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Bottle2:Bourbon


01.一瞬で零になる

そういう瞬間があった。
何もかもすべてが、崩れ落ちていくような。

さて、どこから話すべきか。
これは俺と、俺の同輩である男と、鼻持ちならない狙撃手と、そのおまけでくっついてきた少女の話だ。愚にもつかない、話し。

『3人が揃ったら無敵だね』と笑う少女が、泣くのをはじめてみた日。
すべては零《ゼロ》に帰し、トライアングルは崩壊した。




02.セルフサーヴィス

「アンバー、俺にもコーヒーを、」
「セルフサービスでーす」
「・・・・ライにはいれていただろう」
「兄さんはとくべつです」
「スコッチにいれていただろう」
「この間ココアおごってもらったので」

諸星大の妹は大変に可愛げのない小娘だった。コードネームはアンバー。どうしようもない猫の名だ。
じとり、と睨みつけてやれば、びくっと背筋をのばして「しょ、しょうがないなぁ」と渋々コーヒーをいれにキッチンへと逃げて行った。
こんな弱弱しい仔猫を連れているライはどうかしている。まだ中学生。義務教育の歳だ。
許しがたい。アンバーのことではない。アンバーをそんな環境においているライに対して、俺はいらだちを隠せない。

「バーボン、コーヒー入りましたよ」

一口飲む。

「薄い」
「アメリカンということで」

スコッチはありがとうなって言ってくれましたとアンバーが自己申告する。薄すぎるコーヒーにケチのひとつもつけずに。
ライは妹に甘いので言わずもがな。よって自分が言わねばアンバーの出すコーヒーはこの薄いままだ。実際、こうして注文をつけると律儀にアンバーは修正を試みる。少しずつだがましなコーヒーになりつつあるのだから、他2名はもっと自分に感謝すべきだと思う。

「けど実際コーヒーってどこが美味しんですか?真っ黒な飲み物を口に入れるのすごく抵抗あります」

黒に染まった組織にいて今さらなにを、と思うと同時にいるからこそ思うのだろうと理解もできた。まだ子供であるアンバーはいかような色にもまだ染まりきってはいない。外側を黒で覆っても、その内側まで染まりきってはいないだろう。
いれられたコーヒーをじっと見る。真っ黒な、闇色の飲み物。

「紅茶飲みましょうよ、紅茶」
「飲めばいい」
「美味しい紅茶が飲みたいです」
「・・・・それは僕にいれろってことか?」
「バーボンは何でもできるってスコッチが自慢してました」

仲いいですよね長い付き合いなんですか?と聞かれたのを適当に誤魔化す。何をべらべらしゃべっているんだ。潜入捜査だぞこれは。






03.落下点に先回り

どうしてこんな子供が組織の一員なのか。
とりたてて運動神経がいいわけでも、頭脳明晰なわけでもない。顔が抜群に可愛らしくハニトラにつかえるわけでもない。(いや未成年にそんなこと絶対にさせないけど)
警察官である自分の価値観からすると、保護者許すまじ、という印象がぬぐえない。つまりライだ。ライ、許すまじ。

組織の一員だ。何かしらの悪事にこの純朴そうな顔で絡んでいるのだから、死んだってかまうわけじゃない。
それなのに。二階の窓を開いて身を乗り出してきた姿が見えた。
誰かに追われているのだろう、潜入がばれたに違いない。どこか違う場所から窓が割れる音もした。撤退だ。今回の仕事が果たして成功したのか失敗したのかは、今回バックアップに回った自分にはわからない。

アンバーは後ろを振り返り、もう一度窓枠の上から、下をのぞいた。自分ならきっと飛び降りるだろうと思った。だが彼女は?運動神経は並みより下くらいの彼女には?
――誰か下で受け止める人間がいれば。
そうすれば何とかなるかもしれない。彼女は自分の存在に気づいていないはずだ。それなのに。
バーボンは走り出していた。
アンバーが一歩足を踏み出す。足がもつれそうになるのを叱咤して、全力疾走して、落下点に滑り込む。上から落ちてきた子供を何とかキャッチした。

「運動音痴が何やってる!」

しかりつけるような声になった。自己の能力を過信する人間は馬鹿だ。だが彼女はほっと安堵してから「バーボンが来てくれるって思ってましたから」と笑った。

「・・・・・気づいてたのか」

アンバーは小首をかしげる。別段、走ってくるバーボンに気づいていたわけではないらしい。馬鹿だ。誰もいなかったら。この運動音痴一歩手前の子供はきっと大けがをしていただろう。

「ありがとうございます」

バーボンが来ると信じて疑わないような、そんな顔だった。
こんな組織の中にあって、そんな目をしている愚かさに、降谷はくらくらと眩暈がした。





04.君を見る目がない


もともと、自分はあまりその子供に意識をさいていなかった。ライのおまけ。まだ未成年にも関わらず、こんな物騒な組織でコードネームなんてものを得てフラフラしているのが、警官の本質としては許しがたかった。
運動神経がいいわけでも、さして頭脳が明晰というわけでも、とびきり見た目がいいわけでもない。
普通の、子供に見えた。
だから、放っておけばいいのにどうしてもあれこれと世話を焼いてしまう。かつて自分もそうしてもらったように。差し出された手を覚えているからだ。
だが、そうするたびにアンバーはきょとんと眼を見開いて驚くのだ。それからあたりを確認して、これは自分への申し出なのかと確認する。
差し出した手に、おそるおそる小さな手が重ねられた。彼女は申し訳なさそうに、今にも泣いてしまいそうに、眉を寄せる。
触れて、それから、彼女はゆるゆる表情をゆるめて。

「わたしも、いつかバーボンみたいにできたらいいんですけど」と小さくつぶやいた。







差し出される手をとることは、まるで禁断の果実をかじるときのような気分だった。
触れて、視えるものがある。それを彼は知らないのだ。
勝手に、覗き見をしていることに罪悪感がわく。アンバーの能力を正しく知れば、彼は決してこんな風には花を扱わないだろう。当たり前の、女の子のように扱われることが、嬉しくて、でも後ろめたい。この人は敵じゃない、と後からライにそっと耳打ちした。
視えた過去が、うらやましかった。
冷たい人だと思った。口うるさく、面倒な人で、アンバーのことを足手まといだと思っているのだと。だから少しだけ怖かった。彼は完璧だった。自分が不完全なイキモノだったから、なおのことまぶしくてしょうがなかった。
けれど付き合いが長くなると、それは彼のやさしさなのだと気が付いた。そして、見た目ほど完璧でもなくて、完璧であるために死ぬほど努力をする人なのもわかった。
見る目がない自分に笑ってしまった。







05.嫌い嫌いが癖になる


嫌われるのには慣れていた。
能力の一端でもばれてしまえば、たいていの人間は気味の悪いものを見るような目になる。どこまで視たのか。プライバシーを勝手に覗き見れる人間なんて嫌に決まっている。ましてや何もないところで一人で会話をしていたりもするのだから猶更だ。
バケモノ。そう詰られるのには慣れていた。
何も視ていない、いつだって視えるわけじゃない、そんな便利なものじゃないと言い訳したところで、一度火がついてしまうと消せない。嫌悪はますます大きくなる。業火のように、これまでのすべてが焼き尽くされて、焼け野原に自分一人だけが残される。
ぽつんと立っていると、たいていは赤井がそれを迎えにやってきてくれる。でも彼も忙しい人なので、いつもすぐさまやってきてくれるわけではない。

「アンバー」

コードネームを呼ばれて振り返るとバーボンがいた。彼は一体いつ寝ているのかわからない。あれもこれも仕事をこなしている風なのに、こうしてたまに「食べろ」と弁当をもってやってきてくれる。

「野菜が嫌いなんです」
「お肉もあんまり・・・・」
「おこめはいっぱい食べるのはつらくて」

嫌い嫌いと、あれもこれも言っていた。食事にあまり重きを置いていなかったことが明るみに出た時、バーボンのした表情ときたら筆舌に尽くしがたかった。彼は《アンバー》という一応はコードネームを与えられている不審な少女を、胡散臭いと警戒しているのに、無視することなく、よくかまった。
ライとはそもそも相性がよくないらしく度々盛大なケンカをしている。その顔には「お前みたいなやつは大嫌いだ」と言葉にしなくても書いてあった。
そんな顔をじっとアンバーは見ていた。

「・・・・・・ライと言い合ってるとき、何をにやけてるんだ君は」

とうとう、あんまりにも見すぎていたのに気づかれたのかバーボンに聞かれてしまった。

「なんかこう、」

うまく言葉にしがたかった。嫌いだ、という感情は恐ろしいものだ。吐き捨てられるように告げられる言葉にいつだって傷つけられてきた。だというのに。

「癖になって」
「はぁ?」

バーボンがライに向ける《嫌い》のベクトルは、いっそすがすがしさすらあって、こんな感情もあるのだなといっそ奇跡でも見ているかのような気分になる。君が嫌いだ、とアンバーから目を背けていく人たちを知っていた。だがバーボンはただまっすぐにライを見ている。
――お前が嫌いだ。
雄弁な瞳。
そのまなざしの強さをずっとずっと見ていたくなるのだ。





06.なんの意味もない数字


ライとスコッチと手分けして仕事をこなすことになったとき、じゃあくじ引きで決めましょっかと、ライにバーボンが張り合って少しも話が進まない中でアンバーが言った。
どのポジションでもこなす力があるメンバーだってわかってるからこその提案だよ!とアンバーが胸をはった。「はい、どうぞ」と三枚の紙切れを差し出されて、言い合っているのも馬鹿らしくなりおとなしくくじを引いた。
『0』そう書かれている数字。スコッチは『2』でライが『1』だった。
「・・・・・普通『1』から『3』で作るんじゃないのかこういうのは」
あえてゼロからスタートした意図は何だ。バーボンたる自分の本名と、公安の《ゼロ》としての自分。それを名刺のように渡された気がした。
「え、なんと、なく?」
アンバーは首を傾げた。意味はない。意図はない。その表情に疑わしい要素は見いだせない。お前が潜入捜査官だと知っているぞ、という遠回しな脅しではない、はずだ。
穿った目でじっとりとアンバーを見ると、ひえっと悲鳴をあげてライの後ろに逃げるように隠れた。
スコッチがまぁまぁ、と間に入る。
「特に深い意味はないです!」とアンバーは再度主張した。
渡された紙切れをじっとバーボンは見る。意味の無い数字。ほんとうに?

もう、彼女の言う『なんとなく』がただの『なんとなく』ではないことだって、認めたくはないけれど気づき始めていた。





07.運命の脛齧り


「お坊ちゃんの脛齧りだ」
厄介な仕事相手との会談を終えたバーボンが忌々し気に言う。ピリピリとした空気にアンバーは肩をすくめた。バーボンに嫌われると中々大変だ。
脛齧り。その言葉を反芻する。
自分もライの脛をかじっている身の上だったから他人事ではない。そわそわと、視線が泳ぐ。身の置き所に困っていると、気が付いたのかバーボンが足をぴたりと止めた。

「何をぼけっと立ってる」
「・・・・・あ、えっと、」

自分も、嫌われる要素を持ち合わせていることに気が付いて、躊躇していた。

「わ、たしも、ライの脛齧り、だし・・・・」
「は?」

バーボンが一瞬で距離をつめて、膝を曲げて立ちすくむ春の顔を覗き込んだ。

「あいつの脛なんてなくなるまで齧ってやればいいんだ」
「えぇ?!」

さっきと言っていることが違う。

「どんなことも相手による」
「それは、その、」
「君はそこに甘えてふんぞりかえってるわけじゃないだろう、アンバー」

眦を、バーボンの綺麗な指先が触れた。

「頑張るのは結構だが、ちゃんと寝ろ。クマができてるぞ」
「・・・・・・うん、あの、」
「ちゃんと知ってる」

たゆまぬ努力をする人に、まっすぐ見つめられてそう評されて、背筋がぴんとのびた。
ありがとうございます、と小さく春は零れるように言った。



***



とある任務で、アンバーを囮に使うことになった時、バーボンは全力で反対した。未成年の、子供を囮に使うことはバーボンとしては反対すべきことなんてない。だが降谷零の警察官としての矜持がそれを邪魔をする。
囮に名乗り出たアンバーも、それを仕方なくも受け入れている兄であるライも。信じられなかった。お前はどうして、許すのだと後でライに詰め寄った。ライとて諸手をあげて賛成しているはずもない。

「・・・・あの子は、役に立ちたいというんだ」
「今だって十分バックアップとしてやってるだろう」

あの年齢で、あれだけのバックアップができるなら十分に及第点だ。バーボンは自分に厳しいが他者にも厳しい。その彼をしても、彼女は十分に『使える』範疇の人間だと思えた。

「足りないそうだ」
「は?」
「俺たちのそばにいるには、どれだけやっても足りないと――あの子はそう思い込んでいる」
「馬鹿だ」
「馬鹿なんだよ、もう十分やっている、そう言い続けては来ているが『私は役に立つからおいてかないで』と泣いて縋られるとどうにもな・・・・」

どういう家庭環境で過ごしてきたのか。
納得がいかなくて、それでもバーボンとして任務に関して冷徹にふるまわなくてはならない分「邪魔だ。足手まといだ」と任務から外そうした。
だがライに言わせればそれをやってしまうと、アンバーは「自分にできることをしなくては」と暴走し、酷い結果になるのだという。自分の見ている範囲で、怪我をしないように守るのが結局は一番うまくいくというのが二人の間にある暗黙の了解らしかった。
(知るか。なんだそんな糞みたいな約定は)
うろちょろと、ライのそばにいるだけの子供。確かに出会ったばかりのころはそう思っていた。けれど。この子は十分に努力していて。

囮になって、ずたぼろになったアンバーを回収するのは偶然にもバーボンになった。

「バーボンの、言う通り、足手まといでごめんなさい」

くしゃりと、泣きかけるのを必死でこらえている姿があんまりにも痛ましくて「痛いなら痛いと言え」と、ただそれだけをバーボンは言った。
「言われない方が迷惑だ」
「・・・・・痛いけど、だいじょうぶです」
大丈夫なわけがない。
(脛齧り?どこかだ?)

運命の方が、この子の脛に齧りついて、搾取しているようにしかバーボンには思えなかった。





08.隠しごとに向かない瞳


「スコッチにフラれちゃったんです」
残念、とあきらめたように言うアンバーはぼんやりと待機部屋で恋愛映画を流している。
「バーボンはどんな人が好みですか?」
「興味ない」
「・・・・仕事が恋人っぽいですもんね」
「そうだな」
そっと頭を撫でてやると、じわりと瞳が涙がにじむのをアンバーは必死でこらえていた。
甘酸っぱくて、見ているのが恥ずかしくなるほどに、そこには確かに青い春の名残があった。はつこい。その甘い響きを、こんな場所で聞く日が来るなんて思ってもみなかった。
私は、こどもだし、しょうがないですよね。と。
割り切ろうとして、でも諦めきれない恋心が、ぽろぽろ零れている。
「スコッチを誘惑するつもりなら、せめて成人してからにしてくれ」
「・・・・・バーボンまじめ」
「うるさい」
「成人してたら誘惑されてくれますかね」
「アンバーの運命の相手は他にいるんだろう」
「・・・・・・・そうなんですよね」
私ときたらとんでもないビッチです、と自己反省をしているので、思わず笑ってしまった。これがビッチなら、世の中大抵の人間はビッチである。
笑いながらも「選ぶ言葉が悪い」と注意した。まったく、この子供ときたらろくでもない言葉ばかり覚えている。





09.作り過ぎた料理


料理が好きだったからよく作った。それは警察学校時代もそうだったし、潜入捜査中でも変わらなかった。無心になって気分を転換できる。
食べた人間の顔が明るくなるのを見るのも好きだった。だからこそ、食事の用意をしておいてくれと頼んでおいたアンバーの出したものには開いた口が塞がらなかった。ジャンクフードに、サプリメント。それから酒。これがあればいいのだろうという顔をしているのが、信じられなかった。
食事に関して、この子供のレベルはゼロどころかマイナスに振り切れている。それを理解すると、即座にバーボンは料理の手ほどきを開始した。食事は健康の資本である。そもそも、女だから料理ができるべきというつもりもない。これは人間として最低限度の生活というものの教育だと思っている。
叱った後で、憤懣やるかたないまま作った料理はあまりにもたくさん作りすぎていた。やりすぎた・・・・と自分でも少し思った。適度な量、というのだった充分大事なことなのだ。

「・・・・・・・わぁ」

引いているのか、と自分よりも低い位置にあるアンバーの顔を見ると、花が咲いたみたいな笑顔になっていた。なんだその子供らしい反応は。
作りすぎた料理を、もう入らないだろうに詰め込もうとうするアンバーを止めて残り物はタッパーに詰めた。残ったものを、大事な宝物でもしまい込むかのようにそっと詰めこんでいく。私に作れますかね?とおずおずと尋ねられて、それから時間ができるとバーボンはアンバーに料理を手ほどきするようになった。




10.骨から溶け出す秘密の話


組織の人間が何人か顔をあわせれば、それなりに会話は物騒になる。その日の話題は――どんな死体の始末の仕方が一番効果的か、だった。一人が延々と自分の手際について胸糞が悪くなるような話を続けている。ライとスコッチは別行動で、その日はアンバーとバーボンの二人行動だった。こんなところに、子供を連れてくる羽目になってバーボン、いや、公安の人間としては遺憾極まりない。苛々とした内心を押し隠して、バーボンとしては当り障りなく「探り屋が後始末をする羽目になっていたらおしまいですよ」と暗にそんな始末をする羽目になるようなドジは踏まないと牽制する。
情報収集をするたびに人を殺していたのでは非効率すぎるし、人の目にだってつく。すると横にいたアンバーが「なるほど・・・奥が深いなぁ」と素直に関心しているので、苦虫をかむような気分になる。
「お嬢ちゃんにはわかんねー話だったか?あ?」
柄の悪い男が、バーボン相手では分が悪いと標的を切り替える。すると少女はきょとんとした顔になり、それから少しばかり顔色を悪くした。
「痕が残ってる時点でだめです、ね・・・・・・」
「痕?」
「遺体がある以上、そこから情報が洩れる・・・・って最近なにか海外ドラマでやってたの見ました」
「はっ、しょせん作り話だろ」
「遺体も残さず、全部溶かして消しておくのが一番あんしんですよ」
今回はちゃんとそうしてきました?大丈夫ですか?とアンバーが更につづけた。真正面からじっと、幼い二つの瞳が男を見ていた。
「・・・っバらしたら、埋めるか沈めるかの二択だ。嬢ちゃんはどっちがいい?ん?」
バーボンにしてみれば、ぞっとするような表情なのに、酒の入った男は滔々と語り続けている。ジャケットの内ポケットから「いいもんつけてやがったからぶんどってやった」と、時計を取り出したのに、眉をひそめた。
だがすぐにバーボンは口元を吊り上げる。うるさい男をぺしゃんこに叩き潰してやりたい衝動をぐっと抑えた。
「それ、フェイクですよ」

代わりに親切な忠告をしてやることにした。

「あ?」
「フェイク。よくできた偽物だ」
よくできているけれど、真贋を見抜けないレベルではない。自慢げに見せびらかしていた男が顔を真っ赤にする。今度は標的をバーボンにしようとしたが、あとからやってきたベルモットが姿を現すとぴたりと口をつぐんだから、身の程くらいはわきまえているらしい。
「バーボン、アンバー、貴方たちに仕事よ」
アンバーが嫌そうにオレンジジュースの残りを一気に飲み干した。
感情の矛先を失った男は忌々し気に時計を投げ捨てて、先に出て行った。
アンバーはそっと、その時計を拾った。
「偽物だ」
「うん」
「それをどうするんだ」
「どう?ちょうどいいから使おうかなと思って」
こないだの任務で海水につけて時計をダメにしたばかりだった。バーボンの逃走経路ミスだったのを思い出して、ぐっと一瞬黙り込んだ。
「・・・・・明日、新しいのを買ってやる」
「え、いやいやいや、そんなご迷惑は」
「死体から盗んできたようなものを子供が使うんじゃない」

時折ひどくまじめなことをバーボンは言う。目的は別のところにあったのだけれど、仕方なく春は時計をデスクの上に置いた。ベルモットはせっかく店に来たからと差し出されたカクテルを飲みながら、二人を眺めている。急ぎ、ということもないようだ。

「遺体、見つかりますかね」
「あんなド三流の仕事だ。すぐさま足がつく。かかわるなよ」
「・・・・・はぁい」
「確かに、大した男じゃないのは事実ね」とベルモット。一流の悪者顔をした二人に挟まれて春は身を一層縮こませた。
後日、風の噂で男が逮捕されかけ、情報漏洩を嫌った組織によって消されたと聞いた。遺体が潮の流れの関係で、ずいぶんと早く発見されてしまったのが一因らしい。爪が甘いのよ、とベルモットが春の爪先をお人形遊びのようにマニキュアで彩りながら言った。やってあげるわ、と言われたら春に拒否権はないのでおとなしくしていた。後から「なんだその趣味の悪い色は」とバーボンに心底嫌そうに言われた。ベルモット作だと言えばさすがに即座に落とさせはしなかったけれど、別の色のかわいらしいマニキュアをプレゼントされた。趣味のいい色で、スコッチと一緒に選んだのだと教えられては喜ばないわけもなかった。

「遺体の発見現場、普段なら人が来ないところだけれど匿名のたれ込みがあったそうよ」

ベルモットが「ネズミがいるのかしらね」と意味ありげに言う。アンバーが「ネズミは嫌いです」と嫌そうに口をひん曲げていった。

「運が悪かったですね」とアンバーは眉尻を下げる。

運。それだけだろうか?
秘密がどこから漏れたのか、そのときの自分にはわかりようもない。





11.赤い糸は切れている


よくよく気落ちしたときに出るようになった話題だが「スコッチにふられた」とアンバーがしょんぼりと肩を落として言う。この子はなぜこの話題を俺に言うのか。しばしば、バーボンを相手にこの話題を振ってくる。
兄に恋愛トークしないでしょ、とアンバーが言うけれど、兄というものを知らないのでそんなものかとため息をついた。
赤い糸はきれていて、結ぼうと手を伸ばしても逃げていくのだそうだ。はいはい、と聞き流す。
この少女の言うことをどこまで信じるべきか、いつでもバーボンははかりかねる。オカルト捜査なんて馬鹿げている。そう思うけれど。
海外じゃああいう捜査も割とあるって話だろ?とスコッチが海外ドラマや映画をいくつかたとえに出した。実話に基づく話もあるとはいうけれど、所詮は結果論だ。
じっと自分の薬指をアンバーは見つめている。
「バーボンにはそういう人いるんです?兄さんは最近彼女と良い感じらしいですよ」
「・・・・・・」
恋愛にうつつを抜かしている余裕なんてあるわけもない。潜入捜査をする際にあらゆるところとの連絡を絶っているのだ。ただ一人。スコッチの存在を除いて。
「必要ない」
「組織にちゅーせーを誓ってるから?」
「そうだな」
なげやりの返事にアンバーが笑った。
「仕事が恋人って感じする」
「それで十分問題ない」
じっと、アンバーは自分の左手を顔の前に掲げて見つめている。
「何を見てるんだ」
「運命の赤い糸です」
左手の薬指、という意味だろうか。勿論そこに赤い糸なんて繋がっていない。
それから少し首をひねってから、やっぱり迷信ですよねと彼女はため息をついた。肩をすくめるよりほかに答えがない。それを頭から否定してかかるような大人げない真似をこの子相手にするつもりはなかったからだ。
「糸、青いんですよ」
「それは出会うと真っ青うになる相手なんじゃないのか」
「なるほど、じゃあジンにつながってるんだ」と嫌そうに左手をぶんぶん振った。この子はとにかくあの銀色の髪をしたいけすかない男と折り合いがよくない。ジンのスーツに向かって吐いたという話は組織内部ではある種の伝説だ。
「赤がいいのに・・・ろまんちっくが足りない」
「青も悪くはないだろう」
指さした先のテレビではちょうど日本サッカーのA代表がプレイしていた。
「サムライブルー」ともてはやされている。海に囲まれた国だから、悪くないネーミングだ。
アンバーは根が単純な子なので、そう言われればそうかも?とじっとテレビを食い入るように見つめていた。

青い糸。
その意味を、数年後降谷はなんとなく理解した。
春の人生に、茶色い髪にサングラスをひっかけた、青い瞳の少年が現れた日に。






12.犬も食わないケンカを買って


『春さんは渡しませんから』

青い目をした少年が、言葉にこそしないけれど、確かに降谷にそう言っていた。
まったく生意気な話だ。いい度胸をしているな、とうっそりほほ笑む。うっかりそれを目撃した春は少し震え上がった。なんだその笑顔、だれを始末する計画立ててるんですか?ここは喫茶店ですよ?物騒な話はダメですからね、と一応の注意はした。
降谷は「まさか。少し売られた喧嘩についてどうやり返すか考えてただけだ」とにこやかに返した。
ゆるゆる気味の春の髪をきちんと直してしまいたいが、拒否されたのはいささか面白くのない話だ。先ほどから何度かさりげなく直してやろうか?と提案するも「だいじょうぶです!」と元気よくお断りされた。探りを入れると(優秀な探り屋だったので造作もないというか、警戒心がゼロで鈍さが天元突破をしている春はあっさり白状する)やはりというか、あの青い目の少年がやったらしい。
「ん?ああ、これね、ユーイチ君がやってくれたの!男の子もこういうの興味あるものなんだなぁ」
あるわけあるか、という突っ込みはしない。女の髪をやたら触りたがるのは、下心があるに決まっている。勿論、降谷は違う。降谷には、春に素敵な女子大ライフを完璧に演出するという誓いを自分に立てているのである。それこそ、亡き友に誓って。
「俺の試験は厳しいですけどね」とつぶやいた。
まだまだ、この程度では赤点だ。

「どうせぐしゃぐしゃにして来るだろうと思ってたけど、まぁ手間は省けた。ゆるんでるの治しましょうか」

「いやいやいやダメです、ユーイチ君の作品だから。三日間くらい保存したい勢いなのに」

「・・・・やれやれ」

その発言はどういう感情に発露しているのか。まったくもって、意識している様子はないのがいっそ哀れですらある。

「やれやれはこっちですよ。事件のデータどれですか?」

「そっちのファイルに入ってますよ」

降谷は上から下まで、春を見た。

「服も珍しい」

「こないだウィンドウショッピングしてたらユーイチ君とでくわして、服見るの付き合ってくれたんだー。若者のセンスですよこれが」

「殴っていいところかな」

「きゃー、おまわりさん助けて!」

偶然?いや、これは明らかに挑戦だろう。いい度胸だ。だが、やっぱり赤点。春にはもう少し淡い色の方が似合う。

(ずいぶんと脱がしやすそうな服だ)

というのが、降谷の保護者としての感情をマイナス値に飛ばす。うちの可愛い子を?脱がすなんて早々簡単に許すとでも?未成年が笑わせてくれる。

「おまわりさんは俺ですので」

「ですよね」

「・・・・赤井は知ってるのかこれ」

「はい?」

「なんでもありませんよ」

「はっ、そうだ降谷さん今回は今の男子大学生が着るような服のブランドのリストが報酬で欲しいです」

春の初恋を、知っているのは赤井と、降谷だけだ。そして、それ以来、ほとんど色恋なんてものに触れていないのも知っている。過保護な保護者二人の鉄壁のガードを前に跳ね返されていった有象無象がこれまでだっているにはいたが、ここまで宣戦布告してくるのは初めてだ。中々骨がある、と評価できなくもないが。

「どんなダサい服だろうが、君が選んだ服を喜んで着ないやつは逮捕する」
「いや、そういうのは求めてないです」
「・・・どうせおっさんの選ぶ服だし?」
「ああああ、やだなぁもう!!いつまでもイケメンでセンスが炸裂してるから相談してるんですよ!?この手の話を秀兄にふりませんから!」
「そこで赤井の名前を出してくるところが何とも腹が立つ」
「むかつきついでにリスト作成するか」

降谷はテーブルに頬杖をついた。しようがない子だなぁ、と思う。同じようなことをかつてバーボンである自分にねだっていたころのことを、覚えていないのだろうか。あの頃は、やたらと「スコッチはどれが好きかな?」とそればかり気にしていた。素直で、単純なのだ。スコッチならともかく、なぜ自分が見ず知らずの、可愛い自分のいとし子を横から攫って行くかもしれないガキの服装をわざわざピックアップしてやらねばならないのか。それでも、頼られると悪い気はしないから、しようがない。

「どんなタイプかによりますよ」

服にもイメージが大事でしょう」とかっちり高級スーツを着こなした男がいうと説得力がある。つまり、服を選ぶ相手はどんな人物かということだ。

「かっこいいです」
「何の参考にもならない」

砂を吐きそうだった。甘い。後ろの席で咳き込んだのが聴こえたのでそちらをちらりと見た。誰がそこに陣取っているかは、勿論把握している。尾行に気づけないのは、まだまだこの子も仕込みが足りなかったかなと反省した。後日きちんと対策をマニュアル化しておこうと決める。いや、むしろ浮かれているのだろう。こうして向かい合っていると、《まるで普通の女子大生》そのもので、それ自体は微笑ましい。

「えっと、19歳で、実力派エリートで、かっこよくてですね、笑顔にすごく癒しの力がある感じで!!!」

微笑ましくはあるのだが、相槌気のないものばかりである。若さがまぶしい。

「いつも誰かのために一生懸命で、あれもう天使かな!好きな食べ物はぼんちあげで、イメージカラーは青で、えっと、あの、降谷さん聞いてます?だいじなことですよコレ」

「まぁ考えておきますけど」と降谷は言う。

それからわかり際に「君のユーイチ君に伝えておいてくれ」と言う。春はきょとんとしている。

「今日の出来は努力は買うが総合でマイナス145点」
「はい?」
「伝えておくように」

夫婦喧嘩は犬も食わないし、恋路を邪魔すると馬に蹴られるというけれど。そんなことは正直知ったことではない。若者の恋路の邪魔だって、必要ならば何でもする。
とりあえず総合点がマイナスからプラスになるくらいにして来いと、少なくとも降谷はそう思っている。


***


降谷がなんだかんだで、姑のようにボーダーの少年の邪魔をしたりしていることを知って、新一は正直少し「降谷さん大人げなさすぎじゃね?」と思った。が、口には出さない。二人が、春のことを殊の外大事にしているのは十分に知っていたからだ。

「降谷君は若いな、とは思ってる」
「赤井さんはいいの?」
「ん?」
「春さんとられちゃって寂しくない?」
「あの子がいいならな」

ただ、と赤井はにこやかにほほ笑んだ。まるで昔変装していた沖矢昴のような笑みだ。つまるところ、仮面のような笑顔、ということである。

「あの子を泣かせるなら、ただで済ますつもりもないがね」
「は、はは、だよなぁ」

最強の保護者二人を前に、果敢にも挑んでいるボーダーの少年に新一はこっそりエールを送った。





00.一瞬で零になる

そういう瞬間がある。
何もかもすべてが、変わる瞬間。
どれほど長い年月を積んで重ねてみたところで、どうにもならない。いつか、すべてを彼に話すべき時が来るのかはわからない。
永遠に、話さないままの可能性もある。過去は過去だ。
人生はいつだってリスタートがきれる。はずだ。そうあるべきだ。少なくとも彼女には。
降谷零は、そう考えている。

さて、何から話そうか。
それは俺と、俺の守ると誓った少女が、鼻持ちならない青い目の少年に出会うまでの話だった。愚にもつかない、話し。

スコッチウィスキーを泣きながら飲み干した、最悪の夜が終わり、そしてまた新しい杯を重ねていく。

二十歳になり合法的に酒が飲めるようになると、酒のコードネームの組織にさんざ痛い目を見せられていたにも関わらずそれなりに酒好きになった彼女は、降谷とバーで飲むたびに高らかに注文するのだ。

『初めの一杯はスコッチで、それからライ・・・・・そしての最後一杯は、バーボンのロック。それで決まりです』

崩れてしまったトライアングルをなぞりながら、愛すべきウィスキーキャットは今日も笑っている。




title:インスタントカフェ








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