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SGRIOB 1


彼女は平和な日本での暮らしをこよなく愛していた。
アメリカ生まれアメリカ育ち、シカゴで生まれニューヨークで育った彼女は物騒な銃社会という奴にほとほとうんざりしていたのだ。銃と殺し。彼女のポリシーに反する二大巨頭だ。
日本にはそれがないわけではない。だが、海の向こうよりは遥かに快適だ。そしてなにより、彼女を追い掛け回してはただ同然でこき使う男もいない。彼女は現在のボスに満足している。
ながらく一匹狼だった彼女は漸く自らの『巣』を、この極東の地に見つけたのだ。だというのに。その日は、朝からなんだか上唇がやけにムズムズしていた。
嫌な予感がした。しかして、その予感はあたる。



『やぁ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ』

電話口から聞こえてきた声に、彼女は震え上がった。もし彼女が猫だったら、全身の毛を逆立てていただろうし、犬であったらキャインと鳴いて尻尾を丸め犬小屋へと逃げ込んでいただろう。
人間であった彼女はとりあえず即座に電話をきった。考えるよりも手が動く。本能的判断は動物と変わらない速さだったといえる。一度切れた電話は、すぐまた鳴り出す。恐れおののいた彼女はつい先日買い換えたばかりの、三ヶ月予約待ちをして漸く手に入れたばかりの新型スマホを地面に投げつけ踏み潰した。
ようやくスマホは沈黙した。彼女の三ヶ月も永遠に失われたが、そんなことはもうどうでもよかった。
彼女の頭をいまや占めているのはたった一つ。

――逃げなくては!!

なぜ逃げなくてはならないか、なんてことを考えることさえなかった。その声は、彼女にとって常に“追いかけてくる”ものだった。
根城にしていた部屋からパスポートと財布をひっつかんで飛び出す。エレベーターを待つ時間すら惜しくて、迷わず彼女は非常階段の扉を開けた。


「オイオイ、」

扉のすぐ横から声がした。電話口から聞こえたものと寸分違わぬ、耳心地ばかりがよすぎる低音ヴォイス。手にしていた財布が落ちる。

「逃げることはないだろう?」
「ひぃっ!」

一瞬のうちに、閉まった扉に腕を縫い付けられた。

「ごあいさつだな」
「な、なななななんであんたがこんなとこに?!」
「仕事だよ」

そうだろうとも!と女は叫んだ。仕事が恋人のような男だったのだこいつは。

「私は!何もしてない!してないから!」
「なら逃げる必要はない」
「あんたが追いかけてくるから!」
「君が逃げるから追うはめになっただけだ」
「逃げてない!」
「古い友人からの久々の連絡を叩ききっておいて、か?」

古い友人!と半ばキレ気味に女は叫んだ。男は肩をすくめて見せる。この男のこうした余裕綽々の態度が昔から女は大嫌いだった。かちんとくる。

「手を離してくれませんかねぇ、まい・おーるど・ふれんどさん?!」
「逃げないと誓え」
「ムリです」本音で即答してから、女はしまったと顔をゆがめた。今のは嘘でも誓っておくところだった。
男は愉快そうに、
「なら、このままだ。それとも昔のように手錠で繋がれる方が好みか?」
「横暴だ!ていうかここ日本!ジャパン!そんな権利あんたにないでしょーに!」
「ほぉ?ミランダ警告の暗唱は必要ないと」
「にほんこくみんなので!平和憲法ばんざい!サヨウナラ銃社会!」
「まぁ君に黙秘権を行使させたことはないな」
「人権侵害!時間外労働!奴隷労働反対!」
「日本国民の権利を主張できるのか、君が?」
「れっきとした日本国民です〜。パスポートも戸籍もありますからね!というわけで、さっさと海の向こうへ帰ってどうぞ!FBI!」

女はあかんべーと舌をだす。それくらいした動かせるところがないせいか、むなしい反抗ではあった。

「まさか、」

FBI、と呼ばれた男は目を見張った。

「ほんとうに足を洗っているとはな」
「は?刑期終えたとき言ったよねぇ?真面目に生きますって宣言しましたよねぇ!?あれ、聞いてなかったですっけ」
「にわかには信じられんな」

男はじっと女を見る。鋭い視線。女はこれにめっぽう弱かった。勿論男の方もそれを承知でやっているのだから始末に終えない。何もやましいことはない、はずだ。なのにどうにも居心地悪くそわそわして、視線があちらこちらへと彷徨ってしまう。

「善良な一般市民としてまっとうに生きてますよ。残念でした」

グレーゾーンなお仕事がないわけではないが、以前に比べればまぁ、概ね合法の範囲内だ。男は口端をあげた。面白がっているのは明白だ。そして、男が口を開こうとした、瞬間。

「断る!」

女が叫んだ。全身全霊で。非常階段の一番下まで届かんばかりの大声だ。

「まだ何も言っていない」男は飄々と答える。
「こ、と、わ、る!!」
「それで、このディスクだが、」
「ちょっと、耳付いてます?断るってば!話進めんな馬鹿赤井!チャームポイントのロンゲはどうした失恋かばかやろー」

女はつかまれたままの腕を必死に揺らす。忌々しいことに、女の非力さではびくともしなかったが。

「とある組織に関する情報が」
「わーわーわー!ききたくない!きーきーたーくーないっ!!」
「パスワードと暗号の解読を」
「おいちょっと!おしつけるなってば!」

ディスクが胸ポケットへと放り込まれる。

「やんないよ!?」
「10時間以内に。できるな?」
「ははん!舐めてるな!余裕のよっちゃん、……って、やらないってば!」
「君のボスに許可は取ってある」

喚いていた女がピタリと口をつぐんだ。“ボス”の存在は効果が大きかったらしい。

「……」
女の口がへの字に歪む。
「日本で未発売のミステリ小説新刊3冊で手をうってくれた」
「安っ!私、安すぎやしませんかね?!……あんのミステリマニアめ、酷すぎる」
「確かに、いい買い物だったな。ハル・スミスが15ドルだ」

男は愉快そうに言った。

「その偽名はもう使ってない」

むっつりと女は足元のパスポートを顎で示す。菊の紋があしらわれたそれに、ちらりと男は目をむけた。

「なるほど。有栖川ハル、いい名前だ」
「そりゃどーも!」

女は今しがた逃げ出してきた一室に連行された。強制的に押し付けられた仕事を半分の時間で仕上げ解放を訴えたが、それもむなしく彼女は未だに男に捕まったままである。アーメン。哀れな女に、救いはない。



***



下校のチャイムがなる。生徒たちが一斉に教室を飛び出し下校を始めた。ランドセルを背負った眼鏡の少年の胸ポケットで携帯が何度も何度もバイブレーションで存在を主張している。チャイムが鳴ると同時にこれである。
校門のところで少年は同級生たちに「用ができた!わりぃな!」と、いつもの帰り道とは逆方向に走った。勿論クラスメイトたちは「また単独行動!」と口を尖らせて非難した。
うるさくバイブレーションが震え続けている。メールではなく着信だろう。少年が出るまでは決してきらないぞ、と明確な意思が感じられた。同級生たちから充分に距離をとったところで、漸く通話の表示をタップした。

「もしもし、ハルねー」

ねーちゃん、と口には最後までできなかった。遮るように通話相手がしゃべりだしたせいである。

『ちょっと、酷いよボス!新作ミステリ読みたいなら私に言えばいいのに!発売前だって手に入れてくるよ私は』

だから言わないんだよ、とはつっこまなかった。
冷静に「それは犯罪だよ、ハルねーちゃん」と注意を促した。
『人身売買も犯罪だと思うなわたしは!』
物騒な発言だ。
「知り合いなんだろ?」
こどもじみた演技をやめていつもの調子で話し出す。少年は彼女の“ボス”なのだ。威厳は保たれなければならない。
「古い友人だって聞いたし」
『誤解だから。友と書いて敵と読ませる少年漫画のルビ的なあれだから』
「あの人、敵にまわしたくないんだよ」
『私だってやだよ!』
「今は味方だろ」
『私はボスの犬だけど、FBIの犬じゃない。ああっ、こら勝手にいじるな赤井!馬鹿!あほ!ぎゃああああ、ちょっ、』

悲鳴が遠ざかっていく。

『やぁ、ボウヤ』

機嫌の良さそうな声だ、とは付き合いの浅い少年にも理解できた。

「こんにちは、赤井さん」

電話口の男――、赤井秀一とはまだ少年はさほど親しくない。彼の同僚である元英語教師ジョディ・スターリング捜査官と違って接点も少ない。

『助かったよ。他の仕事が片付いた、しばらく借りる』

電話口の向こうで彼女のわめき声が聞こえた。「返せ」だの「プライバシー侵害だ」だの、「悪人面」だの、とにかく頭の悪そうな悪口を小学生のように繰り返している。

「あんまりいじめないでね」
『もちろん。俺と彼女は古い友人だ。にしても、』

男は言葉を一度区切る。

『これをそこまで懐かせるとは恐れ入る。どうやったんだ?』

「愛の力だよ!」なぞと喚いているのが聞こえたが勿論そんなわけはない。少年としてもよくわからないのだ。

「それこそ、古い友人さんのほうが詳しいんじゃないかぁ?」

彼女とは少年が“少年”になってしまってしばらくして出会った。とある事件で関わりあって、何故かそのまま米花町にいついている。
いつのまにか少年の秘密を知り、いつのまにか少年を“ボス”と呼び、少年が困ったことになるとどこからともなく現れるようになった。

『俺には懐いてくれなかったんでね』

おや、と少年は首をひねる。今の台詞はやけに皮肉じみていた。それから二、三の応酬をしたが、そのとき感じた違和感はすぐに霧散してしまいつかみきれなかった。

「ハルねーちゃんをよろしく」

電話がきれる寸前『ボスのばかあ!』と泣き声が聞こえたが、まぁ赤井を敵に回すよりはこれが最善である。
彼女は善悪の判断が甘い。彼の傍ならば、少年としても安心このうえなかった。







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