My Blue Heaven | ナノ
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26.5


演技であったとはいえ、痛い目にあわせてしまったことを職員に謝罪したいと主張しているで、とラウンジに呼び出された男は名前を天野草一郎という。
彼は、にこにこと笑顔で座っている八嶋春を前にして多少げんなりとした気分でコーヒーを飲んだ。まだ、撃たれた腹は痛むけれど、ぶっちゃけてしまえば放っておいてほしかった。

「ほんとうにすみませんでした」

殊勝に八嶋春が頭を下げる。
あの時、あの場にいたのはCIAのスパイだった男と自分だけだった。誰にわかるというのか。天野はうすら寒いものを目の前にいる子供(21歳なんてまだまだ社会的に見れば子供だと天野は考えている)に感じていた。――聞いていた話と違う。
腹の底で何度もそう繰り返す。違うだろうが全然。

――まぁ、とにかく異能の他はとりたてて言うほどのこともないな。

どこがだ。今後こいつのよこす情報は一切あてにしないぞと心の中でメモした。

――普通だよ、いい子だし。

普通の子はあんな顔で銃は撃たないし、いい子は嘘をつくときにもっと狼狽するはずである。こいつも頭がおかしい。情報は割り引いて聞くことにしよう。

情報を天野に流した男の目は曇っているに違いない。

――馬鹿だし。なんであんなのがあの人のお気に入りなのか理解できん。

最後のやつに至っては今後まかり間違っても仕事を一緒にしないですむように手配すると心に決めた。馬鹿、ではない。つまるところ比較する相手が悪かっただけであろうと気が付いた。あの人、が誰であるかを天野も知っていた。ほとんど伝説的な存在になりつつあるのだから。

(――そりゃ、《あの人》に比べりゃたいていの人間は普通に見えるだろうけど)

あれは、とてもではないが普通の範疇にはない。


「・・・・お気になさらず」


天野はコーヒ−に口をつけた。口から出そうになる言葉を黒い飲み物と一緒に流し込む。


「スパイが一層されて良かったですよ」と天野が言う。

「一層、かどうかはわかりませんが、良かったですよね確かに」

にこり、と彼女がまた笑う。引きつりそうになる表情を鋼の理性で同じような笑顔にした。

「情報漏洩は由々しき事態ですから」と天野は答えた。

「まったくです――あ、これ心ばかりですが謝罪の品です」

日本では謝罪には菓子折り持っていくとネットに書いてあったので、と三門で評判の和菓子屋の紙袋が差し出された。丁重に辞退しようとしたのだが、結局は押し切られて受け取った。


「私、お仕事の邪魔するつもりはないんです」

と、八嶋春は神妙な顔をしていう。なんのお仕事の話だ。

「なのに怪我なんてさせてしまってほんとうに申し訳なくて」

だれに申し訳ないというのか。

「だって、今度の《草野球》に間に合いませんよね?」

天野の趣味は草野球である、ということになっている。
月に何度か、学生時代の知り合いが作った蓮野辺のチームに参加して余暇を楽しんでいる、と同僚に何度か話した。

「・・・・・・・そんなことまで聞かれたんですか? いやいやお気遣いなく。所詮は素人の集まった趣味の集まりみたいなもんですから」

「チームの皆さんとぜひお菓子食べてくださいね」

ぺこりと頭を下げた。ほんとうに申し訳なさそうに。慌てて頭を上げてくれるように告げる。ここはラウンジなのだ。人の目が集まりすぎる。

「・・・・・君は、その、大した子だよね」

思わずこぼれたのは本音だ。演技だなんて、少しも思えない迫力だ。
彼女は小さくため息をこぼして「いえ、私なんかほんとみそっかすで」と恥じ入るように言う。だから、たぶん比べる相手が悪いのだ。









その日はとても天気のいい日だった。
草野球日和になりそうでよかったな、と昨日同僚にも声をかけられた。怪我のせいでおそらくはベンチウォーマーではあるが、楽しみだと返事をした。
片手にはもらった菓子の紙袋が下げられている。鞄には愛用のカメラが収まっている。野球よりもどちらかといえば、こちらのほうが天野の趣味であるし、こんないい天気ならばカメラだけ持って散歩としゃれこみたかったけれど、がたごとと電車に揺られながら、ここ数日のドタバタを反芻した。


「おう、来たか!」

すでに試合ははじまっていた。ベンチから出迎えの声がかかる。

「遅れてすいません――會沢さん」

男は常ならばキャッチャーを務めているはずだが、どうもこちらも怪我をしているので兼任している監督業のほうへ専念しているらしかった。

「いや、どっちにしろお前今日は試合無理だろうしな。」

「ひどい目にあいました」

「あっはっは、らしいなぁ!」

「笑いごとじゃないですよ。まったく。あ、これ頂きもんですけど」

紙袋をそのまま會沢に押し付けた。

「お?三門銘菓か?」

會沢はびりびりと包装をあけた。

「・・・・・あー、ほんっとに食えないおじょーさんですよね」

「お嬢もやるなぁ」

箱の中には半分ほど菓子が詰まっていたが、残りの半分には違うものが収められていた。

「任務は中止ですか」
「そうだなー、ま、とりあえずもうちょい様子見で」
「・・・・・・」

詰められていたのは盗聴器だ。一つや二つではない。とはいえなん十個というほどに多くもない。これが天野が設置できたギリギリの数だった。

「自分の苦労が水の泡なんですが・・・」

「そんなことないって。とりあえず、お前も潜入捜査官だって大っぴらにはばれてないんだろ?」

「お嬢さんにはばれてますよ」

だからこうなったのだ。設置していた盗聴器のすべてが撤去されて返却された。まったく、これのどこが謝罪の菓子だ、と天野は憤慨した。三門銘菓のまんじゅうをひとつ取ってのんきに食べだしている上司を恨めし気に見た。

「けどまだクビにはなってない」

「泳がされてるだけかも」

「かもな」

「・・・・・・まだあのお嬢さんって《こっち》側なんですか」

會沢は肩をすくめた。

「どーだろなぁ。見逃してくれてはいるんだろうけどな。」

「これでですか?」

盗聴器の山をよけて、もう一つまんじゅうをとった。三門銘菓のひとつで、大学生活
を三門で送った天野もとても気に入っている菓子だった。仕掛けるのに苦労した盗聴器の数々の後始末は上司がしてくれるだろうから箱ごと押し付けることにした。そもそもが、他部署の諜報活動は邪魔されたという話だった。

「あ、打たれた」

相手チームの打者のバットが快音を響かせる。青い空に白球が飛んでいき、ゆうゆうと柵をこえた。

「ま、これからこれから」

會沢はひらひらとピッチャーに手を振っている。眼鏡をかけた同僚は、慣れないマウンドの上で顔色がよくない。天野はそっと心の中で合唱した。
まだ序盤、3回表。確かにまだ勝負はわらからない。野球は9回裏のツーアウトからだって逆転できるスポーツなのだ。

「前回ちょっとばかりお手柄あげたから、6回からはボスが来る手はずだ」
「・・・・まじですか」
「おうよ!お前来てよかったなー、あの人がコレ付き合ってくれるのは多分金輪際ないだろうからお宝映像間違いなしだぞ?――きっと『あの人』を知ってるやつなら誰だってくいつくだろうなー。俺だったら見たいね」

にこやかに三つ目のまんじゅうを一口で食べきった、非常に食えない男を横目にしながら、天野もマウンドに立つピッチャーに声援を送って、それからカメラの準備をした。撮りたいのはどちらかといえば風景写真だが、これは趣味ではなく仕事の一環だから仕方ないのだ。


「けどまぁ、お嬢さんもまだまだ若いからね」

會沢は小さくつぶやいた。

「そりゃあ、女子大生ですから若いでしょう」
「若さってよりは、青さだよ。今更遅れてきた青春やってんのは喜ばしい話だけど、難儀だよなぁ・・・・」
「なにか問題が?」

喜ばしい、という割には何かを憂うような表情を會沢はしていた。

「そういう青さに漬け込むのが俺たちみたいな悪い大人なんだよなぁ」
「・・・・漬け込むんですか」
「漬け込めるうちはな。必要ならどんな手でも使うのが《おれたち》のお仕事だ、誰が相手であれ、な」
「大事な大事なお嬢さんでもですか」
「お、今度はちゃんと抑えた。やれやれ攻守交替だ」

「――自ら行った違法捜査は自ら片をつける」

ふいに後ろからとんでもない美声がして、天野は震え上がった。久方ぶりに聞く声音だったが間違えるはずもない。

「そのあたりは心得てるだろう」
「お、早いじゃないですかボス」

降谷零が真後ろにいた。一体いつからいたのか全く気づけなかった自分に密かに天野はため息をついた。

「悪いが急な出張が入ったから入れるのは次の打席だけだ」
「せめてこの回だけでもやってきません?つーか、不満そうな顔でどうしました?」
「国外出張が面白いわけないだろう」
「そりゃ珍しい。お嬢さんからの菓子食います?」
「いらない。この間少し仕事に付き合わせたから会ったばかりだしな」
「俺の方はこないだ振られたんですよ。昔なら飛んできてくれたのに、全く妬けますよねぇ」
「場所が悪い。寒いのは嫌いだぞあの子は」
「あったかいところなら来てくれたんですか?」

顔を二人が見合わせる。食えない公安のベテラン二人に挟まれて、天野は生きた心地がしなかった。
スーツのままで會沢からバットを受け取った降谷がバッターボックスへと向かったので、天野はすかさずカメラを構えた。
初球、フルスイング。バッドから快音が響き、白球がフェンスを悠々と超えていった。

「さっすがぁ」

會沢が口笛で冷やかした。ダイヤモンドを涼しい顔で一周してきた降谷はバットを會沢へと突き返した。

「選ぶのはあの子だ」

それだけを言いおいて、降谷零はさっそうと去っていった。




***



降谷はひどく苛々していた。
普通ならばこんな仕事は無いはずなのだ。だが上の上だか何だか知らない人間からだと、問答無用に押し切られた。その鬱憤は草野球でホームランを打ったぐらいでは少しも晴れることがない。
足早に空港のロビーを歩く。荷物は最低限。必要なものがあればあちらで調達すればいい。パスポートを懐に、アメリカへの飛行機の搭乗口へ向かっていた。
アメリカでの研修。それがなぜこんな急なスケジュールで、よりにもよって自分に与えられたのか。どこかきな臭い。部下たちも首をかしげていた。確かに大きな事件がひとつ片付いた矢先で、時間的余裕はあったが。
FBIとの合同捜査で、研修を兼ねてこいなんていう不愉快きわまりない仕事だった。

(どうも嫌な予感がする)

ふと、せっかく近くまで寄ったのだから春に会っていけばよかったのだと気が付いた。何が、とはいえないかすかな違和感。だが、もう遅い。アナウンスが登場時刻を告げている。降谷は電光掲示板の表示を眺め、深いため息をひとつこぼした。
彼の愛する国を離れるのは、まったくもって億劫意外のなにものでもないのだ。


――昔なら飛んできてくれたのに、全く妬けますよねぇ。

會沢の言葉が頭をよぎる。
嫌な予感がしていて、それが遠い異国の地で。もしも何かがあったら。

(そうしたら、どうするんだアンバー?)

遠い昔の、記憶がよぎる。置いて行かれて、途方に暮れる子供。傷ついた、その姿が。
アンバー、とそう呼んだ日々は、懐かしくそして少し苦い思い出だ。最後に、あの子は別の件にかかりきりになっていて、間に合わなかった。それをいつまでも悔いていた。自分が役立たずだから、と自分を責めて。著しく自己評価が低いのを、どうにかしてやりたかったけれど、自分たちの存在が彼女のコンプレックスをさらに複雑にしているのだと指摘されてはどうにもできなかった。
選ぶのは春だ。
だが、それでも最悪の展開を選ばせるような真似だけは例え《公安》であろうともしたくはなかった。

「お客様?大丈夫ですか?」

空港の職員が立ち止まったまま額に手を当てて身動きしない降谷を心配げに見ている。それに大丈夫ですありがとうございますと笑顔で応対する。

(たかが研修だ)

それもFBIのあの男との合同捜査。問題があるといえば大ありだが、だからこそ心配なんてものが必要であるはずもない。何もなければ、少なくとも今あの子が選択をせまられることはない。情に流されやすいあの子が、板挟みになって苦しまないで済む。選ぶのはあの子で、だが選ぶ状況をコントロールするくらいはできる。今だって公安を選ばせたいとは思っているし、もっと言えば普通に平穏に暮らしてほしい。FBIは論外だが、ボーダーなんて怪しげで危険しかないところにいるのもあまり賛成はできない。過保護といわれるが、仕方ない。すべていつもどおりに。それで何の問題もない。
違和感を振り払うように、降谷は足を踏み出した。








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