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NEWYORK CINEMA PARADISE


うちの玄関の真ん前に、酔っ払いが一人転がっていた。クリスマスイブの夜のことである。
その夜は酷く寒い日で、このまま転がしておくのは良心がとがめた。そもそも家の扉が開けられない。三段目のステップで、酒瓶を抱えて寝こけている男が我が家のドアを背もたれにしているせいだ。酔っ払いたいのはこっちの方だというのにのんきなものだ。それも抱えているワインの瓶!それちょっといいやつじゃないか。今自分が鞄に突っ込んでいる安酒を思い出して顔をしかめた。

「ちょっと、そこの酔っ払い邪魔ですよ」

何度か揺さぶって、それでもその男はずうずうしいことに目を覚まさない。路上で寝転ぶ酔っ払いのくせに、肩をゆするときに触れたコートは酷く上等なものなのがわかった。おいおいお偉いさんは優雅なご身分ですね。酒精に混じって香るのは上等な香水と、それから?汗に混じった体臭を分析しようとして、やめた。
さてどうするか。脳内会議を開く。放っておく。警察を呼ぶ。たたき起こす?どれももう面倒くさい。何せイブである。
むむ、と頑張って肩をかす。まったくニューヨーカー(一応そう名乗って良いはずだ)は普段はこんなお節介やかないんだからね!違う、日本でやってたアニメだと「こんなサービスめったにしないんだからね!」だった。あれは美少女がやるからいいのであって私がやってもちっとも可愛くないなと自己評価を下す。
キーを突っ込んで、扉を開け、酔っ払いを玄関先のマットの上に転がした。寒さくらいはしのげるだろう。重たい荷物を抱えた肩を、ぐるんぐるんと回して暖房をつける。古いアパートだから温まるのに時間がかかる。
ケトルでお湯をわかして、インスタントのコーヒーを入れた。買い置きの安ワインを飲むつもりだったけれど、酷い酔っ払いを見て気分がうせた。
ソファに座ってテレビをつける。少しばかり浮かれたクリスマスソングをBGMに今日のハイライトをニュースがやっていた。
ううう、と酔っ払いがうなったのに少し驚いて肩を揺らしてしまった。もしもの時はと一応、護身用のスタンガンを手近なところに置いておく。

結局、時折の寝返りとうなり声以外は、ずいぶんとおとなしい酔っ払いは私がそのままソファで眠り込んで、次の日の朝スマホのアラームで目を覚ました時まで玄関横の床でぐっすり眠っていた。目を覚ましてから少しうんざりした。
これがクリスマスの朝である。年末までにはこの汚れまくった部屋を片付けなくてはと思うけれど、仕事に忙殺されて結局このままの年越しになる確率の方が高そうだ。夕方にはおそらく例年通り実家の父から死ぬほどダサい手編みのセーターが届く。職場に着ていったらばかうけ間違いない。
昨夜飲みかけのままぬるくなったコーヒーを喉に流し込んで、シャワーは職場のを使う予定なので簡単にフレークを皿に放り込んで朝食の支度をする。今日の天気は晴れ。気温はまだまだ下がるらしい。

「んん」

「起きたら出てってね」

玄関をゆるりと指さしながらミルクを皿にダボダボと注ぐ私を、のそりと起き上がった男が嫌そうな顔をしてみている。

「貧相な朝飯食ってやがる・・・・」

第一声ひどすぎません?ドン引きしたいのはこっちである。むかついたので、厭味ったらしく私はさらにミルクだけ注いで男のすぐ横の床に置いた。

「野良犬はミルク飲んでさっさと出てけバァカ!!」

せっかく寒空の下、一晩の宿を提供してやったというのに何たる侮辱。警察を呼べばよかった。ミルクを出したのだって嫌がらせだ。冷たいもん腹に詰めて寒空に放り出してやる。イブの夜だからって仏心を出すものじゃなかった。そうだ、これはキリストのお誕生日とかなんかだったはず。

「女の一人暮らしがホイホイ男上げて、あぶねえだろうが。それもイブの夜なんてな」
「うちの玄関前に転がってた人に言われたくないな?!」

ムカついたので、先週末に作ってそのまま食べるのを忘れていたスコーンを投げつけた。うまいことキャッチしやがってこの野郎。イブに一人で悪かったな。

「・・・・・」

にんまり笑う男の顔を直視して、私は沈黙した。そして眉間にじわりと皺を寄せようとした。不愉快ですという顔をしなくては。路上で眠りこける酔っ払い男なのだ相手は。
例えものすごく顔が良くても、それで全部がチャラになるなんてそんな!そんなことはいけない。だめだ私、しっかりしろ。にしてもこの顔、どこかで見たような?さすがはニューヨーク、路上に有名人が転がっているなんてこともあるのか?

「恋人にフラれでもしたか?」

そうだよ!!図星だったので朝食をかきこむように食べきって、歯磨きをして。カウンターの上の鍵束と、コートをひっつかんだ。

「出るから!」

男を蹴飛ばして、ドアから追い出し鍵を閉める。自分のテリトリーから追い出して一息つく。公共の道路に足を踏み出す前に「次はないんで!」とだけ言い捨てた。くそ、くそ、イケメンは何しても優しく許してもらえると思うなよ!許さんからな!

「なんだもう仕事か?」

「え、ついてこないでください」

「俺もこっちなんだよ」

「へー」

「お前ほんと気をつけろよ?昨日は俺だから何事もなかったけどなぁ」

「・・・・・・・朝出勤前に凍死体を発見なんて嫌だっただけですー!!イブの夜だし善行積んどこうと思いまして?それにおかしな身分じゃないのは一目瞭然でしょ宿泊料せびってやろうかと思ったくらいだ」

男はペリドットの瞳をキラリと愉快そうに光らせた。

「上等なスーツ。誂えなのは人目でわかるし、手触りからして高級品」

「おいおい酔っ払いのどこ触ったんだ?」

「玄関に担ぎ込んであげたでしょ!それにその香水!英国で一昔前に流行ったけど、調合できる人間が少なすぎて一般には流通しなくなった王室御用達のやつだ」

「へえ、詳しいな?」

「職業柄ね」

「なんの仕事だ?」

質問は無視した。

「総合的に見て、英国のアッパークラス、お貴族様のおぼっちゃん。それが襲いかかってきたなら家にしかけた防犯カメラで訴訟大国アメリカに住む人間の名にかけて、がっぽり賠償金もらおうかなとは思ってましたとも」

「悪くない推理だ、ミス・ホームズ」

愉快そうに拍手される。こんなワトソンは嫌だ。じっちゃんの名にかけて断言するが、こんなの推理でも何でも無い。
べはは、となんとも間の抜けた笑い方をするから気が抜けてしまう。ああしまった、これにかまけていたからマフラーを忘れた。ぶるりと震える首筋を守るようにコートの前をぎゅっとあわせた。にぎやかすぎる色合いのマフラー。振られた恋人がくれた去年のクリスマスプレゼントだったことを思い出して、帰りに新しいのを買いに行こうと決めた。

「宿泊料請求しねーの?」

「むかついてる相手からはビタ一文欲しくない。この辺、治安が良い方の地区だけど、あの格好で外に寝るのは自殺行為だし、身ぐるみ剥がされてたっておかしくない。酔っ払うなら自分の家でにしなよね」

確かに寒いな、と隣を歩きながら男が同意した。そうだ寒すぎるのが全部悪い。でなきゃ絶対にほっておいた。あまりにも、一人でいるには寒すぎる夜だった。

「英国民にスコーンよこすあたりは感心だな。味はまあイマイチだったが」
「あれ数週間前の賞味期限切れだからおなか気をつけてね」
「は?!お前なぁっ!」
「見ず知らずの人からもらったものを疑いもせずに食べちゃいけませんよ」
「どうりでパサついてた」
「でしょうとも」

ざまーみろだ。

「腹こわしたら訴えるぞ」
「いやー、英国民がスコーンでおなかこわしたってアメリカで訴訟起こすの控えめに言っても最高にダサいですけど覚悟はOK?」
「ぐ、」

べはははー、と先ほどの高笑いを真似してやった。
私の出勤道中にさんざん構い倒して、ご機嫌そうな顔のいい酔っ払いは、死ぬほど腹が立つことにここら辺で一番いいホテルへと当たり前みたいに向かっていく。
ジーザス。やはり推測通りに顔がいいだけじゃなく金もあるらしい。そりゃあ、あそこのモーニングを食べるご身分ならば、私の朝食なんて貧相極まりなかろう。格差社会が憎い。
ふう、とため息ひとつをついた。
向き合う相手を分析しようとするのは良くない癖だ。職業病だ。
ベルボーイの反応がやけに丁寧で、定宿にしているのが見て取れた。美しいクイーンズイングリッシュ。
向こうがホテルへ入る直前ちらりと振り返る。しまった、見ていたのに気づかれた。
口元をにんまりとあげて、『またな』と口が動いている。読唇術を使うまでもないシンプルな別れの言葉。いや、またはない。絶対ない。ひらりと手を振って去って行くのをうっかり見送ってしまったから、これでは私が男をホテルに送ったけれど未練たらしく見つめている女みたいだ。朝一でこのシーンを見れば私だってベルボーイと同じ顔をした。
風を切るように、職場に走った。さっさと行ってシャワーだけでもあびて、また楽しいお仕事の時間だ。
地下鉄を更に乗り換えて、職場のあるビルでいつも通りIDカードを出そうとしてーー私は固まった。ない。
警備のローリーが気の毒そうな顔で私の肩を叩いた。打ちひしがれて、とりあえず家に忘れてきたのかもしれないと踵を返しかけたところでスマホが鳴った。着信は知らない番号だったので、とりあえず無視した。職場の先輩に泣きついて、午前を半休にしてもらう。
幾人かの同僚とすれ違いながら、来た道を引き返す。また同じ番号からコールが続く。しつこい。
地下鉄の駅を出たところで、いい加減面倒くさくて「Hello!!」と八つ当たり気味に通話に出た。

『――メリークリスマス、ミス・ホームズ。ご機嫌ななめか?』

ジーザス。
なんでだ?どうして酔っ払いがこの番号を知ってるんだ?通話の先からは麗しのクイーンズイングリッシュ。
ワトソン君なんて可愛らしいイキモノではなかった。

「・・・・・・OK,モリアーティー教授、私のID返してくれません?」

直感だ。家にはない。
このタイミング、通話越しの声に感じる面白がるような声音。やたらと構われ、振り払った腕。どのタイミングだ?自分でも頭を抱えたい。

『マンハッタンのホームズはFBI勤めか。せっかくイギリス人なんだからロンドンでヤードに入ればいいのに』

「もうグリーンカードがあるのでれっきとしたアメリカ人です」

IDには母国のことなんて書いてない。つまり、名前から経歴が調べられている。なんで。お偉いさんの醜態を見たからってベラベラしゃべってゴシップに売るような真似でもするかと思われた?それなら心外だし、誰もお前に興味ないわバカ!とFワードと共に怒鳴り散らしてやりたい。
確かに私は日本とイギリスのダブルで、今はグリーンカードを取得してめでたくアメリカ人だ。

「ジェームズ・ボンドよりイーサン・ハントですよやっぱり」

『ミス・ホームズ改めエージェント・ハント、お前のIDだけどな、ホテルのフロントに預けといたから取りに寄れよ』

「それ、もう廃棄でいいんで」

紛失していたIDなんてそのまま使えるわけがない。上司にはこっぴどく叱られるのが目に見えた。

『そういうなって、一宿の詫び代も預けといたから』
「いりません!!」

通話を終了した。
誰がノコノコと行くものか。絶対に行かない。絶対にだ。あの、個性的な眉毛をむしってやればよかった。いつまでもスマホを睨みつけていても仕方ない。即座に職場に引き返すと、なぜか上司が待ち受けていた。入口で。なんで?このまま解雇を言い渡される?そんなまさか。解雇をわざわざ言いに来てくれるほど、この職場は優しくない。

「お前・・・・・すぐに指定されたホテルに行け」

「はい?」

「返事はYES,それだけだ」

Hurry!!と急かされてはしようがない。例え自由の国アメリカだって、一兵卒のようなご身分ではNOを言えるはずもない。「YES,BOSS」と我ながら嫌そうな声になった。
地下鉄にも乗らずに、歩いてマンハッタンをのろのろと歩く。足取りが重い。行きたくない。上司を出迎えと伝言役にできるような相手ってなんだ。そんなめんどうなものを拾ったのか自分は。
もしかしたら、ボスと繋がっている裏社会の顔役?FBIがそこまで腐っているなんて!自由の国万歳!と心から思っていたのにがっかりだ。
どうせ半休をもぎとっているわけだし、IDの件は不問にしてもらえそうなのだからと途中のベンダーでホットドッグを買って食べる。シェイクシャックとスタバをはしごして、お腹がミルクとフレーク以外のもので満たされて。これであとはシャワーが浴びれたら最高だ。寄り道をしながら、最後の角を曲がるとご立派なホテルが見えた。徹夜が続いていた疲労の濃い顔で、よれよれのスーツを着て足を踏み入れるなんて到底許されないような門構えだが、しようがない。人の流れにのっかって、するりとホテルへともぐりこんだ。



『 親愛なるミス・ホームズ 』

手癖の悪い男にはもっと用心が必要だ。
とはいえ君が俺に仕掛けた《耳》も素晴らしい。勿論これも一緒に返させていただく。
一宿一般のお礼と言っては何だが馴染みのテーラーを紹介しよう。
素晴らしいスーツの一着でも仕立てるのをおすすめする。

『君の一晩限りのワトソン、或いは紳士的サンタクロースより』



フロントで、渡されたのはそんな気障なカードとテーラーの名前が走り書きされた紙だった。ワオ。気障ったらしい!
私はスーツの内ポケットから、就職記念にと自分で買ったとっておきの万年筆を取り出した。美しいブルーブラックのインクで、フロントに貰ったカードに裏書をすると「送り主に渡してください」と託した。
そうして、スマホにかかってきた番号を即座に着信拒否に登録した。




***




『親愛なるかどうかはわかりませんが、ワトソン兼サンタ気取りのモリアーティー教授改め、ヒギンズ教授もしくはガラハット卿』


スペインの雨は主に平野に降りますが、ここはアメリカなので問題ありません。
礼節が人を作る。全くその通り。
スーツの件、ご教授誠にありがたく存じ上げますが、女性が見ず知らずの男性に服を贈って喜ばれると思っていらっしゃるなら全くもってナンセンスであるということをお伝えしておきます。
それよりも、私の《耳》にお気づきとは素晴らしい!警戒心は身を助けるというものです。夜道で酔っ払って寝込むことにも、もっと警戒を抱かれますよう。



『親切なニューヨーカー』


なお、このメッセージは5秒後に自動的に消滅する――ことはないので、焼却くださいますよう。




***




思わずカードを読んで男は笑いを噴出した。ブルーブラックのインクが、癖のあるスペルで踊っている。万年筆の趣味は悪くない。

「なんだいイギリス、いきなり笑いだすなんて気味が悪いぞ」

「俺も年取ったな」

「今更かい?そんなのとーっくの昔から俺は知ってる」

アメリカは胡乱な顔をした。欧州の年寄り連中ときたら、厄介極まりない懐古主義だ。それを打破するのが俺たち若者の役目なんだぞ、と。

「若さって素晴らしいな」

あんまりにもしんみり言うから、アメリカはちょっと引いた。昨晩、酔っ払いの回収を頼まれたのを無視したけれど、きちんとスーツを着て何食わぬ顔して会議に顔を出しているので問題はなかったのだろうけど。イブの夜だし、アメリカにだって予定はある。とはいえ少しばかり心配になって言葉をつづけた。

「君、俺んちの国民に面倒かけてないよね?」
「あー?ねーよ、別に」
「イギリス、昨日はどっかでお楽しみだったみたいじゃーん」

会話に割って入ってきたフランスの言葉に、アメリカはうげげ、と眉をひそめた。やっぱり自分が行かなかったのはまずかったかもしれない。ホテルに戻ったのは朝方で、朝食に出かける寸前だったフランスと出くわしたらしい。

「イギリス?!」
「可愛いイライザに振られただけ」
「はあ?」

スペインの雨は主に平野に降る、スペインの雨は主に平野に降る.
歌うように滑らかなクイーンズイングリッシュでイギリスは懐かしい映画のメロディを口ずさむ。

「マイ・フェア・レディ?」
「ピグマリオン」

即座にイギリスが追加情報を入れた。かの映画はイギリスの戯曲『ピグマリオン』が元になっているのを声高に主張した。フランスが噴き出す。あの映画のロサンゼルスプレミアの夜はそれはもうにぎやかなものだった。各界の有名人たちが、軒並み顔をそろえていた。フランク・シナトラ、スティーブ・マックイーン夫妻、ユル・ブリンナー。ドラマで人気の女優すら収録を切り上げてかけつけた。イギリスとフランスも、アメリカの招待を受けていた。

「言っとくけど、君んちが舞台にはなってるけど、世界で有名なのは俺んちの映画なんだぞイギリス」
「ブロードウェイで初演を飾ったイライザはうちのジュリーが主演だし、オードリーもイギリス国籍だ――まぁ、あの映画は悪くなかったなお前んちにしては珍しく。ワーナーの野郎のどや顔が鼻についたのを除けばな」
「確かに!おにーさんもアレ好きよ〜、オードリー可愛かったよなあ」

フランスに言わせるには、あのイギリス人教授を最後に選んじゃうラストだけが勿体ない、らしい。もっと多いに恋をするべきだったね!と。アメリカも当時は「あそこで彼のとこに帰るなんてどうかしてるよ」と言ってはいたけれど、万雷の拍手の最中ではきちんと一緒に手を叩いていた。途中から教授がイギリスに見えたと心底うんざりした顔を見せるものだから「俺のイライザがお前に務まるかよバカァ!」とイギリスはアメリカを蹴飛ばした。19世紀末にエジソンの発明によって生まれた映画は、その後20世紀を華やかに彩り続けた。幾度もの戦争の最中にすら、それは作られ続けた大衆の夢。21世紀になっても、それは変わらず新しい映画が生み出され続けている。

「ところで、これ意味わかるか?」

イギリスは、フランスのご高説をスルーして宛名書きの最後を指さす。
ヒギンズ教授までは何となくわかったけれど、最後のガラハットがどうにもピンと来ない。英国人だから円卓になぞらえたのだろうけれど、皮肉に満ちた文面からすると何かに引っ掛けてあるのだろう。
アメリカが更ににっこりと笑う。このカード最高にクールだ!と叫ぶ。

「意味あんのか?」
「With respect, Arthur, you’re a snob.」
「あ?」

アーサー、はイギリスが使う人名だ。どこでも国名で呼び合うと目立つし、不便もある。アーサー・カークランド。
いつから使い始めたかは、正直記憶に怪しい。フランスも首をかしげた。

「おっと、台詞を間違えた!映画だよ映画!このカードの子さいっこうにクールだよ?わかんないなんておっさん連中は何であの映画見てないのさ」

「お前だってうちの映画見ないだろ。てか思い出したわ、うちのソフィアちゃんが最高に可愛い映画だろソレ」

「フランス映画は眠いんだよ!あと爆発が足りない。だいたい、フランスはともかくイギリス!あの映画は米英協同だし主演は英国俳優なのに!!ほら、勲章もらった彼も出てたよ!!ラストの爆発がさいっこうにクールなスパイ映画!見てないのか・・・・イギリス君もうちょっと自国の若者文化ふれた方がいいんじゃないかい?」

「勲章やってるのは俺じゃなくて陛下だ」

「授与のたびにチェックして回ってるの知ってるんだぞ」

君ってほんとねちこい!とアメリカは肩をすくめて見せる。

「イギリスを舞台にした映画だよ。老舗のテーラーに擬態しているけれど実はどこの国にも所属しない諜報機関なんだ。そこのエージェントは皆、円卓の騎士の名をコードネームにしてるんだぞ」

スマホでアメリカに見せられた映画のガラハット役は、いつぞやバーティの役をしていた俳優だった。あの映画も中々良かった。

「バーティのスピーチが成功した時は感動したな・・・・いい演説だった」

「あーもう!おじいちゃんたちはすぐ思い出アルバムめくりだす!!とにかく、そのガラハットが最初に若い将来有望な少年を見出してエージェントにして、スーツ作りに行ったりするシーンがあるんだよ。よし、今晩上映会だ!会食の会場にフルスクリーンを用意するんだぞ!」

「それはいいですねえ。あの映画、うちでも大人気でしたよ?コミケでもそれはそれは賑わって・・・ところで、そろそろ会議が始まりますよお三方」

「ホスト国、準備できてんのか」

「できてるできてる。クリスマスに会議なんて長々やってられないからね!さくっと進めるんだぞ!ところでこの《耳》ってさもしかして、」

「返事を繰り返すんじゃない。イヤリングを模した盗聴器がポケットに放り込まれてた。かなり高性能だったが、気づかねーわけねーだろが、俺を誰だと思ってんだ?」

「振られ男でしょ」

スパイ大国のイギリスでなければきっと気づかなかっただろう。その程度には精工だった。なるほど、面白い。

「よし、アメリカ一発殴らせろ」

「In Hartford, Hereford and Hampshire hurricanes hardly ever happen!ハリケーンならうちの専売特許だ」

「てめえを殴るのにハリケーンレベルの勢いはいらねぇっての」

「はいはい、そこまでにしましょう」

日本が間に割って入り、その場は収まった。
The rain in Spain stays mainly in the plain.――スペインの雨は主に平原に降る。
会議で円卓の向かいにスペインが間抜け面をさらして座っているのを見て、イギリスはまた一人喉を鳴らして笑った。久方ぶりに酷く愉快で、あの狭苦しいニューヨーカーの家を思い出す。
散らかり放題の、無秩序さ。インスタント・コーヒーの安っぽい香り。
その若さをまぶしいと思った。
「その子の名前は?」と期待に満ちた目で会議後アメリカに詰め寄られたけれど、イギリスは勿論黙秘をつらぬいた。ぶーぶーと文句をたれるアメリカに「礼節が人を作るんだろうがアメリカ」としたり顔で説教してやると、アメリカは砂でもかんだかのように微妙な顔をしていたのが傑作だった。




***



自分に与えられたデスクで事務仕事を片付けていると、PCがアラームを告げた。自宅にしかけている防犯システムがアラートを発している。すぐさま自宅のカメラにつないで、私は飲みかけていた温いコーヒーをごくんと飲み込んだ。
「じーざす」
同僚がひょいと私のデスクトップをのぞき込み、顔色を青くした。「お、おまえ、何やったんだ?」と声が震えている。なんだその反応。
同僚はそのままボスの執務室に駆け込み、今度はボスをつれて戻ってきた。ボスがにっこりと笑っている。待って、怖い。なに。ボス、イギリス人にどんな弱みを握られているんですか?アメリカ連邦情報局の誇りは?
GO HOME!!と仕事を全部取り上げられて、フロアを追い出された。


「よう今朝方ぶりだな、ミス・ハント」


酔っ払いが、私の愛用ソファにふんぞり返っていた。
どこでもドアが欲しい。そしたらドアを英国とフランスの間のドーヴァーにつないでこの不法侵入者を沈めるのに。

「何しに来たんですか」

不法侵入者は勝手知ったる顔でテレビの電源を入れた。ふいに、どうも部屋の中が綺麗になっているのに気が付いた。

「・・・・・え、まさか掃除を?」
「感謝しろよ?金は受け取らないっていうからな、労働で返してやることにした」

スコーンも焼いたといたぞ、というがデスクの上にあるのはどう見ても炭だ。嫌がらせか?サンタを気取るなもう少しましなものを作って欲しい。

「FBI職員の家なんですよ一応・・・・勘弁してください」
「機密なんてなかったろ。ガジェットの試作品くらい、どこでも似たようなことやってんだからそう目新しいもんでもないしな」
「・・・・・・そりゃまあ、そうですけど」

朝とは違うスーツだが、これまた上等だ。

「ほら、紅茶淹れやる」

どこから見つけてきたのか、我が家にある貴重なティーセットがキッチンカウンターに並べられている。茶葉はハーニー&サンズだ。

「茶器のセットがあったのは上々だ。元でも英国民なら当然だな!茶葉はまぁ、悪くはない」

続けて「良くもないが」なんて評するところが最高に嫌味ったらしい。ハーニー&サンズはアメリカの紅茶メーカーだ。いいんだよ。ここの茶葉の缶はパッケージが可愛いから。普段はインスタントコーヒーで手早くすませてしまうけれど、半分はイギリス人の血が流れている。父の教えで紅茶の淹れ方くらいは私だって知っているし、休日のゆっくり時間がとれるときの癒しのアイテムだ。

「だから、何しに来たんですか?」

職場を追い出されるほどに、要接待人物。早く帰って欲しい。

「映画見に」
「.......Pardon??」

酔っ払いは美しい所作で紅茶をティーカップに注いだ。

「礼節が人を作る――ってやつ」

麗しいアクセント。ああ、まるであの映画に現れた英国紳士のように。かっこいい、とか見惚れている場合ではない。しっかりしろ私。
お茶会映画観賞会の準備が整い、私はその夜を強引な名無しの横に座って大好きな映画の一作を見た。スコーンは炭としか思えなかった。ポップコーンとコークが良かったと嘆くと、ご立派な眉毛を寄せて「アメリカナイズされやがって」と舌打ちされた。仕方ねえな、と彼は可愛らしい箱をもったいぶったようにあけた。中には美味しそうなチョコレートが並んでいる。スコーンは炭だったけれど、チョコは最高だったし、何より・・・・紅茶は人生で一番おいしかった。父の淹れたものよりも。軽くショックを受けてぼうぜんとしていると、男はいそいそと他人の家のデッキにDVDをいれた。なるほど、キングスマンは見ていなかったらしい。伝わらない映画ジョークや皮肉ほど悲しいものはない。
ティータイムが次第に飲み会に変化し、ラストの大爆発で男は爆笑しながらエールを煽った。質の悪い飲み方にうんざりしつつ、絡み酒の男に相槌を打った。先ほどの紅茶を淹れていた紳士が完全にログアウトである。クリスマスの夜に何を自分はやっているんだか。我ながら呆れてしまう。
礼節も何も宇宙の彼方だ。高級チョコレートを口の中で転がした。
映画のエンドロールのころには、ご機嫌に就寝あそばされたのにはあきれ果ててものも言えない。深いため息を一つついていると、スマホが鳴った。上司だろうか?
画面は非通知を示している。

『Hi!!夜遅くにごめんよイライザ!』

誰だイライザって。いや、私のことか。
それよりも、どこかで聞いたことがあるような声に首をひねる。脳内のデータバンクを漁るけれど、付き合いで飲んだエールで少しばかり私も酩酊しているのか、正解が出てこない。だれだっけ?どこかで、絶対聞いたことがあるはず。何かの映画だった?ドラマ?思い出せない。

『そこに寝転がってる人なんだけどさ、明日の朝には回収するから――Hooo!!愛はいいねえ!!――おい、電話中なんだぞ!』

ジュテームとかなにやらフランス語が聞こえた。スペイン語のヤジがさらに混じっている。随分と多国籍だ。

『Sorry!とにかく、明日の朝まで頼むよ!寝ちゃったらその人めったなことじゃおきないし、ソファに転がしとくのはいいんだけど、せめて何か毛布だけでもかけといてくれると助かるな!』

ひくりと口元が引きつった。
持って帰ったラップトップにちらりと視線を送る。それから仕掛けてある防犯カメラのうちの一番見つかりずらいものを目線で確認した。

『大丈夫、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで――なんて言わないとも!君の安全はちゃんとアメリカ政府が保証するんだぞ!ではっ成功を祈る!』

メリークリスマス!と明るいテンションの男は一方的に会話が終了した。私は一言も反論の余地がなかった。少しも安心ができないし、防犯システムは全部コード組み換えようと心に決めた。
むにゃむにゃとご機嫌な酔っ払いに仕方なく毛布を掛けてやって「ミッション完了」と防犯カメラに向かって中指を立てたのは、許されていいはずだ。
カメラを覗き見している不埒ものたちの、多国籍な笑い声は幸いにも聞こえなかった。




***



それ以来、不定期にこの酔っ払いは我が家に映画を見にやってきては紅茶を淹れ、炭みたいなスコーンを作っていく。それからアメリカナイズされつつある私のアクセントに文句をつけて、英国アクセントの講義を延々としはじめる。しばらくそれに延々と付き合っていたらある日突然殊勝な顔をして「嫌じゃねえのかよ」なんて自信なさげに玄関の前に座り込んでいたから支離滅裂すぎて一周まわて興味深いなと思った。
別に嫌じゃない。周囲には多少からかわれることもあるけれど、この人のアクセントはとても綺麗だし、時折講義の成果を発揮しつつある私につられて英国アクセントになる同僚がいるくらいだ。ちょっとした職場内での流行になりつつある。誰が一番うまくなるか、そのうち賭けが始まるに違いない。やるからには俄然やる気だ。私は一層熱心に教授の講義を受けている。むしろ、向こうが困惑しはじめた。なんでだ。やる気のある生徒で喜ぶところなのではないだろうか?ついにこの間は連絡先も交換した。彼は不定期にやってくるが、講義が滞ることの不満を告げるとリモートで2週に一度ほど時間をとってくれるようになった。こうなってくると、少し申し訳ないかとも思った。自分の知識欲のために、面倒をかけているのでは?という心配がよぎった。が、べろべろに酔っ払って現れた上に、愛用していたソファの上で吐いたことで帳消しにした。ちくしょう、こっちが満足するまでこきつかってやるからな。
古びたソファだったけれど、一目ぼれして買った一点ものだったのに。

そんなこんなで、しばらくはヒギンズ教授、だのライヘンバッハの滝つぼに帰ってくださいモリアーティー教授だなんて呼びかけるたびに男はおかしそうに腹を抱えて笑って、次はなんて呼んでくれる?なんて面白がっていたけれど、ある日――「アーサー」と、そう呼んでくれと少し照れ臭そうに言って「そろそろお前も呼ぶ名前を考えるのが大変だろうからな!」なんていうツンデレテンプレみたいにそっぽを向いた。英国人のアッパークラスでアーサーなんてベタすぎやしないかとも思ったけれど呼んでみると随分しっくりきた。スマホの連絡先の登録も『Sir.England』(この登録を最初に見たとき、彼は何とも微妙な顔をしていた)から『Arthur』に変えた。

「――With respect, Arthur, you’re a snob.」

ああ、まったく自由の国の民になったはずなのに私の下宿はいつのまにやら酔っ払いアーサーのキャメロットだ。






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