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From Your Hydrangea


美しいペリドットの瞳がイギリスを射貫くように見つめていた。
その瞳の色を、イギリスは毎朝鏡の中で見ていた。そうだ、アメリカがいっていた。CIAから引き抜いた秘書官は君とそっくりなグリーンアイズだよ、と。憎たらしくなるくらいにねと茶化すものだから、それはさぞや美しい色なんだろうと自画自賛も込めて言ってやった。
だというのに。
その瞳以外のすべてを、知っているような気がした。
その烏の羽ような黒髪。日本人とアメリカ人のハーフだという。ありきたりな髪色だ。

「ーーレディ・ハイドレンジア《紫陽花》?」

遠い日の記憶が浮かび上がる。
戦場の影の中で咲いていた、極東の花。それは血の雨のなかですら、しぶとく咲いていた。
女は少しだけ困ったように笑った。

「親愛なる紅茶と薔薇と、刺繍の君」

差し出されたのは一枚の真白いハンカチだ。そこには少し歪な赤薔薇が刺繍されていた。

「大叔母が、私にだけ教えてくれたんです。私の瞳の色が、大叔母の大事な人にそっくりりだったから」

貴方です、サー・イングランド。ようやく貴方は見つけてくださった。
万感の思いが込められていた。イギリスはただ、微動だにできずにいる。怒濤の日々だった。あの頃の記憶は、国として生きて尚、濃厚な色味を含んでいる。これまでの戦争がごっこ遊びに見えるほどに、あの戦争は世界を変えた。

「あいつは、」

声は幾ばくか震えていた。
戦後、極秘で探して結局見つからなかった。そのうちに、また何か面倒ごとに首をつっこんでいるんだろうと探すことを諦めた。米ソの対立にただ中に、日本という国は巻き込まれるようにして立っていた。その立地から、避けられようもない事態。平和を願った彼女ならば、また歴史の影で暗躍を続けているのかもしれない。それを部外者である自分が私情から暴き立てるような真似をするのははばかられた。

「あいつは、今、」

どうしている、とは続けられなかった。あれから何年たった?
自分たち国は外見の歳をとることはない。

「大叔母は、凄腕の女スパイでした。そして、スパイにあるまじきことに国に恋をした。でも大叔母は国家の機密に顔をつっこみすぎていて、とてもじゃないけれどそれを誰かに明かすなんてできなかったそうです。スパイの心得は、多岐にわたってありますが任務によって得た情報は決してもらさないのは基本中の基本です。大叔母はそれに準じた」

彼女へのこの感情はイギリスにとって果たして恋であったのか。顔を合わせた時間など、国の長い時間の中では瞬きするより短かった。

「手紙を貴方に」

渡されたハンカチと、手紙。美しい白い封筒には筆記体で宛名がかかれ、裏は薔薇の刻印が封蝋されていた。




****




大叔母がスパイだったのに憧れて、それでこの仕事に付いたのだと告げるとミスター・アメリカはその空色の瞳をきらきら光らせて「まるでエージェント・カーターみたいな?」と問うてきた。流行りの映画だ。
彼はアメリカ。国の化身。ならばこそ、あの星条旗を背負ったヒーローのことを愛さずにはおれないだろう。
大戦中、スーパーヒーローになり、そして氷の海へと帰らぬ人となったキャプテン。星条旗を模す盾持つ英雄が愛した女性が誇り高きエージェント・カーターである。映画さながらの武勇伝なんてものを大叔母は話してくれはしなかった。人づてに聞いた噂で質問攻めにする私を、ほほ笑みひとつでごまかすのだからやり手ではあったのだろう。
大叔母にとってただ一人の人は《キャプテン》ではなく《サー》だった。その事実にたどついたのはいつだったか。答えを与えてくれるような優しい人ではなかった。散りばめられた謎、暗号、そんなものを追いかけているうちに、私はCIAなんてものに所属して世界を飛び回っていた。
母がアメリカ人と結婚して海を渡った時、いい時代になったものだと大叔母は心から思ったらしい。

「おばさまは、和平派だったんでしょ?」
「残念だけれど、和平にだけ関わっていられたわけじゃないのよ」と大叔母は悔いるように目を細めた。

戦争はあらゆるものを飲み込む濁流だ。善も悪もなく、あるのは人の業だけだ。わかっていて繰り返し続ける人間の愚かしさを、大叔母は何よりも恐ろしいものなのだと私に繰り返し教えた。
大叔母の伝手のある日本を就職の選択肢から外したのは少し意地のようなものだったかもしれない。スパイのいろはを教えてくれた師でもあった人を裏切って、アメリカと言う超大国の、その歯車として生きていくと決めたときに「貴方の信じるべきもののために進みなさい」と大叔母は言った。少しだけ寂しげに。
それが、実際のところ彼女の私への最後の言葉だった。彼女の死を聞いたのは、奇しくも私がミスター・アメリカの秘書へと引き抜きが決まった日のことだった。
遺言にはただ、すべての遺産は私に譲るとあり、私は母の祖国である日本に幾分かの資産を得た。
葬儀には多くの人が訪れた。日本の片田舎、彼女の愛した紫陽花屋敷でとり行われた葬儀では見知らぬ顔がいくつもあった。その誰もが名を名乗ることもないまま、深く深く彼女に追悼をささげ、棺に紫陽花を入れた。けれど、一人だけ。何度か私も屋敷で顔を合わせたことある老紳士が、美しい真っ赤な薔薇を大叔母の手元に握らせた。
献花は紫陽花ですと告げようとした母を、私はとっさに止めた。紫陽花のブルーの中で、その赤薔薇はことさらに映えた。大叔母が、時折窓際に一凛の薔薇を生け、そんな時はきまって下手くそな刺繍をしていたのを思い出したのだ。
子供のころ、幾枚かクリスマスプレゼントに贈られた刺繍入りのハンカチはあまり出来がいいものではなかった。なのにあの人はこりもせずに刺繍をしていた。一杯の紅茶だけをお供にして。


「君の大叔母さんに会ったことがあるよ!」

ミスター・アメリカが突然思い出したように言った。

「ちょっと、英国訛りのある英語だったけど、俺たちをこれでもかってくらいに煽るんだ。最後まで彼女のしっぽはつかめなかったんだから、大したものさ!」

「しっぽ?」

「太平洋の海の上で、聞いた彼女の声を今でも覚えているよ」

「・・・・・それ、機密では?」

「もう機密を君とわけあうのだって問題ないだろう?だって君は俺の秘書官なんだから」

アメリカは笑って、打ち明け話をしてくれた。私の勤務初日は、偉大なる大叔母の足跡をたどることから始まった。



――東京に棘ある薔薇が咲いている。

歌うようにアメリカ兵たちは口ずさんだもんだよ?それはそれは楽し気に、彼女は俺たちに語り掛けるんだ。
『こんにちは米兵さん?遠いおうちから離れて、そろそろ恋人が恋しいころかしら?それともママが?可哀そうに、あなた方の居場所はみーんな私たち知っているのだから、もうおうちには帰れないわ。さよならは言わなくてもいいかしら?』
こましゃくれた英国訛りのアクセント。軽やかなリズムで語り掛けられる言葉は鈴の音を転がすようだと日本人ならば表現する。
敵兵の戦意をそぐために行われた軍事放送は、幾人かの女性によって行われた。

「・・・・・まってください、もしかしてそれって東京ローズ?」

戦時中の幾つかの逸話だ。いつか日本に上陸したら、あの麗しの薔薇の顔を必ずや拝んでやると意気込んだ米兵は割合多くいたらしい。そして、その件は一人の女性の名乗りによって一応の終結を見ている。決して、大叔母ではなかったはずだ。

「あれ?その辺聞いてないのかい?俺はさ、戦後しばらくして米ソの対立が激しくなった当たりで一度だけ彼女と顔を合わせたことがあるんだけど『こんにちは、米兵さん』って俺に彼女が声かけてくれたものだから一発でわかっちゃったんだ彼女だ!って」

しかし証拠はひとつもなかった。

「最後まで白をきられちゃったんだから」
「おしのつよい祖国にしては珍しいですね」
「絶対彼女なんだぞ!」

ミスターが言うならば確かなのだろう。あの人は、確かな答えを決してくれないちょっと意地悪なところがある人だった。
すぐに調べてみると、当時の放送局に大叔母の親戚筋が勤めていた。各国を飛びまわる、英語の堪能な親族に頼むことがあったのかもしれない。
――善も悪もなく。人の業と、情と、欲が絡まりあって。

「大叔母は薔薇も好きでしたけど、何より紫陽花を愛した人でした――ところで、大叔母がエージェント・カーターってことは私のポジション結構不毛じゃないですか?」

「ん?」

我が祖国はシェーク片手に首をかしげる。ふんす、と自分の名推理を披露した興奮のままに彼の瞳はきらきらと輝いている。

「こっちの話でした」

まだ祖国には告げていない。私が局を辞して、ミスター・アメリカの秘書にジョブチェンジした動機のひとつ。随分と長いことかかかってしまったけれど、大叔母からの挑戦に私は勝利した。彼女の残したすべての暗号を解き明かし、世界中にちらばったパズルのピースを拾い集めて。たった一つの、真実を私は見つけた。

「私は、ちょっと遅すぎたんです」

祖国は目を丸くして「君はいつも時間ぴったりじゃないか」体内に時計があるんじゃないかい?といたずら気に目を細めた。
いいや、遅かったのだ。
あともうほんの少し、足りなかった。
真っ赤な、一凛の薔薇を思い出す。大叔母は後悔してはいないだろうか。すべてを自分にかけたことに。

「昔、独立戦争に勝利したときって、どんな気持ちでした?」

「なんだい突然。ぶしつけな質問だぞ?それ」

「私もしたんです。独立戦争」

そして勝利したけれど、どうしようもなく打ちのめされた。たまらない。

「私は、」

仲直りがしたかった。するつもりだったのだ。
彼女の出した謎をすべて解き明かして、宝物を見つけて、それを抱えて帰るつもりだった。それなのに。

「私の親代わりも同然の人の頑固さが腹だたしくて、自由の国へ飛び出した」

耳が痛いな、と彼がつぶやく。

「それでもこの国を選んだことを後悔なんてしてないんですよ祖国」

「俺もだよ」

紫陽花が咲き誇る庭に立つイギリスを二人で眺めている。日本家屋の縁側に座って。
『レディ・ハイドレンジア』彼が私を見て、そうつぶやいた会議の後で、祖国は私と彼を連れてすぐさま日本に飛んだ。この有無を言わさぬ行動力ときたら。私や彼の予定も、それこそミスター・アメリカの予定だって何一つ確認なんてするより早く動き出して。飛行機の中であちらこちらに謝罪しながら、スケジュールを再調整した結果、数日の休暇をもぎ取れた。

「サー・イングランドは優しい方ですね。粘着質なストーカーじみてる女のこと覚えいてわざわざ来てくださるなんて」

彼らにとってほんの瞬きする合間だろう。

「あの人、強い女性には弱いんだよ」
「会いに行けばよかったんです、大叔母は」

彼女は多くを知りすぎて、深く深くこの国に関わりすぎていて。あんなにも自由に、世界の裏側を飛び回る翼をもっていたはずなのに。

「素直じゃない」

紫陽花の庭を一人で歩き回る彼は、一体どんな気持ちなのか。自分をかつて助け、知らない所で恋をして、そして死んだ女の最後の手紙を渡されて。迷惑ではないだろうか。いや、そんなはずはない。私を一目見て、彼の口からこぼれた言葉こそが全てだ。

「時間なんて関係ないさ。きっと、これから先だって、あの人は執念深いから紫陽花が咲くたびに君の大叔母さんのことを思い出す」

「もっと、自由に生きればよかったんです」

自分ならきっと飛んでいく。でも、それは大叔母の流儀ではない。彼女たちの時代には、彼女たちの時代のポリシーがあり、矜持があり。いや、それは建て前だ。どこで生きるか、どこで死ぬか。いつだって人は選べる。大叔母は、自らの職務に殉じる道を選んだだけだ。

「ばかみたいです、頑固で」

アメリカは嬉しそうに顔を緩めた。

「君がおれんちを選んだのはそれでかな?」

日本でも、英国でもなく。私はアメリカで生きる道を選んだ。そう。そうかもしれない。自由の国だって、すべてが理想通りではないのだってわかっていても。掲げられた理想を振り仰ぐ。

「私は、丘の上の輝ける街を見たいんです。そのために海を渡った」

青い瞳がきらめいている。この青のもとで私は生きるのだ。
それが、私が美しい紫陽花の庭のある国よりもずっとずっと若い、新しい祖国に誓った独立宣言だった。
ミスター・アメリカが「ようこそ自由の国へ」と大きな腕を広げて言った。




***





親愛なる薔薇と紅茶と刺繍の君へ

私のことを、貴方は覚えてないかもしれない。
でも、私にとっては生涯の片恋だったんです、それだけはどうしても伝えたかった。
あれから私は世界中を飛び回り続けました。
人生の終の棲家には、美しい紫陽花の庭のある場所を選んだんです。いつか、貴方がそこを訪れてくれたら嬉しい。
庭一面の紫陽花は、貴方ご自慢のイングリッシュガーデンにだってきっと負けてはいないと思うから。
ずっと、考えていたんです。
長い時を生きるあなた方だから、私なんて瞬きをするうちに消えていく流れ星みたいな存在なんだろうと。どうしたら、貴方をずっと見つめていられるかって。
私の紫陽花を貴方に贈ります。
私は世界中を飛び回り、そうしてあちこちで紫陽花を植えました。庭に、あるいはちいさな鉢に。あるいは絵に、刺繍に、オルゴールの音色の中に。形を変えて。
もし長い時間の中で、退屈な時。
紫陽花を探してください。
貴方に恋した、極東の花を。
だからさよならは言いません。世界の片隅から、ずっと貴方を思っています。
何度でも、世界の片隅で貴方に出会えるのを心待ちにしています。



――手紙の最後に名前はなく、ただ紫陽花の絵だけがそっと描かれていた。








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