21.5
――おれ、春さんが怖いよ。
迅が、まるで自分に言い訳するように口を開いた。だから林藤も黙って煙草をふかしている。相槌を求められているわけではない。ただ、誰かに聞いてほしいのだろう。これまで散々「どうなの?春ちゃんとどうなの?」と茶化し過ぎていて、この手の話を迅は林藤にしなかったが、何か心境の変化でもあったのか。
「春さんが視てる未来ってさ、おれと全然ちがうんだよ。おれに確かに視えるのは起こる可能性の高い未来で、可能性の低い未来はぼやけて見えない。どんなにその未来がよくったって、実現できる率が限りなく低かったらそれはもう未来じゃなくて夢とか妄想だよ。」
宝くじあたったらいいな、くらいの。
と迅が言い添えた。それなら少しわかりやすい。迅は地道に情報を収集した結果で未来を狭めていく。どちらかといえば、競馬で馬券を予想するのに近い。
逆に春は、あたるかはわからない宝くじを何となくの直感であれこれ買うのだ。
「おれがあれこれ必死に動くでしょ?でも春さんが選択するのは不確定要素ばっかりで死ぬほど危ない一本道なんだよ。あれこれ動かそうとするのに、動かない。春さんってほんと厄介だ」
迅の見る未来の外側から、八嶋春はやってくるのだ。
やっぱり玉狛に欲しいよなぁ、と思う。
「こわいっ、てかさー」
「いわないでボス」
「何言うか視えたのか」
「視てないけどわかる、たぶんおなじことをに城戸さんにおれはもういわれてるから聞きたくないよ」
御気の毒に城戸さん。と煙草をふかす。心の中できっと『何故わたしが?最上の仕事だろうコレは』と思っていたに違いない。林藤も現在進行形で少し思っている。そもそも、直属のボスより先に城戸に話すあたり酷い。――こんな面白そうな話、なんでもっと早くいわねーかなぁ?
「冬島さんにもいわれたし」
口にしないだけで大体の人間はそう思っている、という事実は口にせずにおいた。
「・・・・城戸さんが、」
「城戸さんが?」
「春さんには未来の旦那さんが夢で視えてて、それがボーダーの人間みたいなんだって」
初耳だ。なんでそんな楽しそうな話を俺には教えてくれないんだろうかあの人は。そういえば、迅が即座に「そうやって茶化すからでしょ」と突っ込んだ。
「だいたい、おれにはそんな未来視えないのに」
「全然?」
「ぜんぜん。まったく。影も形も視えない」
迅にまったく視えない、ということはそれは天文学的数字の確率で《有り得ない》未来で、ただの夢で、妄想で、はてどない理想にすぎないはずだ。
あらゆる奇跡的偶然が折り重なり、あらゆる必然をからめとった先の未来。
「でも、春さんはその人を探してるんだよ――」
その言葉のあとに――おれじゃなくて、と続くのがわかった。
「あのな、迅。恋愛ってのはそういうもんなんだって」
「そういうもんって?」
「不確定」
「・・・だから、おれ色恋沙汰って苦手なんだよね。よめない」
「青春してんな〜」
「それ冬島さんにも言われたけど」
「若いってすばらしいな、まじで。ユーマだけじゃなくて、お前にだって楽しいことは山ほどあるぞ迅。あぁ〜、最上さんに報告したい。迅が、あの迅が恋愛相談!」
「・・・ボスさぁ、そういうことばっか言ってるから風間さんには嫌われるし、小南からも昔みたいに懐いてもらえないんだからね」
「可愛がってんのになぁ〜」
「けど、ボーダーの最善を目指すなら逃がさなさいために全力を尽くすべきだって思ってるよ」
「全力で口説くとか?」
「不確定要素突き詰めるより、もっと簡単なルートがある」
迅が視線をそらした。これは良くないな、と林藤は長い付き合いでピンときた。迅は未来を視る。諦めずに最善を尽くす。だが、その一方で、聞き分けよく諦めてしまえるのだ。
自分の幸せについて。
「太刀川さんとくっつけちゃえば、絶対どこにも行かないんだよ春さん」
「・・・・そっちは可能性があるって?俺は本部の情報まわってくんの遅いけど、忍田の話聞いてる限りじゃ色恋沙汰じゃないだろあの二人」
「おぜん立てすればすぐだよ、そんなの。おれと違ってあの二人は相性いいし」
「あのな迅・・・」
「だって、春さん逃がすわけにはいかないでしょ」
「人の色恋に未来視は使わないんじゃなかったのか」
「ボーダーのために必要なら使うよ」
「・・・職権乱用、公私混同って言葉知ってる?」
「見方によるね」
「迅、」
窘めるように言うけれど、迅は少しも聞く気がない。
「だって、全然知らない誰かに持ってかれるよかマシじゃない?太刀川さんならまぁ、」
全然知らない誰か、というのはその未来の旦那なのか、それともボーダーではないところの誰かなのか。
「で、それを俺に言って、お前は納得できたのか?」
煙草を吹かす。迅はそっぽを向いたままだ。林藤に話しているようで、そうではない。たぶん、自分自身に言い聞かせているのだ。天秤にかけて、自分と、ボーダーの最善を比べれば、簡単に迅の天秤は後者にふれる。
「・・・・・・・・最善を目指して暗躍するのが、《実力派エリート》だからね」
頑固な迅を説き伏せるだけの材料が林藤にはない。
***
『 わたしは、ユーイチ君になら何されたって許すよ 』
ベッドの上で、抱え込む。朝一番に、太刀川が来て二人で眠る迅と春の写メをとるのが視えたけれど、まぁいいやと未来の回避を放棄した。
( 春さんは許してくれる )
それでも、迅と春が付き合う未来は視えない。こんなに近くにいても、どんな噂がたっても、少しも。よっぽど迅が好みの範疇外にあるのだろうか。赤井の顔を思い出して、あれに対抗するのは自分では確かに荷が重いかもしれないな、と思う。あんなに喧嘩をしても、ぞんざいにお互いを扱っても、春と太刀川の方がまだ未来としては可能性があるのだから未来はわからない。
もういいや、と迅は開き直ることにした。
この人がどこにもいかなければ、それでいい。
ここにいて、そばにいれたら。
確定しない未来に、迅はふたをした。
関係の名前なんてどうでもいい。
春さんは許してくれるのだ。だから、迅は迅の好きやろうと心に決めた。
海の向こうには、もう返してやる気なんてさらさらないのだ。
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