My Blue Heaven | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




31-3


「――いや、ダメだろ」
「は、」

割って入った声は、あっけらかんとしている。春を自分の背後に押しやって、前に出た広い背中が、目の前にある。

「た、ちかわくん」
「・・・・・まじで、ないわ。これかよ?ありえねーわ」

太刀川はがりがりと頭をかいた。面白くないです、とばかりに春にデコピンをして、ハリー・クラインに向き合った。

「そこは即効でNOって言ってくれるとこじゃん春さん」
「や、でも、」
「君はお呼びじゃないな」

ハリー・クラインが春の腕をひくが、太刀川はそれを許さなかった。

「お呼びじゃないのはそっちだろ。今、割とデリケートな時期なんで遠慮してくんない?」
「デリケート?君と?春が?」

春の腕を離すと、ハリー・クラインは太刀川の腕をつかんでぐっと引き寄せた。太刀川よりも上背のある男は、耳元に口をよせていった。

「相手が違う。だろう?――迅悠一はどこだ?」

太刀川にしか聞こえない小ささで、すぐ横にはいるものの春ははらはらとした顔でこちらをうかがっていた。なるほどあらかじめ情報は入っているらしい。

「だからデリケートなんだよ。って、もしかしてこれって援護射撃かなんか?」

この状況は、かなり『太刀川と春が親密』に見える格好だ。男は心外だ、とばかりに眉をおおげさにあげた。これは迅の企みのうちか、それとも目の前の男の企みのうちか。どちらにせよ、乗せられているとわかったとしても引き下がるつもりは太刀川にはない。

「まさか!連れて帰るつもりで来てるんだよ、ろくでもない所であの子を潰されちゃ困るんだ。君らはまだまだこの子のことを知らなさすぎる。秘密の多い子なんだよこの子」

「興味ないんで。引き下がってくれないんですかね」

「まぁ、若手に将来有望そうなのがいる組織なのはわかったな」

「お、褒められた?」

調子のった返事をすると、男は太刀川の胸元を押した。たたらを踏むように後ずさる。

「私が直接交渉するのは、春だけだ」

悪いね、とハリーはにこやかにほほ笑んだ。周囲にいる女性陣がうっとりとその笑顔に見とれている。

「言っておくが、春は私のことが結構好きだろう?振り回されるのを文句いいながら、使われるはまんざらじゃなかったはずだ」

「・・・・・・いや、そんな、ことは、」

もごもごと春が口ごもる。太刀川は内心でこの人ほんとに押しに弱すぎるな、と嘆息した。

「私にしておけばいいのに」

以前にも口にした言葉だった。
赤井を亡くして、すぐさま彼女の弱みにつけこめなかったのは返す返すも惜しい失敗だったとあまり悔やむことはない彼にしては珍しくも思っていた。ちょうど、あれこれと忙しい時期でアメリカを離れられずにいた。そのせいで、FBIだけだった春の世界はまた少し広がって公安の面々のことも気にするようになってしまった。あのタイミングにさえ、傍にいれば。春は簡単に手に入っただろう。丁寧に箱の中にしまい込んで、じょうずに囲い込んで。千載一遇のチャンスだった。けれど、豪運と称される自分ともあろうものが、逃してしまった。
ハリー・クラインはあらゆる情報を持っていた。自分がごねれば、公安の人間のことを敬愛はしているものの『しかたない』とアメリカに引き上げてくるのは既定路線だと油断したのが間違いだった。

「君の《不運》に付き合えるのは私くらいだ。ここの連中との付き合いは?せいぜい数ヶ月?まだ誰も”死んで”ないか?だがビギナーズラックは長くは続かない。今度はだれを破滅させる?いい加減わかってるだろう?彼らは今年に入ってから君が何回某国のスパイに拉致されかけたかすら知らないし、毎日どれだけのストレスを抱え込みながら生きて仕事をこなしているかも知らない。ついこないだだって、私のために命がけで働いてくれた」

「・・・・・・わたしは別に知ってほしいわけじゃない」

むしろ知らずにいてくれる方が春は気が楽ですらある。春が勝手にやっていることで、彼らには少しも関係はない。

「知らずにいることは罪だろう。無知は言いわけにならない。一番恥ずべきことだ」

「いいんだって」

「良くないな。少しも」

「ハリーには関係ない」

「なるほど」

しまった、と春は顔色を悪くした。ハリーの、目の色に獰猛な色が浮かんだのがわかった。地雷を踏みぬいてしまった、と気が付いても遅い。怒らせてはいけない人を、怒らせてしまった。変わらない、ほほ笑みをたたえた表情だが、威圧感が百倍増した。

「関係ない。関係ない、ね。確かに、関係ない」
「あ、いや、今のは、」

言い過ぎた、という釈明はパーフェクトなほほ笑みを前に喉の奥に引っ込んだ。ひきつるような小さな悲鳴が思わずこぼれた。

「なら、はっきりさせようか――君の値段は幾らかな? 幾らで彼らは君を売ると思う?結局それが一番手っ取り早い」
「・・・・・・・」
「金で解決するなら簡単だ」
「・・・わたしに大金の価値はない」
「それを決めるのは君じゃない。25セント硬貨一枚でも君はほいほい売られて行きそうだ」
「・・・・小銭なんて使ったことないくせに」
「いや?コイントスは賭けの定番だからたまに使う」
「用途が違う・・・・」

それだって自分の財布には入ってるわけもない。秘書の財布だろう。

「あいにくと賭けに負けたことはないんだ」
「わたしは勝ったことある」
「そう。君は例外。たった一人の特別だ」

春は何とも言い難い表情をした。甘いささやきのようにも取れる言葉だが、彼の場合はこれが通常運転なのですっかり流すことに慣れてしまっている。
一方で25セントが幾らくらいか太刀川は知らないけれど、男の言うことは納得できた。春は自分を安売りするきらいがある。

「だ、だめですよ!!」

また別の声が割り込んで、その声が誰かを理解して春は目を丸くした。それは予想外の人物だった。

「八嶋さんは、僕の命の恩人なんですから!!」

太刀川隊の唯我尊が、いささか震えながら声をあげていた。ハリー・クラインは面白そうに片方の眉をかすかにあげてみせた。

「おや、唯我のおぼっちゃんか。君に私と交渉する度胸があるのかな?勝手をして叱られてもしらないぞ?」

きちんと、彼が唯我のわがまま坊やのことを知っていたのは意外な事実だった。つまらない人間の顔と名前は彼の頭には記憶されない。

「い、いいのちの恩人ですから!そのために僕がしっぽを巻いて逃げるわけにはいかないんですよっ!!」

膝も声もふるえているが、唯我は引かない。それに男はゆるりと口元を緩めた。

「まだ私と交渉するのは早いんじゃないのかジュニア?それとも君の言葉が《唯我》の総意だととっても?――それは、クラインを敵に回しても構わないという宣戦布告かな?」

「・・・ッ唯我の跡取りとして、恩義には報いますよ!!そ、それが筋ですからねっ」

一瞬だけ怯んだけれど、唯我は胸をはった。

「へぇ。命の恩人。それは一大事だ」

「・・・・・・・っ唯我くん、私のことならいいから、あの、」

「よくないですッ!ちっともよくないんですよ!!――八嶋さんはっ、八嶋さんが一番居たいところにいてくださいよっ」

叫ぶように唯我は言い切った。春は目を見開いて彼を凝視していた。
一番居たいところ。そんな風に考えたことは、実はなかったかもしれないと気が付いた。自分が役に立てる場所、自分が必要とされる場所。いるべき場所。
優先するべきはそれらで、だから。
ここに居たいと思う気持ちよりも、自分がクラインの所に行った方がボーダーにとってメリットがあるのでは?という可能性に揺らいでしまう。
ハリー・クラインという人は敵に回してはいけない相手だと、よくよく知っていればこそ。自分がクラインのトップのそばに居たら、どれくらいボーダーにとって世界を相手取りやすくなるかなんて、明白すぎる。きっと、迅の暗躍ももっと楽になるだろう。

「僕はっ、八嶋先輩の《幸せ》を守りますよ、た、たとえ天下のクラインが相手でもです!!」

「よく言った唯我!お前、見直したぞ俺は」

「太刀川君煽るなってば!ハリー!悪い顔しないで!」

面白いおもちゃが出てきたな、という表情を隠そうともしない。太刀川はバンバンと唯我の肩を叩いた。敬愛する隊長の言葉に唯我はますます胸をはる。

「なるほど、嫌になるくらい助けてあげておいたかいがあったな春?」

「嫌になる?!やっぱりご迷惑を?!」

「ハリーっ!!」

否定はできなかった。春にとって、後ろめたい事実だ。
唯我に、あんなにもまっすぐに言ってもらえるような人間ではない。実際彼が把握しているよりも多く春は何度も唯我尊少年を助けてきた。それは確かに事実であるが、決して善意からだけとはいいがたい。能力による人助けは確かに他の能力者に比べても春は多くこなしていたが。
唯我尊はよくよく面倒に巻き込まれる少年で、そして、彼の救出の依頼はいつだって『春の父』からもたらされるものだった。それが何よりも唯我尊の救出の優先度をあげていたのは間違いない。
唇をそっと噛む。あれは別に彼のためを思ってしたわけではないから酷く後ろめたい。
数年前、気を失っていた彼の救出の後始末あっさりボーダーの誰かにまかせた。
彼の救出役を体よく押し付けたのだ。そして、それは成功した。以降、春が呼び出されることは劇的に減ったし、ボーダーはスポンサーを手に入れた。どちらもウィンウィンだった。


「・・・・・ッ、とにかく、慈善事業でやってたわけじゃないし、きちんと《唯我》には謝礼をもらってるんだから君が私のために何かを犠牲にする必要はないんだよ唯我君」

「ですけど、ぼ、ぼぼぼくとしてはっ、」

「唯我君」

春が強く、唯我を読んだ。前のめりに春をかばおうとしてくれる後輩の肩をそっと太刀川の方へとおした。

「ほんと、ごめん」
「こういう時は『ありがとう』だろ春さん」
「・・・・・・・・うん、でも、ごめん」

唯我が悲壮な表情で春を見ていた。
春は小さく深呼吸をした。太刀川が口を挟もうとするのを、首をふって制した。
春は言い切った。ラウンジに、人があふれかえっている。

「・・・・・・どうしたら引き下がってくれますか?」

これは自分でつけるべき決着だ。
結婚か、渡米か――二択しか差し出さない男に、春はもう一つの選択肢を求めた。結局、春がこういいだすのを待っているのだ。逃げ道はない。そもそものハリー・クラインのボーダー入隊なんて選択肢ですらないブラフなのだから。

「質問に答えて」と男は言った。

春はうなづいた。

「君は私に都合よくつかわれているのが楽だったし、好きだったろ? 最大多数に役にたてる満足感を得るために私を利用していた」

酷い言われようだった。

「・・・・・・・・YES」
「これからも都合のいい時は私を使う気だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・いや、そんな、」

にこやかにハリー・クラインはほほ笑んだ。顔色を悪くした春が「YES」と呻くように言った。頼めば、融通を聞かせてくれる相手だと、実は未だに思っている。なぜなら春は彼の宝物を見つけたたった一人の人間なのだ。その事実は未来永劫変わることがない。

「昔、そんなに欲しいなら好きにしたらいい全部あげるよ、と口約束をしたがそれも反故にするつもりだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・そんなこといってな、・・・・・・いや言ったかもしれないけど、」

「反故にするつもりだ」

「・・・・・Yes」

「君は酷い女だ」

「・・・・・・・・・・・・Sorry」

「I Know,this is you」

伸ばされた手の甲が、そっと春の頬に触れた。

「それでも、私の唯一の宝物を取り戻してくれた。一生かかっても私はその借りを返しきれない。だからこそ、君の望むことは叶えてやりたいと思ってる」

「・・・・・」

「Kiss me」

その言葉を理解するや、春は間髪いれずに叫んだ。

「What the hell?!」

途中まではいい話風になりそうだっただけに春は驚愕した。

「Now」

「な、ななななう?!は?え?いや、だって、」

「 Kiss, me 」

「・・・・・・・・・・」

「してみたら、案外わたしが君の王子様かもしれない」

「その話はしたくない!」

「私だったら、と思ったことは?ない?本気で?一ミリも?私たちはうまくやれてた。君からキスされたことがないのも、キスを避けられるも密かな自慢だったんだよ」

君は特別意識している相手には『しない』から、とハリーは言う。太刀川が「俺もされたことないけど王子様って何?」と張り合った。

「その話はハリーにしたことないのに?! 秀兄の裏切りもの!!」

「ネズミの国のベタな映画、私は好きじゃないが・・・まぁ君がご所望なら付き合うのもやぶさかじゃない――君の運命の人探しの鍵は『キスをすればわかる』だろ?ほら、早く。そしたら、ひとまず引き下がってあげよう」

「なんで!?」

「答えが欲しいんだよ」

「望む答え意外は踏みつぶす主義のくせに!!」

「君の意見はいつだって尊重してる」

よどみなく、ゆるぎない。
春はこの男のこういうところが確かに好きだったんだろうと、太刀川は思った。
花束を隣にいた太刀川に春が押し付けた。
スーツをつかんで、男を引き寄せる。
駆け引き上手の次期政治家なんて、まとも相手をするものじゃない。太刀川の位置から、ハリー・クラインが愉快そうに笑っているのがよく見えた。春は、目を閉じていたからきっと気が付かなかっただろう。
背伸びして、かかとが地面から浮き上がる。
春のやろうとしたことを察したのか、ハリーの腕が春をつかんだ。ぎゅっと引き寄せられて、身体が浮いた。

( この光景を、迅は視たのか )

太刀川は内部通信で呼び掛けているのを完全に無視している実力派エリートの馬鹿さ加減にあきれていた。










prev / next