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Dear My Hydrangea


割とイギリスは抜けている。
スパイ大国が聞いてあきれると、元弟あたりは言うだろう。
薄暗がりに捕らわれていては、偉そうにふんぞりかえって言い返すこともできない。まったく最低の昼下がりだった。

「また捕まってるんですか」

おかしげに女が笑う。地味な女だ。それ故か、ゆるりと、影のようにどこからともなくふいに姿を現すのが常だった。

「うるせー、手の内伺ってやってんだよ」

縛り上げられた縄をほどこうと手首を動かし続ける。

「そんなにすると傷になりますよ」
「国はそんなんすぐ治る」
「でも痛いでしょう?」

ポケットから取り出されたのはナイフだ。女は俺の横に膝をつき、固くしばられた俺の手に触れる。

「赤くなってる」
「敵国の人間に情けをかけてもらおうとは思わん」
「ははっ、そうおっしゃらず」

黒髪に、黒い瞳。黄色い肌。それだけならチャイニーズをはじめとするアジアンの特徴だが、この女とは以前にも顔をあわせ敵対国である日本の国民であることも知っていた。

「どこの国だって一枚岩じゃあないですから」

にっこりと笑いながら、女は縄を切っていく。不器用なのか、中々切れず悪戦苦闘している。そのまま腕を切り落としてくるなよと半ば天を仰いだ。

「へぇ?」
「日本にだって和平派はいます。少数派ですから、貴方のお国の原則でいえば負け犬ですよ。民主主義を貫いても正義が得られるわけじゃない」
「ご高説だな」

最後の一本を切り終わると、自由になった両手をひらひらと動かす。赤くなった手首に、女が持ってきたらしい薬を塗り包帯を巻いていく。かいがいしいことだ。

「お前の祖国にそう言ってやれ」
「国の化身であって、国の指導者なわけじゃない。意味ないでしょう。大衆の、国民の声が身のうちに響くってほんとうですか?私が今ここで、貴方を助けて『平和』を祈る声が、祖国には聞こえてますかね」
「・・・・・・」

聞こえる。あの声を、あの願いを。それだけを聞いていられればどれだけ国として幸福であれたか。
日本と、最後に話したのはいつのことだったか。国際連盟を脱退していった日、その去り際の背中を覚えている。

「勝利の美酒は甘すぎて、酔いしれる――万歳、万歳って声の方が恐ろしいくらいに大きいんです。敗北を知って泥をなめてなお、あの味が忘れられないと」
「お前は国じゃないだろ」

聞こえるわけがない。ただの人間に、あの声が。
イギリスにだって覚えがある。より多く、より良きものを。更に、上へ。もっと、もっとと声は大きくなっていく。願いが、欲に飲み込まれていく。底なしの沼に足をとられたような感覚。その沼の中に、きっと日本はいる。

「大きなうねりの中にいたら、変わんないですよ。怖いんです。流行りの歌も、映画も。街ゆく子供たちが歌ってる軍歌も、出征する青年を見送る人の波も、何もかもすべて。時代のうねりに自分だって紛れてしまいたい。その流れに逆らって生きるのは、息をするのだってしんどい。間違っているのは自分なんじゃないかって」

丁寧に塗りこめられていく薬が、傷口にじわりとしみた。

「時折その熱の中で自分も口ずさんでるんです。だって、いい曲なんです。好きな作家が『お国のために』って曲や詩を書いていたら、そんなものかしらって思ったりもする」

指先が少しだけ震えていた。

「貴方を助けるのだって正しいことかは、わからない。バレたら、国家への反逆だって責められる。私は――裏切り者でしょうか」

包帯が、ゆるゆると巻かれていく。イギリスは、彼女の言葉をただ聞いていた。

「それでも、信じて進むしかない――自分の正義を。自分の望む明日のために」

たとえ国を裏切っても、自分を裏切ることはできないと。
女は立ち上がり、イギリスに手を差し伸べた。

「抜け道を案内します、サー・イングランド」

信じてください、とその目が告げている。この手を取ってくれと。遠い昔、極東の島国と初めて同盟を結んだ日を思い出した。覚悟を決めた、黒曜石の瞳。その輝きの美しさを。

「お前を信じよう、極東の女スパイ。せいぜい俺を連合国側まで無事に送り届けてくれよ」

手を取って、暗い倉庫から抜けだした。滲んだ傷口を、差し出された一枚のハンカチで抑えながら、必死に走った。国とはなんなのか。国の化身である長い時間を生きた自分でも、まだ本当の意味では分からない。激流のような時代の流れの中で、翻弄されるのは国民と違いはないのかもしれない。
渡された一枚のハンカチを今でも時折、ポケットに忍ばせる。別れ際に、返そうとすると「再会の約束に」と彼女は言った。可愛らしいが少しいびつな刺繍がされていた。刺繍は俺も好きだというと、嬉しそうに「ではいつか、貴方の刺繍が見たいです」と言っていた。その時は、自慢のスコーンと紅茶をふるまおうと約束した。その後も何度か、すれ違い、顔を合わせ、また別れて。戦場から伸びる影の中を駆け回る、不思議な女だった。









「おや、美しい色ですね」

イギリスの邸宅を訪れた日本が、窓辺の席から外を眺めながらつぶやいた。天気は生憎の雨模様。だがそれだってイギリスらしさといえばらしさだろう。

「ああ、アジサイか」
「我が国原産の花ですね」

日本が嬉し気に言う。
日本固有のアジサイは、中国を経由しヨーロッパに渡ったと言われている。
イギリス、キューガーデンのジョセフ・バンクス卿のもとに生体が持ち込また。世界中から植物を集めた大英帝国時代の名残と言えた。

「こちらでかなり品種改良をしたりしてるけどな」
「里帰りした西洋アジサイはとても人気がありますねえ。不思議なご縁です。そういえば、先ほどされていた刺繍もアジサイのモチーフでしたね?」

イギリスは口元を緩めた。

「ああ、この時期は思い出しちまう――昔、お前んちのさ女スパイに助けられたんだが」

日本は目を真ん丸にしている。

「その時、残してったハンカチにアジサイの刺繍があった。いい女だったよ。日本とこのレディは奥ゆかしいが、芯がある」

日本と言えば桜じゃないのか、と逃亡中に何の気なしに聞くと桜は散り際が潔すぎて好きではないという。紫陽花は、散り際こそ美しくないがしぶとく咲くのが気に入りなのだと。傷だらけでも、しぶとく生きるのが肝心ですよとイギリスを励ますのがおかしかった。

「ハンカチは、返せずじまいだ。下手くそな刺繍でなー。いつか紫陽花のとびきり素敵な意匠を教えてやると約束したもんだから」

最後に会ったのがどこだったか。あの時期は何もかもが激動すぎて、イギリスも記憶が混ざっていた。

「その方とは?」
「戦後、探したが見つからずじまいだ」

窓辺の紫陽花を眺める。雨にうたれてなお美しい。

「どこかでしぶとく生きて、いったんだろう」

紫陽花が咲くたびに、思い出す。その思い出を、なぞるように刺繍針を動かすのが、イギリスは嫌いではない。

「今、刺繍してるやつ中々の出来だからよ、良かったら日本が貰ってくれないか?」

「・・・・私が、いただいたのでよろしいのでしょうか」

「ああ。いいんだお前に持っててほしい」

祖国に届いていてくれたらいいと祈った、一人の国民の思いだから。何度だって届けばいい。
名も知らぬ、親愛なる極東のハイドレンジアに、イギリスはそっと心の中で口づけを送った。そして自分の内側に耳を澄ませた。
大きな声にかき消されてしまいそうな、小さな声すら聞き逃さぬように。その声にこたえることはできなくとも、決して忘れぬように。


「ほんとにムカつくくらい、いい女だった」


つぶやきは、紫陽花の葉を叩く雨音に優しく溶けた。







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