My Blue Heaven | ナノ
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Happy hour


早く大人になりたいと、ずっと思っていた。
けれど成人してみて、別段大人になるなんてことは大したことでもなかったのだと気が付く。まったくろくでもない。
成人してからというもの、これまでは誘われなかった酒の席に声を掛けられる。仕事上がりの一杯というやつが、生活を潤すだとか仕事をうまく回す秘訣だとか。お国柄で多少の違いはあれど、そういう席は発生する。
酒が好きか、嫌いか。二十歳になったばかりのころはよくわからなかった。酒の名前をコードネームもする謎の組織に長らく関わったこともあり、詳しくはあった。当時は未成年であったにもかかわらず、悪い組織の人間がそんなことにかまうはずもなく、浴びるように飲まされたこともある。あれは確かに嫌いだった。情報収集や密談に便利だったのは間違いないが、高確率でひどい目にあったのだからトラウマになっていないのが不思議なくらいだ。
けれど小さなバーで、ウィスキーのコードネームを持つ彼らが三人で飲み交わしているのを見るのは好きだった。ライとバーボンが険悪になりつつもスコッチが間をとりもって、たくらみごとをしているのを、カウンターでジュースをなめながら眺めていた。いつかあそこに自分も混ぜてもらうのだと夢みていた。その夢をかなえることはできなかったけれど。
赤井に、降谷に。嗜みとばかりに連れまわされては、大人の飲み方と言うやつをレクチャーされた。これまで見聞きしてきた知識の確認作業じみていた。並んで座るカウンターに少しばかり胸は躍ったけれど、酒の味がとびきりうまく楽しいものだとは思わなかった。
酒を飲みだしてすぐに、能力の抑制に酒が作用することに気が付いた。鈍くなるのだ。世界が輪郭を失って、何もかもがぼんやりと遠くなる。これは素直に便利だった。落ち着きを見せ始めた能力に、更にブレーキをひとつ作れたのだから、これまでよりも勢いよくアクセルを踏めるようになった。そんな風だから、薬代わりに口にする機会は増えていった。

――お前の酒の飲み方は無粋すぎる。

誰だったかに、そう言われた。
アル中でもあるまいし、そういわれるのは不服だった。美味しい酒と、そうでない酒の区別くらいつく。当たり年のワインかそうでないかだって、わかる。そういうと、相手は少しだけ可哀そうなものを見るような目になった。この顔はよくされる。
自分は可哀そうなのだろうか。自分自身ではそうも思っていないので、困ってしまう。自分は十分に満足している。もっともっと、赤井たちの役に立てるようになりたいと焦ってはいるけれど、彼らに比較して自分が凡人であることには納得している。

――うまい酒ではなく、楽しい酒を君は知るべきだ。

告げられた言葉を、その時は大して重く受け止めもしなかった。
お酒は好きでも嫌いでもない。ただ、必要に応じて嗜むもので、過去の詰め込まれたトランクのようなものだ。苦く、甘く。
バカみたいに楽しんで酔っ払う自分を、うまく想像できなかったから、彼の言うことは正しいのだろうとだけは思った。





***





お前は飲むの好きだよな――そう、諏訪が言ったとき。
彼女は目を真ん丸にした。
それからくしゃりと、笑みくずれて「うん、好きになった」とまた新しいグラスを空にした。





***





その週は、本当に悲劇的なほどに忙しかった。
ボーダーでの仕事は勿論だが、卒論のレポートと、FBIからの依頼、公安のヘルプ。あちらこちらへと飛び回り、睡眠時間はほとんど移動中だけといった有様で、そろそろ本格的に体力の限界が近かった。精神も擦り切れて、こうしたときはしばしばメーターが振り切れてしまう。
重い体を引きずって、三門の中心街から少し裏通りにある小さなバーの扉を春はくぐった。今日はこの店で飲んでいる、と珍しくも風間達が居酒屋ではない所で集まっているというから顔を出すことにしたのだ。さっさと帰って寝てしまうべき状態だと自覚はあったけれど、同級生からの誘いに春はめっぽう弱かった。
古風なドアベルを鳴らして店内へ足を踏み入れると、奥のボックス席からひらひらと諏訪が手を振った。そちらを一瞥したあとで、ふとカウンターの客に目を引かれた。
物慣れない風な人物の横で、人のよさそうな笑みを浮かべた中年の男が座っている。ぴたり、と足をとめて、あえて二人の間を割って入るように体を滑り込ませた。

「こんばんわ、マスターはお留守かな?」

カウンターの向こう側へと声をかけた。この店は何度か来たことのある店だ。物静かなマスターが収集している年代物のレコードが店内で静かに流れている。マスターの代わりに、バーテンダーをしている男がカウンターから会釈をした。
そのまま少年の肩を叩いた。「――C級隊員の佐山くん?」
少年はおどろいて、立ち上がる。それをそのまま押しやって、彼の席へと座り込む。奥の席から「なんだぁ?」と諏訪が疑問符を浮かべた声が聞こえた。

「君はもう帰った方がいいよ。外、タクシーがまだ止まってるから乗ってって。お代は払っといたからさ」

「いや、困るよお嬢さん」

隣の男が慌てたように言う。

「困るのはあなただけでしょ?」
「は?」

少年は目を見開いて体を固くしてる。

「彼は背が高いしガタイはいいけど未成年だ。飲んでるもののラインナップはとてもじゃないけど許されないなー」

コツリとカウンターを指先で音をたてた。バーテンが「先ほどご注文の品です」と遠慮気味に更にグラスを置いた。それに春は片方の眉をぴくりとあげた。

「・・・・趣味がわるい」

見るからに甘ったるいそのカクテルの名前を勿論知っていた。

「あの、おれ、」

「あーあ、こんなに飲ませて」

少年の顔色はあまり変わっていない。が、触った瞬間にどれくらい飲まされたか、どれくらい酔っているかはわかった。よくない飲み方をさせられている。あともう数杯飲んでいたら、前後不覚のぐでぐでになっているところだ。

「あ、木崎くんこの子送ってってあげてよ。外、まだタクシーいるから」
「視えてたのか?」

奥から姿を現した木崎を見ると、隣の男はひっ、と顔をひきつらせた。がたいのいい木崎はかなり威圧感がある。

「顔ちょっと出したら帰ろうかと思ってたから」
「お前も一緒に帰るなら送るが」
「私はもうちょっと飲んでいくことにした」

カウンターの上の酒をくいっと指し示す。木崎は肩をすくめ、少年に「送ろう」と声をかけて連れて行った。

「未成年にこんなのよく飲ませるなぁ・・・」
「し、知らなかっただけだ!!甘いやつのが飲みやすいだろうと思っただけで、」
「へー」

ちなみに私は成人してますよ、とにこやかに笑った。カウンターをうかがっている他の面々はその笑顔に少し引いた。八嶋春は機嫌よく飲み、機嫌よく酔う。だが、どうにも、この雰囲気はいつもとは違う。

「あの酒なんだっけ」と奥からカウンターをうかがう諏訪が、風間に聞く。風間は勿論そう詳しくないので「知るか」とそっけない。
「寺島知んねーの?」
「コーラで割ってないやつは知らない」

物見遊山の体制だ。

「――嫌いじゃないですよ、このお酒。甘くて」
「はっ、代わりにお嬢ちゃんが相手してくれるって?」
「いいですよ?飲み勝ったら、今日のここの支払いは貴方にお願いしますね。負けたら何でも言うこと聞きます」
「飲み方知ってんのか?ん?お上品なボーダーのお嬢さんがよ」

カウンターに置いたままだった春の手に、男の手が重ねられるのをぴしゃりとはねのけた。

「ははは、やだなー、こう見えて結構飲みますよ?」

木崎がいなくなると途端にまた男は態度が大きくなる。諏訪がいい加減割って入ろうと動きかけたところで、先に春が動いた。ぐい、っと前のめりに体を傾ける。ショットグラスを口にくわえて勢いよく上を向いて手を使わないままにグラスの中身を喉に流して混んでいく。あまりに鮮やかに飲み込んで、ごくり、と喉元を通り過ぎていくところまでがまるでスローモーションのようだった。ことん、とそのままカウンターに空のショットグラスを置いて、ゆるりと口元を春は指先でぬぐった。――ブロウ・ジョブ。手を使わずに飲むのが定番の下世話なカクテル。

「あってたでしょ?」
「・・・・・・・あ、」

ごくり、と男の方が唾をのんだ。気圧されて、じりりとわずかに体をひいた。

「バーテンさん、テキーラをショットで――はい、じゃあ、どうぞ」

すっと差し出されたグラスに男は少しひるんだ。

「あ、飲めません?」

男が意地になったのかグラスをあおった。喉を焼くようなきつい酒に、むせ返る。差し出した方の春はもう一杯グラスを取って、勢いよくあおった。おいおい、大丈夫かよ、と海外もののミステリでよく見るであろう光景を実演されて諏訪は冷や汗を流す。

「次は・・・・さっきのと同じのなら飲みやすいか――ブロウ・ジョブにします?あ、もしかしてもうへばっちゃいました?」

煽るような口調に、男は差し出された酒にハルと同じように手を使わず口をつけた。だが、こちらは途中で喉につかえたのかゴホゴホとせき込んでみっともなく顔じゅうに中身が零れ落ちた。「はは」と春が渇いた笑いをこぼす。完全にキれてるな、と風間はつぶやいた。疲れていて、苛々が蓄積していて、つまるところ八つ当たりなのだが、ちょうどいい標的を手に入れてしまったのが災いした。
テキーラと一緒に出された塩をぺろりと舐めた。

「新聞屋さん、本社ごと正規ルートから訴えられたくなかったら、今後二度と三門で違法に取材なんかしないでくださいよ。うちは若い子多いからって誑かされたら困るんです――あ、次はバーボンロックで。さてさて、このまま年下の小娘に酔い潰される前に帰った方がいいんじゃないですか?」

私強いですよって言いましたよね?と春は小首をかしげて笑う。
こつり、とカウンタをまた指先でたたいた。それから男の耳元にぐっと顔を近づけて何かを春が囁いた。みるみる男の顔色が変わり、勢いよく立ち上がったが、酔いがまわっていたのかふらついて、しりもちをついた。くるりとカウンターに背をもたれかけさせて振り向いた春はにこにこ笑っている。こんこん、とカウンターの上をノックする。

「お代は?」

男は財布からお札を1枚置く「足りないですよ」と春が矢のように催促した。更に数枚お札を取り出し、男は逃げ出した。

「これ、ひとつ貸しですよバーテンさん。マスターにはちゃんと報告したほうがいい」

未成年がらみの事件に、昨今の世間の目は厳しい。「・・・もう一杯何か飲まれますか?」とバーテンはすかさず春に言う。これでごまかされるつもりもないが、好意は遠慮なく受けることにした。

「じゃあ、なににしよっかなー」
「お前、あんな飲み方して大丈夫かよ」

諏訪が空いたカウンターにやってくる。春が現れなければ、諏訪もそろそろ動こうとしていたところだったのだ。

「つか、あんなん映画でしか見たことなかったわ。あんま無茶すんな」

思わぬ展開になり、つい様子見に徹してしまったのは否めない。

「あんなん?」
「ブロウジョブにテキーラショットで飲み比べ」
「あぁ・・・・・それは、まぁ、下品だし悪ノリする仲間内でもなきゃ嫌がられるし飲んだことないのが普通。テキーラは昔浴びるほど飲まされたから結構いける」

うめくようにいいながら隣に座ろうとするのを片手で制する。昔っていつだよ、と諏訪が突っ込むのには笑顔のノーコメントを貫いた。

「ごめん、ちょっと距離あけて、ほしい」
「は?」
「うっかり触ったら、全部みえちゃう」

へにょり、と先ほどまでの態度とは打って変わった情けない顔になる。

「八嶋、お前出張だったろう」風間が言う。
「・・・・めちゃくちゃ働いてきた」
「それで?」

風間は座ったままの春の目の前で腕をくんだ。寺島はつまみのポテトチップスの皿を片手に壁際で静観している。

「・・・・・太刀川を呼ぶか?」
「あー、ううん。ここまで来ると太刀川君でもだめだろな〜、何でもかんでも視ちゃうのはもうしわけないし」
「なんでもかんでも?」
「ぜんぶだよ、ぜーんぶ。かくしておきたいことから、しられたくないことまで、あますとこなく、ぜんぶ・・・・あー、八つ当たりみたいな真似して新聞屋さんにはちょっと悪かったかな」

厭世的な口調に聞こえて、風間は眉をひそめた。それに気が付いて、すぐに春は顔色を取り繕う。こまったな、と口元を片手で隠した。以前、酒はある程度能力の制御に役に立つと言っていたが、それも限界を超えれば何の意味もない。ままならない。

「・・・・・・同級生のプライベートを覗き見したくないから、距離をとってもらえたらたすかる、かな」

慎重に懇願の言葉を連ねた。不気味だとか、気色が悪いだとか、彼らが言うはずもないのだけれど、過去そう言って嫌われることが多かった。誰だって知られたくないことはある。

「・・・ああ、でも、ゆーいちくんがみたいな・・・・ちっちゃいゆーいちくん、てんし・・・・」
「おーし、おし。わかった、迅呼んでやる」

普段なら言わないであろう願望がだだもれている。
酔いが今更回っているらしい春は呂律がろくにまわらなくなりだしている。春がすぐに酔いつぶれる、という話を以前に東が赤井にしたときは「いい傾向だ」と彼は笑った。そういう場所が増えたことを純粋に保護者として彼は歓迎している。


「イヤ、だめだよ!」

慌てて春が叫んだ。

「遠慮すんなって」
「なんだ、もう正気に返ったのか?」
「また飲んでるのか〜、って呆れられたくないけども今日はもうとことん飲みたい気分だし!ほらほら、バーテンさんじゃんじゃかお酒もってきて!」

いつもかつも飲んでは酔っ払っている酒癖の悪いやつだと思われてしまうのは避けたい。かつて自分が未成年だったころに飲んだくれる大人たちを少なからず「アル中どもめ」と呆れた目で見ていたというのに月日の移ろいは恐ろしい。薄暗いバーは、遠い過去の記憶を揺さぶる。


「八嶋、つまみも追加してよ」
「おっけぃ!お兄さん、ポテチ追加ね!あとチョコ!」

寺島がひとつ席をあけてカウンターに陣取る。諏訪は煙草に火をつけ、風間は肩をすくめてグラスを飲み干した。

「今日は八嶋のおごりな」
「え、バーテンさんのおごりでしょ」
「そりゃ言えてんな」
「ボーダーの膝元で情報を売るのは確かに重罪だな・・・やるか?」
「いや、風間が言うとガチすぎだろ」
「お兄さん今後夜道に気を付けてね」

バーテンが顔を青くしているとバーのマスターが戻ってくる。顔色の悪さから何かしでかしたらしいのは伝わったようだ。
仕事終わりに、更に時間外労働したのだからぱーっと飲んですっきりしてしまうに限るのだ。諏訪がもう一つ席を飛ばして座る。風間が更にその横だ。適度に空いた距離に、ほっと春は胸をなでおろした。タクシーでC級隊員を送り届けてきたのか、木崎もまた戻ってきた。

「しっかし、お前は飲むの好きだよな」

呆れたように諏訪がこぼす。飲んで気が晴れたんならいいんじゃねーの?と彼はつづけた。

(――好き?飲むことが?)

一瞬だけぽかんと口を開いた。くしゃり、と笑みくずれて(そうなのかも)と内心でつぶやいた。楽しいことは大好きだ。カウンターに並んだ同級生たちも、各々酔いが回りだしているのか血色がいい。風間がカウンターで酒瓶相手に会話を始めだしている。
「好きに、なったかも」
グラスに映っているはずもない、死んだ男の顔を見た気がした。うっとうしいほどに長い癖に、手入れの行き届いた銀色の髪。黒い帽子。鋭い視線。過去の亡霊の影はここには届かない。
――うまい酒ではなく、楽しい酒を君は知るべきだ。
ハッピーアワーになると、すぐさまに酒場に駆け込むくらいの酒好きエージェントの言うことを思い出した。に、っと口元が自然と吊り上がる。


「ではではー、楽しい夜にかんぱーい!!」

春がグラスを高々と掲げて音頭を取った。
同級生たちはちっとも乗ってこないけれど、それだってちっともかまわなかった。









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