My Blue Heaven | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




Dimensional Sniper


私にとって、振り返りたくない時期というものがある。
それは《はつこい》を失ったときでも、誰にも愛されずにいた幼少期でもない。
真っ暗だった毎日に、差し込んだ光。
その太陽が燃え尽きた日。
世界は灰色で、自分自身の生すら陽炎のように揺らいでいた。

――シュウが、死んだわ。

泣きはらした瞳を精一杯ぬぐってジョディが言った。
カチリ、と。時計が止まる音がした。自分の中で、動いていた歯車が全て機能を停止していく。オイルがきれたブリキの人形よりも酷い。現実みのない言葉が頭の中をぐるりとめぐって、意味をきちんと飲み下すまでに時間がかかった気がするけれど、多分きっと一瞬のことだったのだろう。
どうして。
ただ、それを思った。

『おいで、春』――そう手を伸ばしてくれた、世界に連れ出してくれた、たった一人のひとがその日死んだ。

わたしは、また間違えたのだと思った。

『どうして』は、かつてぶつけられた激情だった。どうしてお前はそんな神に与えられたギフトをもっていたのに。どうして『助けられなかったのか』
母が死んだ日、あらゆる一切の感情の消え失せた父の目と、同じ目をした自分が鏡の中に映っていた。







《 the Bell tree 》

『春さん、ベルツリータワーのオープニングセレモニーに行きませんか?コナン君たちも一緒です』

蘭ちゃんからメールが来ていた。ベルツリータワー。ぼんやりと窓の外を見る。青空にそびえる美しいタワーがみえた。
(……狙撃しやすそうなポイントだ)
自分の思考回路に、少しだけ笑ってしまった。高校にもまばらにしか顔を出さなくなった私を蘭ちゃんや園子ちゃんたちはいつも心配して、こうやって声をかけてくれる。いい子たちで、自分なんかを友達のように気にかけてくれる。こんな風に閉じこもってばかりいたらダメだと思って、何度かは食事に行ったりした。主にポアロだけど。安室さんがいるところなら安心だ。ごはんもおいしい。でも。
(真純ちゃん、いるかもしれない)
恥ずかしくなる。実の妹の真純が、あんなにしっかりしているのに。自分がこのありさまだと、情けないったらない。それでも自分の抱えている感情はどうにも消化できないから、ひとまずまぶしいものからは目をそむけるようにして逃げ回っている。もうちょっと。もうちょっと自分の中の感情に整理がついたら。そしたらちゃんと向き合おうと思ってはいるのだ。一度考えだしてしまうと、思考回路は同じところへと流れ着く。暗闇の中の真っ赤な、炎。銃声。燃え尽きた残骸。大事な人が、燃えていく。
ゴトンと、大きな音がして、意識がはっとたちかえる。足元に、スマホを落としていた。無感動にそれを見下ろす。それからふと、そういえばこれは買いに行くとき秀兄が一緒に来てくれたんだったと思い出して、慌てて拾い上げた。ただ落としただけだ。きちんと強化ガラスのはられたスマホは傷一つなくて、ほっと息を吐いた。
自分の中に渦巻いているものも、一緒に吐き出せてしまえたら楽になれるのに。
メールボックスを開いて、蘭ちゃんに返事をした。

『ごめん、ちょっと厄介な仕事手伝ってて、行けません。園子ちゃんにもごめんねって伝えてもらえたら。コナン君たちにもよろしく』

ダメな奴だな、と自分で自分に呆れた。デスクの上に「ちゃんと食べるように」と風見さんが置いて行ってくれたサンドイッチがある。ついさっきは食べようと思っていたのに、今は何だか少しも喉を通る気がしなかった。






《 Coffe Break 》

公安の保護下に置かれるようになって、大抵は与えられたデスクでぼんやりと本を読んだり高校の課題をこなしたりしている。FBIの面々から連絡は来るけれど、傍にいると秀兄の影ばかりがちらついてまともに自分が動けないのがわかりきっているから返事は最低限にしかしないでいる。魂の抜けた人形とまで言われていたけれど、近頃は幾分かましになってきた、とは世話係を押し付けられている風見さんの意見だ。申し訳ない。お留守番よろしく、部屋に置かれた接客用ソファに居ついて本を読んでいると、慌ただしく外から風見さんが戻ってきた。なんでも港でひと悶着あったらしい――FBI絡みで。
「ここは日本だぞ?!」と舌打ち交じり。あー、ほんとに。それは思う。結構やりたい放題していた。前はジェームズさんにくっついて、よく秀兄のライフル用品のお使いに行っていたり、手入れに付き合わされたりしていた。ぐ、っと内臓がつかまれたみたいに重く痛む。じわりと涙がにじみそうになるのを慌てて歯を食いしばってこらえた。なさけない。ソファの背もたれに額をくっつける。視界を塞いで、ゆっくりと数を数える。それから、ニューヨークの通りの名前を順繰りに。アップタウンのストリートを数え終わるころには少しだけ気分が落ち着いて、最後に昔教えてもらった歌の歌詞まで思い出せば、すっかり元通り。深呼吸をひとつして、それから風見さんたちのためにコーヒーをいれた。
コーヒーのいれかたをきちんと教えてくれたのは、降谷だった。アメリカでの生活においてコーヒーは買うものであり、局内にある備えつけのコーヒーメーカーから出てくる黒い水だった。おおむね公安でもその傾向は同じで、組織におけるコーヒーはまずいものであるべきなのだろうか。降谷の教えに従って、作業をする。機械的に動いて、手順を追いかける。フラッシュバックする映像が、少しでも遠ざかってくれればいい。
ただ、それだけを祈りながら鼻先をかすめるコーヒーの香りを肺に吸い込んだ。






《 The Bullet and Dice 》

弾丸の薬莢、そしてサイコロ。
狙撃現場に置かれた二つの物証。風見はその情報を報告しながら、上司の様子をうかがった。どうするつもりなのか。物的証拠。噂が正しいならばこれさえ確保してしまえば事件は解決するのではないか。半信半疑ではあったけれど、降谷がその噂を噂ではなく事実だというのだから、信じるよりほかにない。
「八嶋には伝えますか」
「いや、あの子には他の仕事を頼んである」
「しかし、」
黙っていてもいずれはどこかで耳に入るだろう。テレビ局もネットも好き勝手に噂している。
「こちらの案件をいくつか押し付けておくから、あっちには首をつっこませるな。珍しくまっとうな正規ルートでFBIが捜査一課と連携をとってるんだからしっかり働かせておけばいい」
「・・・・はい」
「なにか文句があるのか」
「っ、いいえ」
風見は直立不動で敬礼した。年下ではあるが、上役である彼の睨みに冷や汗をかく。
ソファからチラチラとこちらを伺っているのを横目に見る。深く息を吐いて、少しだけ安堵した。






《 Dear My Sister 》

真純ちゃんが撃たれた、と聞いて大急ぎで病院にかけつけた。
もう夜も遅かったし、面会時刻は過ぎていたけれど、人目を盗んで病室まで忍び込む。こういうスキルだけは組織にいたころに学んでおいてよかった思う点だ。
真純は静かに眠っていた。風見さんが教えてくれた情報によれば狙撃手に狙われたコナン君を守ろうとして身代わりになったという。ベッドサイトのゆかにへたり込んで、布団の上に投げ出された手をそっと握った。あたたかい。生きている。
ほっと息をついて、それからその暖かな手のぬくもりに意識を集中させた。じっと目を閉じて、深く息を吸う。かすかに、風が病室の窓を揺らす音がして目を開けた。飾られた花をみて、何の見舞いの品も持ってこなかった自分に気が付いた。何か視えれば。そう思ったのに、何もみえない。必死で、何度も何度も繰り返して、ようやく古ぼけた映画のフィルムのように断片だけが視える、そういう日が続いている。役立たず、と自分を詰った。

(でも、相手は狙撃手なんだ)

すっと立ち上がる。真純ちゃんの寝顔を見つめた。大事な人の、大事な妹で、いつだって彼女は明るく優しい。実の兄を亡くしてもなお。踵をかえす。じっと、部屋の隅にもううずくまっているつもりはなかった。真純ちゃんは大事な家族なのだ。秀兄が、いたならば、こんなこと黙って見逃すはずがない。絶対に。ならば私がやらなくては。時折、真純ちゃんがこっそり私のことを「春姉」と呼んでくれる。私は何をぼんやりしてたんだろう。燃えるようにお腹の底が熱くなる。
その熱さをかかえたまま、私は真夜中の病室をそっと後にした。
「あ、風見さん、今大丈夫ですか?」
スマホで連絡をすると慌てたように風見が出た。どこに行っていたと言われて黙って出てきたことを思い出す。「今、病院で」と言うと察したように安堵の息が聞こえた。
心配をかけていたことに気がついて申し訳なくなる。自分でタクシーを呼んで帰ると言ったけれど、もう遅いから迎えに行くと押し切られた。ああ、もう面倒ばかりかけている。
「あの、風見さん」
『なんだ。すぐに車を回すからおとなしく、』
「お願いがあるんですけど」
『・・・・・・』
風見さんが沈黙した。それから深くため息をついた。きっといつものように眼鏡をくいっとあげているに違いない。一緒にいるようになってまだ短い時間だけれど、風見さんの癖みたいなものに気がつくくらいには側にいるのだ。
「今、起こってる狙撃事件に関する資料が欲しいんです」
『・・・・・・降谷さんに頼まれている仕事は』
「もちろん、そっちもやります。ちゃんと」
真純をこんな目にあわした奴を野放しにしておくつもりなんて毛頭ない。病室を出ると薄暗い廊下がまっすぐ延びている。病院が嫌いだった。鼻先をかすめていく薬品の匂いは記憶の奥底に沈めておいた嫌な記憶を振り切るように歩く。
「秀兄は、もういないんだから――だから、私がやらなきゃ」
自分に言い聞かせるように小さくつぶやいた。






《 The Spotter 》

いくつかのデータをタブレットに打ち込んで、犯人を捜した。私はスナイパーじゃない。でも長い間最高のスナイパーの横にいたのだ。スナイパーの思考を読め。
必死に考える。標的、狙撃位置、狙撃手の年齢、経歴、関係者、残されたサイコロ、ベルツリータワー、風向き、風力。計算して、考える。次のターゲットはだれだ?どこが一番最高の狙撃ポイントだ?あの人ならどうする?あの人なら、彼なら。
最高の狙撃手。彼がいたら。隣にいる自分はどんな狙撃位置を提案する?タブレットの上を指先でスライドさせて地図を動かす。
風見さんは死んだようにぼんやりしているよりはマシだと判断したのか、随時情報を流してくれた。


三次元に地図をおこすのは、逃走ルートの指示を出すときによく使う手段だった。二次元で、指示だしを続けると稀にとんでもない場所を走らせるはめになって大変だからな、とはスパイ組織で現場バックアップをするエージェントに真っ先に教わった。15階にいる人間にそこをまっすぐ!と10階の連絡通路のルートを指示したときには肝が冷えたらしい。位置からだけで読み取れきれないデータを把握するのは、狙撃手にもいえた話だ。

サイコロの目、シルバースター、軍人、狙撃手。
狙撃可能な範囲から絞りだした幾つかのビルをしらみつぶしに確認する。風見さんに連絡をつけておこうとも思ったけれど、うまく電話がつながらなかった。きっとあちらも忙しいのだ。

リストにひとつずつバツ印をけていく。手順をたどる。コーヒーをいれるのと同じだ。体を一歩でも前に引きずっていく。動け、動けと必死で自分自身に命じた。
次のビルの前にたち、上を見上げた。ここは、あたりか、はずれか。ひとつ深く息を吸いこんで、私は足を踏み出した。






《 The man who lived 》


「了解」

たった一言だ。
風にのって、聞きなれた声が春に届く。
開けた屋上への扉が、ギイと低い音を立てた。声の主が振り返る。遠くにベルツリータワーが見えた。明るい、彼の髪がビル風にあおられている。

「お、きやさん」

沖矢昴。確か彼はそう名乗っていた。タイミングが悪くて、いつも春は彼とゆっくり話せずにいたけれど蘭ちゃんやコナン君たちが親しくしているのを知っている。確か、工藤邸に居候する大学院生。そう、聞いていた。降谷が、彼を赤井秀一だと疑っていることも。
ただの大学院生がこんな真夜中に、こんな誰もいないビルの屋上で、ライフル片手に?
今の、声は?

沖矢昴は何かを言おうとして、口を開く。でもそれよりも先に、春の口から言葉がこぼれた。かすれた、情けない、震えた声音。聞き間違えるはずもない。

「――秀、にぃ?」

細められていた目が、見開かれた。すると、目元がはっきりして、風に吹かれた雲の隙間から伸びた月明りでよく見えた。
怖いほどに静かだった。

「――春」

いるはずのない、大好きな人の声が、春の名前を呼んだ。







《 The Man Who Lied 》

降谷たち公安が、はっきりと赤井秀一の生存を確認したのがいつかは、春はよく知らない。
赤井秀一の生存、帰還は公然の秘密となりつつあった。誰もが知っているけれど、誰もが公にはしない。

「なんですか、風見さんじろじろ見てきて。あ、もしかして制服フェチですか?だめですよ女子高生にお触りは」

「・・・・」

風見は眉間の皺を思い切り深くしたけれど、子供のたわごとには付き合わないぞ、と大人の対応としてスルーをした。
なぜまだここに入り浸っているのか、という視線だったのは勿論春だって分かっているはずだ。雑に振り分けられた書類を一つずつ仕分けながら何か視えないか確認する作業を緩慢に行っている。

「FBIの方に顔を出さなくていいのか」
「・・・・・風見さんて、」

ぼんやりと視線が向けられる。それから少しだけ、口元を彼女は緩めた。

「それで公安よくできますね」
「馬鹿にしてるのか」
「感心してます。むしろデリカシーってものが死んでないと公安務まらないのかな」

デリカシーがない、とは確かに何度か協力者である女性に指摘されたことがあるので、風見は思わず息をのんだ。

「ジョディさんには会いましたよ。シュウ兄最低だよねって悪口で盛り上がって。でも結局、ジョディさん優しいし。シュウ兄に甘いし。私は、」

小さくなっていく言葉尻はなんとなくだが理解できた。――許せない、のだろう。
許したいと思う、理性的な判断はあっても感情がうまくついていかない。だから、彼の属する組織そのものから逃げ出して公安にいるのはある種の仕返しといえる。

「わたし、ほんとだめですよね。見抜けよって話です。ばかすぎる」
「あの人たちは規格外だ」
「嫌になりません?」
「なるな」
「逃げ出したくなったり」
「する」

風見はノータイムで相槌を返した。

「だが、逃げきれない。結局、ここにいる――お前もそうだろう」

風見は春を見ていない。眼鏡の奥の目が少しだけ細められた。

「あの大ウソつきめ・・・・」
「本人に言え」
「・・・・・・・・・・まだ、顔見たら泣いちゃってなんも言えないんですよ」

小さなため息が聞こえた。
風見が「コーヒーをおごってやる」と言うので、春は口元をこっそり緩めた。










prev / next