また今度のための記念日
「百ちゃん、百ちゃん」と、一度許してしまうと頻繁に、春は尾形のもとに顔を出した。案の定『百ちゃん』呼びをしてくる連中が現れたが、今のところは無視している。
「百ちゃん、お金かしてぇ」
「・・・あ?」
「・・・・・・・・すりに財布をすられちゃって」
問題のつきない女は次から次へと新しい問題をかかえて尾形の前に現れた。ついには勤め先にまで「春ちゃんの壊した皿の弁償を・・・・」と請求をされだしたのには辟易した。なぜおれが。
「兄様」
めんどうなのがもう一人。花沢勇作は、腹違いの義弟だ。なにをとちくるっているのか、尾形のことを「兄様、兄様」とかまってくる。妾の子を見下す本妻の子、という典型例であれば尾形としてもいっそ楽だったのだ。
「今日はおやすみときいておりました、よろしければ勇作とでかけませんか」
男二人ががんくび並べてどこへでかけるというのか。
「生憎と予定が」
「ああ!もしや、」
頬を勇作が赤らめた。
「噂の女性とお会いになられるのですか?」
「・・・・・・・・・・・」
この朴念仁の耳に届くまでに噂になっているのだとしたら聊か問題だ、と漸く尾形は気が付いた。あんこう鍋に絆されている場合ではなかった。確かに、今日会うことになっているが、そろそろ手を切るべきころあいだ。
そわそわと勇作が尾形を伺っている。自分も一緒に行っては迷惑だろうか、という一言を言うか言わまいか、という葛藤がすけてみえた。コレとアレを同時に相手。考えただけで尾形はぞっとした。
『百ちゃん!』『兄様!』
両手をとられて、間に挟まる自分がばりばりと裂けるのを想像して身震いした。
「勇作殿、」
別れ話をするので遠慮してください、といえば引き下がると思い口に出しかけたが「百ちゃ〜ん」という間延びした声に邪魔された。この女はいつもあらわれるタイミングが悪い。
「あのね百ちゃん、こないだうちのお店に誰が来たと思う?ね?誰だと思う?ふふふ、聞いて驚くことなかれ・・・・なんと、」
「うるさい」
顔面を鷲掴みにしてやって、ようやくガトリング銃のごとく開口一番でしゃべりだしていた女が静かになる。
ぬぐぐぐ、と愚かな抵抗を試みてくるものだから指に力を入れてやる。痛みに春の両手がぽかすかと尾形を叩くが少しも意味をなさない。
「あ、あにさまっ、苦しそうですよ?!」
「いいんですよ、喜んでいるのです。これは頭のおかしい女ですから勇作殿に会わせるのは気が引けます」
「むぐぐぐっ?!ん〜〜っんん?」
「ははっ、照れ症なんですよコレは」
いいからさっさと引き下がれ、と笑顔をひきつらせながら言いつのる。遠くで隊の連中がはやし立てている。
「ぷはっ、ちょっと百ちゃん何するの!」
「黙ってろ」
「やです。黙りません」
「今日、食いに行きたいといっていた甘味は無しでいいんだな」
春が口を一文字にぴたりと閉じた。
「それは師団通りに新しくできた店ですか?なかなか美味いと評判ですね」
にこりと、勇作が春に微笑みかけたのを尾形は興味深く観察していた。花沢勇作少尉殿といえば、このあたりの女子供ならば黄色い声をあげて喜ぶ『素敵な将校さん』である。
ちらりと春がこちらを見て、しゃべってもいい?とばかりに口元を指さす。好きにしろとばかりに顎をしゃくった。満足するまで花沢勇作からは解放されないのをよくよく尾形は知っていた。
「花沢勇作と申します」
「・・・・八嶋春ともうします、あの、えっと百ちゃ、じゃなくて尾形さんを、えーとじょうとうへいどの?をおかりしたくてですね、あの、」
「兄様とはどういう?」
「あ、あにさま?!」
「規律が乱れるのでその呼び方はおやめくださいと申し上げています」
「百ちゃん、弟いたの?!え、え、え、じゃあ私の可愛い弟分たる百ちゃんの弟ということは天下の第七王子様の花沢勇作がわたしの弟分ということに?やだ、どうしよう、街の子たちに知られたら私は嫉妬されまくりで意地悪されるかもしれない・・・・」
「誰が弟分だ、ふざけんな」
「そうだった、弟分じゃなかった許嫁になったんだった!」
「違う。勇作殿、申し訳ありませんが、」
春がそそくさとハンカチを取り出して、少尉殿汗をかかれていらっしゃいますよなぞと言い出した。汗なぞ少しもかいていないが、勇作はそうですか?と疑うことなくハンカチを受け取り顔をぬぐった。こてり、と男子として様になってしまうのはどうなんだとなじりたくなるような仕草をしつつ、ハンカチを返そうとしたのを尾形は間に入って取り上げた。兄様?ではない。
「春、ハンカチは俺が預かっておいてやる。きちんと洗濯をしたうえで」
「え、やだなぁ百ちゃん私べつに、」
目が泳いでいる。素敵な兵隊さんが汗をぬぐったはんかち、なぞといって町娘に売りつける気でいたのは間違いない。
「お前が小銭を稼いだところで雀の涙だ、おとなしく給金だけで生きていけるように努力しろ脳みそはいってんだろうが」
「百ちゃんってば焼きもち?大丈夫大丈夫、私は百ちゃんが三国一の色男だっていうおばーちゃんの言葉を信じているからね。あれ?でも百ちゃんは一人っ子だったような?」
「よろしければご一緒してもよいですか?」
「え」
ちらちらと春が尾形を見る。尾形は無表情で黙り込む。さてこの女はどうするのか。
「あー、すいません。今日は遠慮していただいてもいいですか?」
言ってから尾形に聞こえぬようにと、勇作を呼び寄せ耳打ちしている。尾形はただそれを見ている。
「実は、今日はちゃんとお給金があるのでこの間からお世話になっているお礼に百ちゃんに御馳走する予定なんです。ですけど、さすがに三人分はお財布に痛いといいますか・・・・」というめい一杯声を潜めているつもりらしいが、尾形にはきっちり聞こえている。
「それなら私が、」と案の定、勇作が言いだしたのを、春が大げさに驚いて声をあげた。
「だめですよ、私の気持ちなのに!それにでぇとの邪魔をするものじゃあありません」
「でぇと」
「そうです。ふたりきりになりたいって乙女心なのです。というわけで、花沢さま、失礼申し上げますね」
深々とお辞儀をしたかと思えば、ぐいぐいと、春が尾形の手を引いて歩き出す。さすがに勇作はもうついてくる素振りは見せず、ほんの少しさびしげに二人を見送り手を振っていた。
「・・・・あのね百ちゃん」
神妙な声音で春が口を開く。さてこの女は何を言い出すつもりなのか。尾形が妾の子であることは村中の人間が知っていたことだ。だが実際にその相手についても、本妻に子があることまでは知られていないはず。
花沢勇作は女うけがことのほかよい。強面が多い軍隊で、その爽やかさから熱を上げている女どもの多いことといったら、師団に恋文が束で届くほどである。てっきり一緒にお茶でもと言い出すに違いないと思っていたが、断ったのは意外といえば意外だった。
「なんだ」
「わ、わたしのことも『姉様』って呼んでくれても、ぐはっ」
あまりのくだらない発言に後頭部をひっぱたいていた。
「痛いよ?!」
「馬鹿いえ、痛くしたんだ当たり前だろ」
「ええ〜〜ちょっとしたお願いじゃん!!可愛い素敵なお姉さまできていいじゃん!」
「一人でも持て余してんだよ、お前まで面倒見切れるわけねぇだろうが空気を察しろ」
「だから花沢さまの前では我慢したのに・・・一回だけでも駄目ぇ?」
「帰っていいか」
「ぎゃっ、だめだめ!ていうか今帰ったらまた花沢さまに捕まるよ?兄様、もう用事はおすみですか?って」
「・・・・・・・」
「よし、行こっか」
春が尾形の手を引っ張る。
尾形はその手を振りはらわない。
案内された店の甘味は、それでも尾形の口にあうとはいえずどうせ礼ならあんこう鍋を食べたいと心底思った。単純に自分の食いたいものを食いに来ているだけの女だ。自分が一等おいしいとおもったものを、尾形の口につっこむのが何よりも好きだと昔から押しの強い女だった。
「あの後は、問題ないのか」と問えば今のところは何とか、とあやふやな答えが返ってくる。一度は現行犯で逮捕されたらしい変態も、金を積んでどうやら保釈されてしまったらしい。
「ごめんね、百ちゃん。もうちょっとだけ付き合ってちょうだいよ」
「・・・・・」
「次!次のね百ちゃんありがとう再会記念ご飯会はあんこう鍋にするから!」
「あんこうの時季ももう終わるぞ」
「ぐう・・・・ええっと、また!またね!なにかこう、開けてびっくりな御礼を考えておきます」
「ははっ。無理すんな貧乏人が」
「きゃー、できる兵隊さんは余裕ですねーいいないいなー、私も男だったら一緒に軍隊にいけたのに」
「お前が軍でやっていけるかよ」
「そうかな・・・うん、そうかもな・・・・・・百ちゃんのお嫁さんもなれなくなっちゃうしね。おばあちゃんの墓前に孫の顔を見せに行くと誓ったんだった・・・・・」
「お前、ばあちゃんの名前だしゃ俺がなんでも言うこと信じると思ったら大間違いだからな。選ぶ権利をよこせ」
「ええ〜。まんざらでもないくせにぃ」
けたけたと春が笑っている。
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