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それは私の名ではない


「主」と呼ばれるようになって数年が過ぎた。『主』であることに慣れきってしまった。

「へし切くん、万屋行こう」
「長谷部とお呼びくださいとあと何百回申し上げればいいんでしょうかね」
「だって名前でしょう君の」

嫌いだろうがなんだろうが、それが彼の名だ。へし切長谷部。名付け親たる織田信長への屈折した執着ゆえに、彼はそれを嫌がるけれど。

「南北朝時代の刀工、長谷部国重が鍛えた名刀は君以外にもいるけれど、”へし切”は君だけだ」

「・・・主」

「”主”は私以外にもいっぱいいる」

「その理屈ならば”へし切”とて無数にいますよ」

「・・・そうだけど」

「藤の君」

「ん?」

「貴方をそう呼ぶものがいます」

藤色を好んで着るせいだろう。

「安直だなぁ」
「名などそんなものでしょう。貴方が本丸を藤だらけになさるから、ここは藤壺本丸と呼ばれてるのもご存じないでしょう」

知らない。噂話というものに、とんと疎いのだ。

「藤壺、って」

源氏物語かよ、と小さく突っ込む。

「藤壺の女御には役不足だなぁ私じゃ」

光源氏が焦がれ続けた年上の義母親。私ではそんな艶っぽい役目は荷が重い。

「光君は忍んできてくれたことないし」
「あたりまえです」

ずいぶんと当たり前のようにへし切は言う。私が役不足だなんてへし切くんは言わない。ただ単純に不法侵入者なぞ自分が許すわけはないという事実を言っている。

「主に仇なす敵は撃つ、って?」

彼の口癖を先に言ってやれば、口元をゆがめてニヒルに笑う。

「無論です」

最強セコムは自信ありげだ。これは私の知らぬうちに何人かは返り討ちにあっているのだろう。庭を掘り返して死体とかでてきたらどうしよう。寺社の焼き討ちと家臣の手打ちをご随意にどうぞと迫ってくる刀だから存外笑い話ならない。
やりすぎはだめだからね、と一応注意しておいた。

「主」
「なーに」
「俺の”あるじ”は貴方だけです」
「私の”へし切”も君だけだ」

へし切の口元が奇妙にゆがむ。彼はいつも何かを堪えるような顔をしている。忍耐強い忠臣だ。
藤色の瞳がじっと私をうつしているのが何ともむずがゆい気持ちになる。
彼の瞳の色が好きだ。初めて彼が顕現した時、まるで藤が咲き乱れたのかと思った。長谷部を鍛刀したころはまだ審神者としては駈け出しで、朝から晩まで日課の任務に追われていた。かつかつの資材を節約しては鍛刀し、仲間を増やしていたころ。
視界一面に広がった藤色。あの美しさを今でも鮮やかに思い出せる。
私の”藤の君”はへし切だ。

「ねぇ、へし切くん、新しい藤棚が作りたいな」
「長谷部、とお呼びください。そして藤棚は先月新しいのを作ったばかりでしょう」
「現世でね、世界の美しい百景特集に藤のトンネルってのがやってたの」
「余所は余所です」
「へし切くんが藤のトンネルに立ってる姿はきっと綺麗だと思うの」

へし切長谷部は困ったように「長谷部とお呼びください」と言って、それから新しい藤棚の計画をしてくれた。ほんの少し照れて顔が赤く染まっていたのは気づかなかったふりをしてあげた。彼は誇り高い刀なのだ。


「あるじ」
「なーに?」

主と呼ばれて、反射的に返事をする。もう慣れてしまった。それは私の名ではないのに、もうしみついている。

「藤の花ことばをご存じですか?」

へし切くんはうっそりと笑っている。

「知らない」

そう答えると、そうですかと彼は言う。

「どんな意味があるの?」

問えば、へし切君が一歩近づいてきた。背の低い私は彼の真ん前に立っていると、ほとんど見上げるように首をあげるはめになる。綺麗な藤色の視線が私に降り注ぐ。
へし切君がゆるりと腕を私の腰にまわした。

「決して離れない、ですよ」

回された腕がぎゅうと、私を抱きしめる。言われて納得した。絡みつく藤のつるのイメージからきているのだろう。

「そっか」
「そうなんです」
「へし切君みたいだね」
「藤の君と呼ばれておられるのは主の方でしょう?」
「私の”藤の君”はへし切君だけど」
「では主が光君として忍んできてくださると」
「おっと、そうきたか」

拘束がゆるんで、互いの間に隙間ができる。

「ですがやはり駄目ですね、あれは悲恋ですし」
「源氏物語の中にハッピーエンドが果たしてあるのか・・・うーん、女性としちゃ微妙なとこだね」
「男としてだって嫌ですよ。あの男は馬鹿です、大事な方なら手を離すべきじゃない」
「不穏な気配を察知した」
「いやですね主、俺はまだ何も言ってません」

へし切くんがさわやかな笑みを浮かべた。うん、やっぱりろくでもないことを考えている。

「貴方が俺の”藤の君”なら、決して離したりしません」
「それは私の名前じゃない」

綺麗な神様は最高に魅力的で、いつだって無意識に誘惑してくる。ちっぽけな人間である私はいつでも嵐に飲み込まれるに必死で抗う雑草の気分だ。

「私がへし切君の”藤の君”じゃなかったら、離しちゃうの」

へし切くんははっとしたような顔をして、それからまたとびきり甘い笑顔を浮かべる。

「俺はいつでも”主”、貴方のお傍を離れたりしません」
「・・・・うん」

主と呼ばれて、ほっとする。短い人一生だけれど、その時間の中でせめて彼らにとって良い主でいたいというのが私のささやかな夢なのだ。


へし切くんの手が、そっと私の手をからめとる。藤のつるのようだ。
いわゆる恋人つなぎ。こんなこと一体彼らはどこで知ってくるのか。

「藤のトンネルができたら、手をつないで歩こうね」

へし切君はいつものように「主命とあらば」と、それはそれは嬉しそうに笑ってくれた。

「みんなでだよ?」
「・・・・主は人が悪い」
「綺麗なものはみんなで愛でなきゃ」
「俺は隠しておきたい主義です」
「あ、また不穏な気配が。政府さんっこの刀です」
「まだ俺は何も言ってませんよ」
「本日二回目のセリフだね。まだ、ってことはいつかは言うつもりがあるんだよね」
「主、藤の品種を決めましょうか」
話を露骨にそらしにきた。確信犯め。
「へし切くんの瞳とおんなじ色の花が咲くのにしよう」
しかたないからのってやった。不穏な話は先送りにしておくに限る。
「主は俺の瞳をお気に召してますね」
「うん、大好き」
「・・・瞳だけですか?」
「瞳ひっくるめてへし切長谷部がまるごと大好きだよ」
「俺の瞳が別の色に変わったら嫌いになりますか」
「瞳の色だけじゃないでしょ。藤みたいに決して離れないのがへし切長谷部だ」
「はい、決して離れません」
「あれ、話が戻った気がする」
「そうでしょうか」
「そうでもない?」
「さて」

へし切君がくすりと笑った。うちのへし切長谷部は良く笑う。

「万屋に参りましょうか」
「うん。荷物持ち頑張ってねへし切君」
「長谷部とお呼びください」
「何回目かなこのやり取り」
「正確な数をお教えしましょうか?」
真顔で言われた。へし切君なら正確に覚えていそうで怖い。というか教えようかというくらいだから覚えているのだろう。
「やめとく」
「そうですか」
「数えてるの?」
「主との会話を忘れるなぞありえません」
「ははっ、まさかそんな冗談だよね?」
「さて」
さて、ってなんだ。思わせぶりな視線をよこすのはやめてほしい。
「冗談ということにしておきます」
「・・・・」

これ以上つっこむと藪蛇だ。私は沈黙を選択した。
万屋に向かうのに、さっとへし切君が羽織をはおらせてくれた。朝起きて櫛を通しただけだった髪も綺麗に結い上げてくれる。ちょっと万屋に行くだけなのに、いつだって彼は入念に私の身支度を整える。
結い上げた髪はとてもきれいに仕上がっている。三つ編みさえ知らなかった頃が嘘みたいだ。仕上げに藤の簪をさした。審神者になって初めてもらったお給料で買った簪だ。雅なことには疎いけれど、せっかくだから何か記念になるものをと万屋の店主に相談したら簪を薦められたのだ。審神者は霊力を髪に貯めることもできるから、必然髪を伸ばすものが多い。それゆえに髪飾りや簪は増えていく、最初の一本を特別大切にするかたが多いのだと店主は言った。
選んだのが藤の簪だったのは偶然だけれど。
うちの本丸が藤壺本丸だなんていわれるようになったのを考えると、もしかしたら必然だったのかもしれないなぁ、とも思うのだ。


「あるじ」
「はーい」


藤の簪をしゃらりと揺らして、私は私の藤の君の手をとった。








title by Javelin





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