My Blue Heaven | ナノ
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35.5


春が歌を口ずさんでいる。
英語の歌詞で、聞き流していると意味はよくわからない。ただの言葉の羅列で。迅にしてみれば、言葉の意味よりも、その声の響きこそに価値があった。
春の声が、聞こえて。目を覚ます。
近頃、避けていたのにうっかり真正面から視てしまって、視えた未来に思わず眉をよせてしまった。起き抜けにふいうちすぎた。

「おはよ、ユーイチ君」

にっこりと春が笑う。
迅が送った半纏を着ている姿が、FBIのジャケットを着ている時間よりも長くなればいい。
春は機嫌よく笑っていて、いつも通り書類仕事をさばきはじめた。あの夜、走って逃げられた時にハッキリと確定した未来に、迅は少しだけ凹んだ自分に気づかないふりをしている。確かに何か揺れる感情が、あの時の春の瞳にはあったはずだけれど、その影すら今は見当たらない。
反対に、チラつくのは白だ。
まばゆい光に満ちた場所。
色とりどりのステンドグラス。
美しい薔薇。
映像のひとつひとつを振り払いながら、いつも通りの笑みを迅も浮かべた。まるでマスカレードだ。仮面をお互いにかぶっている。迅も、春も。それなしに生きるには、あまり多くのことを知りすぎてしまう。

「おはよ、春さん」
「そこで寝てたらダメだよ?仮眠室使わなきゃ。ソファで寝る時間が長いのは不健康だし」
「今のって何の曲?」と迅がなんとはなしに聞く。あちらで人気の女性シンガーの曲らしい。
曲名を口にした時、ふいに口元に手を当てた。何かを考え込んでいる。どうにも、なぜ自分がこの曲を口ずさんだのかについて悩んでいるようだった。

「気になるの?」
「ユーイチ君に聞かれて、答えてみて、なんか・・・・そんなに好きな歌手だったっけな、という」

疑問に先を促してみると、春はますます思考の沼にはまったらしい。

「音楽ってバカにできないんだよね・・・耳について離れないのが自分の趣味嗜好なのか、能力によるなにかの暗示なのか・・・・区別って難しくて」

ただ好きならいい。けれど、そうでないのなら。
何か意味が。どんな意味が?見落として問題ないのか。

「いつも、あとになってから気づくんだよね・・・気を付けてはいるんだけど」
「流行ってる曲?」
「うん・・・・まぁ、人気シンガーだし」

ネットで検索をかけたシンガーは確かに迅でも知っている曲がいくつもあった。並ぶアルファベットの羅列に、和訳がくっついているのを読めば恋をうたったものが多い。
これが何かの暗示であるなら。迅は薄く笑った。視えている未来と、断片的な情報を照らし合わせると、それは悪くない。迅にとっては好都合だ。
太刀川と、春。二人はきっとうまくいく。ボーダーとしては願ったりかなったりだ。洋楽という点が不穏だけれど、そこは無視しておく。
結局、迅はどの曲を口ずさんでいたのかまでは調べなかった。

「・・・・太刀川君って、好きな子とかいるのかな。仲いい子とか」

神妙な顔で春が口を開く。
今、太刀川が親しい相手なら間違いなく春だ。それを、口にしかけて。結局、迅は「さぁ?どうかなぁ」と誤魔化した。我ながら往生際が悪い。





***




「太刀川君、いい感じの子がいるなら白状してね。私のことなら気にしなくていいから、寿子さんにはちゃんと言ってあげるよ?」

「はぁ?」

自販機で飲み物を買っていると、やってきた春が唐突に言い出したことに、太刀川は全く心当たりがない。むしろ、いい感じの雰囲気を演出しようとしているのはアンタにだけど、というのは勿論黙っていた。おかげで、迅が少しイラついてるのだって知っている。本人に自覚ないのが大層太刀川には面白かった。

「おかあさん相手に言い出しにくかった?大丈夫、味方してあげるから!まかせて!」

「いやいや、意味わかんねーんだけど」

「結婚式の撮影に誰かが突如乱入とかして来ると、さすがに私もいたたまれないし・・・早めに言ってもらえると助かるというか、ああっ、ベルモットにも連絡しなきゃだし」

「いや、ないって。ない」

乱入される側になるのは自分の予定なのだ。あおるだけ煽って、迅にそういう役割をふろうとしている真っ最中である。
しかし、何をもってこの人はこんなことを言い始めたのか。何かしらの意味があるはずだ。それとなく聞くと、最近そういう曲が耳につくらしい。偶然だろ?と返すと困ったような顔になる。かもしれない、が可能性があるなら動いておくことにしたらしい。

「映画とかで見る分にはいいけど自分が『卒業』されるのは割とヤダ」
「卒業まだ先だろ?」
「あああああ、誰か〜〜映画見た人と話したい〜〜〜」

ぶつくさ言いつつ春が映画の話をはじめた。『卒業』はどうやら花嫁が結婚式の最中に別の男と手に手を取って逃げ出すシーンがあるらしい。なんだ、お手本があるのかよ、と太刀川はとりあえずその映画は後で見ておこうと決めた。実際、見る段になって開始5分で寝ることになるのだが、それはそれだ。仕方ない。

「俺じゃなくてさ、春さんの方は?俺を置き去りにすんじゃね?」
「ないない。ないです」
「全然?」
「ないってば。私、ボーダー以外だとサークルでも割と付き合いうっすいからね!悲しいことに!ねぇ、ほんとにない?太刀川君の幼馴染の女の子とかいたりしない?あ。」

ひらめいた、みたいな顔をしている。

「蓮はないから」

笑顔で怒られるぞソレ、と忠告した。

「・・・・・・・・少女漫画的な展開とかは?」
「ボーダー割と友情努力勝利の少年漫画やってる方が多くね?」
「少年漫画にだってラブ&ピースはあるでしょ?」
「蓮に連絡して今の話してやろっか?」
「ひえっ、やめて!蓮ちゃんに軽蔑のまなざしで見られたくない!」

ないのか・・・と春がぶつぶつ言う。

「なんかあった?」

聞くと春は「気になる曲があって」と言う。音楽がただ好きなだけでいられないというのは難儀なことだ。それが自分の意思なのか、能力による何かなのか。いつも考えていなくてはならないんて常時提出を要求され続けるレポートなみに拷問だ。

「“Speak now or forever hold your peace,”」
「なんて意味?」

滑り落ちた英語を春が訳してくれる。──この結婚に異議のあるものは今、申し出るように――なるほど、こんな歌詞があったら気にはなるだろう。太刀川は即座に想像した。牧師がその言葉を告げた瞬間に現れる男の顔を。

「まぁ、確かにちょっとはムカつくよな」
「はい?」
「計画は上々っぽいのはいいんだけどな〜」

計画って何だと詰め寄られたのは適当に流した。
春が悩みながら手元の紙をもてあましているのに気が付いて、のぞき込んでみた。

「なにこれ?」
「・・・・太刀川君、ついに漢字まで読めなくなったの?大丈夫?」
「なに、これ」

むかついたので頬っぺたをつねってやる。むにむにしたほっぺたをそれなりに堪能する。やめてってば〜というけれど抵抗は弱いので好きにする。
以前、人に触られるのはうっかり何か覗き見しちゃいそうで苦手と言っていたけれど太刀川に関しては「いっそすがすがしいまでに戦闘バカだからむしろ安心するし楽ちん」と言う喜んでいいのかわからないお墨付きをもらっている。

「唐沢さんがくれた――偽装結婚するなら使うといいよって『婚姻届け』あの人さぁ、ほんとにラガーマンかなぁ?スポーツマンシップにのっとってなさすぎでは?」

「ふーん?律儀に名前書いてんじゃん」
「まぁ、こういうものなんだなー、と思って興味本位で」
「相手の欄が空いてんじゃん。俺が書いてやろう」
「はははー、これ書いてる暇あったら、遠征に備えて大学側が配慮しまくってくれた単位用のレポート書き上げてからいいなねー」
「・・・・・あれ終わんねーんだよな。鬼みたいな量あって」
「それで出席日数に目をつぶってもらえて、単位もらえるんだからちゃんとやりなね」
「春さん今晩付き合ってよ」
「なんで私が」
「俺が大学卒業できなかったら母さんがっかりするだろうな〜、あ〜、心が痛むわ〜」
「ぐうっ」
「泣くかもな〜」

実際は呆れた顔をされるだけだろうが。そもそも進学が決まった時だって父はともかくとして母は「ボーダーに入っておいてよかったわねえ」と煎餅食べながら感心したくらいのものである。そのあたり、春は太刀川の母の外面に騙されまくっているのでうっかり信じ込んでいる。

「今晩どう?こないだ振られた可哀そうな俺に付き合ってよ」

せっかくデートごっこに誘ったのに空ぶったのは、それなりにむっとした。寺島君に映画に誘われた!と喜び勇んだ通話がきた先日を思い出す。

「今晩だけで終わる気がしないんですけど」
「ただ働きさせないってば」
「へー、どうやって返してくれるの?」
「身体で」
「ええ・・・・いらない」
「A級1位だし」
「そこに喰いつく戦闘マニアじゃないのですけれども」
「そこを何とか。ほら、名前書くし」

とりあげた書類に名前を乱暴に記入した。

「ああああ!ちょっと何勝手にしてんの?!」

太刀川慶と、八嶋春の名前が並んでいる。

「提出行く?」
「まぁ、これが受理されるか興味はあるな・・・・公安に秘密裡に消されたりしないかな・・・・A級1位がいなくなったりしたらボーダー大変だよね・・・・」
「そう簡単にはやられねーよ?」
「家族を人質に・・・」
「え、公安の話だろ?悪の組織の話?」
「公安の話だよ」
「国民の安全守ってくれるんじゃなかったっけ」
「国家の安全が優先されるかもしれないことって往々にしてあるよね・・・・・つらい・・・強く生きてねダーリン」

ぽん、と春が太刀川の胸に手をあてた。

「外を生身で歩くときは射線通らない所を歩くんだよ?」
「まって。ここ日本。日本だよ春さん」
「問題です!どこからどこまでがアメリカンジョークだったでしょうか!」
「最初から最後までジョークじゃん」

春がふふふふ、と笑って言葉を濁した。ちなみにブリティッシュジョークはもっとブラックだからねという豆知識を貰ったけれど何の足しにもならない。
二人して何いちゃいやしてんですか、と合流した出水につっこまれたのにだって春は「いや、イチャイチャするなら国近ちゃんがいい!」とのたまい、チューした仲ですもんね、という更なる突っ込みをうけて撃沈していた。
寺島と約束があると出ていく太刀川の代わりに、出水と国近、それからあとから連絡をつけた唯我と夕飯を食べに行った。唯我が「僕がここは!」とカードを取り出したけれど、古い店でカードが使えないとわかった時の唯我はこの世の終わりのような顔をしていたので、思わず全員が笑っていた。
年下に出させるわけもなく、勿論春が全員おごった。それくらいの蓄えはあるのだ。

「最近、太刀川君と寺島君がなんかつるんでるんだよね」

怪しい、と目を細めて何か知らない?と三人に聞いたが、何も知らないらしい。しらを切られている可能性だってあるけれど。

「仲間外れはよくないとおもうんだよね!」
「いやいや、主役は春さんですって」
「・・・・やっぱり出水くん何か知ってるよね?」
「やー、しんないっす全然まったく」

春は小さくひとつため息をついて肩をすくめた。口を割らせる尋問は、自分の得意分野ではないのだ。
油断していたのか、気が抜けた瞬間にまたあの曲を口ずさんでいる自分に気が付いて、眉間にしわが寄る。

「やっぱり、蓮ちゃんとか・・・」

疑惑を口にする。

「ないっすよマジで」
「幼馴染なんでしょ?!」
「幼馴染恋愛絶対信仰みたいなの何なんっすか?それ言い出したら三門狭いし、そこらじゅうに溢れまくり」
「・・・・・それは、そうかもしれないけど」

脳裏によぎるのは新一と蘭であったり、平次と和葉だったり。つまるところ、春の身近なところにいた幸せな恋愛の見本である。幼馴染というのはかくも特別なのだ、という刷り込みに近い。一種の憧れともいえる。このあたりの「決して手に入らない関係への渇望」は、鈴木財閥のご令嬢の恋人たる京極あたりと共有したことがある。本人たちにそんな気はないとわかっていても、一緒にいて「割り込めないな」という瞬間がある。それに気づいて、どうというわけでもない。ただ、うらやましいよね、とアイコンタクトをしあう。


「春さんだって赤井さんが恋愛対象にはなんないでしょ〜〜?」
「あれは幼馴染にカウントしないと思う」

幼馴染はカップルになる、という図式がどうにも刷り込まれている自分に気が付いて春は苦笑した。自分が三門で頑張ることは、彼らの日常を守ることにもつながるのだ。













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