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沖つ白波、敷栲の夜 3


そうして玄英宮にやってきた人物の顔を見て、驚くことになる。
髪の色も、目の色も、肌色さえもかすかに違う。だがその面立ちには見覚えがあった。
どこで見たのだったか。思い出せないままに、他人の空似だろうと黙っていると、あちらが私の名を呼んだ。もう随分とそんな呼ばれた方はしていない。


「八嶋先生?!」

八嶋せんせい。
そう呼ばれて、それが自分のことだと認識するまでのタイムラグがあった。八嶋、という苗字すら呼ばれるのは久しぶりだったのだ。大学生であった自分が高い自給につられて手をだした家庭教師のアルバイト、その生徒の一人が彼女――中島陽子であった。
男物の服を身に纏った彼女は、目を見開いた。翠の瞳。あちらとこちらで、姿が変わるのは元がこちらの生まれである胎果のあかしだろう。

「せんせい?お前がか?」
「・・・・・家庭教師をしていたって言ったでしょ」

揶揄するような響きに抗議をこめて答える。
慶の国を治める新たな女王となったのが、かつての自分の教え子だなんて偶然が果たしてあるものなのか。
中島陽子は、真面目ないい子だった。だが、今目の前にいる彼女は。まるで別人のように見えた。
尚隆と親しげに口を聞いていると陽子は「いつこっちに?」と心配げに聞いてきた。

「・・・・・ひゃくねんくらいまえ」
「百年?!」
「陽子、『春さま』といえば延のおうさまのご寵姫で有名な方だぞ。海客や半獣の支援をしてくださる慈悲深い方だ。おいらもその恩恵にあずかったうちの一人だな」

こっそりと楽俊とよばれた青年が陽子に耳打ちした。彼は先ほどまでは鼠の姿をしていた半獣だ。

「ご寵姫?!え、あの、先生は、」
「陽子ちゃん、いえ景女王。私は、」
「やめてください。そんな話し方は」

私はそんな大仰なものじゃありません、と彼女は困惑をにじませていた。知りあいだとわかり、ならば話相手を務めるようにと尚隆に命じられ自分の部屋へと彼女を通した。王への対応としては雑だ。
既に契約はなされていると聞く。彼女は王なのだ。この世界にたった12しか存在することが出来ぬ至高にして孤高の存在。そんなものに、右も左もわからないままになってしまった。

陽子にあちらでの日付を聞く。その日付をきいて、自分の遠い日の記憶を引っ張り出した。もうすぐだ。もうすぐ、自分は六太を見つけ、あちらに流される。そうしたら。


「流されてからしばらくして、あちらとこちらで私の知っている時代に差があるのに気が付いたんだ。それで、100年待っていたの。あっちが私の時代になるのを」

自分が100年前に流されるのを防ぐことも考えたが、単純に正確な日付を知るのは難しい。陽子のおかげでもうその日が近いのもわかっていたが、それでもまだ確実性はない。ゆえに、自分が流されたことを確認して、それから今の私が何食わぬ顔をしてあちらに戻ることにしたのだ。100年待って。そして帰る。仙籍のおかげで見た目も変わっていない。問題ない。そう、思っていた。
だが、ほんとうはわかっていた。そんな単純な話ではないのだ。自分は100年を生きた。もう以前の20代の大学生だった自分とは違う。見た目は変わっていなくても。


「じゃあ、帰られるんですか」
「・・・・・」
「陽子、話しが盛り上がっているところ悪いが明日のことで話がある。来てくれ」

入口のところに尚隆が来ていた。陽子が腰をあげた。

「春、陽子の寝床を用意しておいてやってくれ。お前の室の近くが良かろう」
「わかった、用意しておくね」
「すみません先生」
「いいよ、私はこの王宮の雑用係だから。いつものことだよ」

尚隆がこっちを見ているのがひしひしと感じられた。気配を読むなんてことはできない。100年たってもこれっぽっちもそっち方面はましにならなかった。だが尚隆は気配を読ませることができる男だ。じりじりと焼ける。喉元につっかえた何かを飲み下そうとするみたいにもがいている。

「春」
「んー?」

戸口まで見送りに近寄れば、陽子を先においやって尚隆が出口を陣取っている。片手が伸びてくる。大きな手が腰にまわされ、ぐっと引き寄せられる。耳元に顔をよせて「あとで来る」と尚隆が小さくささやいた。肩越しに見えた陽子の顔が赤かった。

「・・・・りょうかい」

あとでくる、は別に色っぽい話でもなんでもない。ただ単に、陽子のことで話があるのだろう。過剰なスキンシップはいつものことで、そこに深い意味はない。尚隆はモテる人なのだ。大した意味はない、大した意味なんてないと念仏のように心の中で繰り返す。娼館に迎えにいったことだってある。尚隆のお相手はいつでもとびきり美人だ。私なんぞはそういう意味合いでは眼中にもいれてもらえない。濃厚なキスシーンを見せつけられた時はしばらく顔をあわせられなかった。
寵姫だなんだといわれているが、どちらかというと歳の離れた妹だったり、親戚のこどものようなものだ。もしくは愛玩用のペット。ただしどれもきっちり家族の枠にある。もしかすると彼の小さな箱庭のようなものなかもしれないと思うことがある。失った祖国の欠片。それを私に投影しているのかもしれない。同じ海を見て育ったからだ。
お前は?と六太が言う。お前はどうなんだと。
どうって。好きだ。好きになるにきまっている。ならずにいられるかあんなの。
これまでだって、私は何度となくこのあふれかえる思いを勢いのままに、告げようとしてきた。好きだ、貴方のことが。だから傍にいさせてほしいと。
けれど聡い尚隆はそういう時の私には決して近寄らない。さすがの経験値だ。顔を合わせても上手にはぐらかされてしまう。一国の王様に私なんぞがかなう訳がない。そうこうしていると理性が戻ってきて『告白しよう!』と意気込んでいた私は時間のたった風船のようにしぼんでいく。問題なのはしぼんだままでいてくれていたらいい恋心を、またふくらませるようなことを尚隆がするということだ。鬼だ。生かさず殺さずが王というイキモノの本質なのかもしれない。
何度かそれを繰り返してから、私だって理解した。上手な距離。丁度いい距離。
その距離が、今変わろうとしている。戻るか、戻らないか。
言いたい、けれど言えない。
答えが出せない。
尚隆はどう思っているのかわからない。行くな、と言ってくれたらなんて都合がよすぎる。

あとから顔をだした尚隆はいつも通りで。陽子の世話をお前に一任するという勅命を携えていた。

「寝るところだったか」
「もう遅いからね」

いつまで寝台に座っているつもりだろうか。向かい合うように立っているが、視線の高さはそう変わらない。

「寝ないのか」

布団をぽんと叩く。どうも帰る気がないらしい。

「・・・・・尚隆も寝れないの?」
「抱き枕が欲しくてな」
「抱き枕の概念なんてなかったくせに」
「お前が教えてくれたんだろう?抱き枕があるとよく寝れるとな。責任をとってくれ」

じっと、私を見ている。図るように。

「娼館は遠いもんね」
「そうだな」
「官吏に手出して怒られたばっかりだし」
「そうだったか?」
「つい10年くらい前のことでしょ」
「つい、か?」

伸ばした手が腰に回され、引き寄せられる。

「10年は、『つい』で済むか」と喉を鳴らして尚隆が笑う。お前もすっかりこちらの時間の流れに慣れたのだなと。

「これから先の10年で、お前の友も親も、陽子のような教え子も、10年分歳を取る。20年、30年、40年・・・・100年たてば誰もいなくなる」

あいたもう片方の手が私の手首をつかんだ。

「これまでは夢や幻のように思えたものも、現実が追いつけばそうも思っていれまい」

何が言いたいのか。尚隆の頭が私の腹にもたれかかる。

「・・・・・そうかもしれないね」

20数年前、そろそろ自分が生まれた頃だな、と思った時にも感じたことがある。あちらの時間が、こちらに追いついてきたときの何とも言えない感覚。そうだった、あちらこそが自分の家だったのだと思うのに、強烈な郷愁が胸に生まれたかと言われればそうではない。80年に近い時を過ごして、既に遠い過去になりつつあった『現実』が目の前に現れた。そうだ、あの頃は自分が尚隆を避けていた。強烈に意識したのだ。いつか帰ることと、自分の存在意義について。尚隆を目の前にするとすべてが霞んでしまうから。
やたらと他にも自分にできることはないかと、空回りしては叱られていた。

父の顔を、母の顔を、友達の顔を。必死に思い出す。
まだ、変わらぬ彼らが『あちらに』いる。

「久しぶりすぎて、名前間違えたらどうしよう」
「若いのにぼけたのかと心配されるだろうな。実際100ばかり歳をとってるわけだし。両親よりも精神的には年上だ。周りにいる人間も随分と老成したと驚くだろうよ」
「あのね、尚隆」
「眠い。もう寝るぞ」

勝手に来て、勝手に話して、こちらが話そうとすると切り上げてしまう。帰って寝なよ、というのに寝台に引きずりあげられて懐に抱え込まれてしまってはどうにもできない。
もごもご抵抗を試みて、何度か声をかけてみて。それでももう尚隆は一言も口を聞かないから、小さくため息をこぼしてから大人しく抱き枕としての仕事に専念することにした。
もしも自分がいなくなったら、この我儘なおうさまの抱き枕役を誰が仰せつかるのか、考えると少しだけ胸が痛んだ。

陽子が国を取り戻し、慶の国はひとまずの内乱状態から解放された。国に王がいる。それだけであらゆる天候にまで影響が出るのがこの世界だ。

「陽子ちゃん、これから大変だと思うけど無理しすぎずにね」

言いながらどうにも他人事めいていて、嫌になる。平成の女子高生が王さまになるなんて。武家の棟梁が王様になるよりも心理的には難しいだろう。同じ胎果といえど、人の上にたつべく生きていた尚隆とはまた違う。

「先生は、あちらに戻られるのですか?」
「・・・・・・」

どうするのか。自分でもわからない。悩んでいる合間にも時間は進んでいく。

「春」

尚隆が立っていた。手を差し伸べられて「帰るぞ」と言う。帰る。

( どこへ? )

つい今しがた話していたばかりだったからだ。手をとらずに思わず固まっていたら、業をにやしたのか、強引に肩に抱え上げられてしまった。悲鳴をあげても、慣れたものですぐに諦めて大人しくした。
 
「ではな、陽子。今後は、うちとの間口にこれを使うといい。何かと仕込まれているし100年分の年の功はあるからな」

今後って。今後ってどうなんだ。案の定、陽子も困っている。彼女は聡い子なので、このいかんともしがたい空気でも「はい、頼りにさせていただきます」と返事をしてくれたし、尚隆もそれに満足したようだった。






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