さんで経験済みである。あの時は島田さんも一緒で、更に話がとんでもない方向に転んでいった。危うく会長さんを仲人さんに、式場の手配までされてしまうところだった。

ただ、タチの悪い、冗談だったのに。

「あぁ?!」
「あっはっはっはー、じょーだんですよじょーだん!イッツァジョーク!!」

島田さんの名前と並んだ私の名前。
その紙切れの一番上に『婚姻届』とかかれたソレは、もう朝から何度も使用されすぎて少しばかりよれている。

「本物使ったんで皆一瞬本気にしちゃうんですよねー、やだなあ、島田さんとはまだ手だってつないでないのに!!」

まさか後藤さんまで本気にしちゃうとはなぁ・・・なんて意地悪く笑って「今日が何の日か知ってるでしょう?」と言えば後藤さんから容赦ない拳骨がいっぱつ頭の上にふってきた。いや、でもまあ、手加減はしてくれているのだろうけれども。それでも痛い。目の前がちかちかする。

頭を抱えてうずくまった私が、次に顔をあげたときには後藤さんはもう背中を向けて歩き出していた。まったく、ほんとに酷い。
先にいたいけな女子大生をからかって遊ぼうとしたの大人げないオトナは自分のくせに。


「ああああ、大丈夫か?!」
「大丈夫ですか?!」

後藤さんの背中が小さくなっていくのを見送りながら、痛む頭を抱えていれば、それを物陰から息を潜めて見守っていた面々が姿を現した。

「へーきですよスミスさん零くん、慣れてますから」
「慣れるっていうのもどうなんだかなぁ」
「あれで加減してくれてますしね」

零くんにスミスさん、興味本位で覗いていた会長さん。それから、

「島田さん今日はほんとにありがとうございました!!」

みんなにからかわれて、それが悔しくて。ほんの少しばかり驚かせてやりたくて。
協力を乞うたのはこの人にだった。自分でも、かなりずうずうしいお願いだとは思ったけれども、これくらいしなければ度肝はぬけまい。

「まっさか本物使うたぁなぁ〜、俺はてっきり」

「やだなあ会長さん、そのてっきりはもうちょっと先の未来ですから」

「ほお」

「いやいやいや、会長が本気にするからやめなさい」


私の一世一代の嘘。
けれども。


その偽りの紙切れを持っていたライターで火をつけて。灰になって風に舞い上がるソレに「またあいましょう」と心の中で語りかけた。
いつの日か、また。必ず。


「そのまま提出しちまっときゃあ良かっただろうに」
なんていう会長さんの言葉はとーっても魅力的だったけれども。


「いつかは嘘をホントにしてみせる予定ですから」

それまではおあずけだ。

島田さんが困ったように笑っていて、けれども二人で仕組んだ悪戯が成功して面白いものが見れたからか、いつもよりもほんの少しだけ距離が近付いたような気がした4月1日の夕暮れ。