My Blue Heaven | ナノ
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11.3


みかど写真館で見つかった少女の慰霊式はほんとうにささやかに行われた。身元は春の証言ですぐにわかった。見つかった少女の祖母が一人、隣県からやってきた。遺骨は三門の慰霊碑にと願われたのは結局遺体が見つかっていない両親と同じ場所にという意向らしい。
追悼慰霊式にはボーダー上層部全員が顔をそろえた。ボーダーの隊服ではなく黒の喪服に身を包んで、彼らは静かに頭をたれた。助けられなかった小さな命に。
献花は、春がした。

ある日突然、孫娘の死を目の当たりにした祖母は小さく小さく「もう、どこにもいないのね」とつぶやいた。もう涙も枯れ果てていたのか、腰が曲がり、車いすでやってきた老夫人のつぶやきを、確かに春は聞いていた。




式典が終わり、春はまっすぐにボーダーの屋上に足を運んだ。屋上の塀に腰をかけて迅がぼんやりしていた。声をかける。迅が振り返って春を見た。

「ユーイチ君」
「おつかれ、春さん」

すぐに迅は視線を戻してしまう。ボーダーから見渡せる範囲は、誰もいない、無人の警戒区域だ。春は恐る恐る、迅の隣に腰をおろした。トリオン体であろう迅と違って、生身の春はこの高さで落ちたら即死だ。大規模侵攻の時にはここから飛び出してトリオン兵をぶったぎった、と語る太刀川の話を聞くだけでも高さを想像して震えた。

「お、思ったより高かった・・・・」

座った瞬間、隣の迅の服の裾を思い切り握りこんだ。落下しても、迅がきっとなんとかしてくれると信じて煩く鳴っている心臓を落ち着かせようと深呼吸をした。

「ははっ、春さんて高所恐怖症?」
「これ普通の反応だと思うな!」

高所恐怖症とかいう話ではないと思う。春は高いところが嫌いなわけじゃない、強風におされれば真っ逆さまに落下というシチュエーションはたいていの人が震え上がるはずだ。
大昔に観覧車の上で格闘戦をおっぱじめた頭のおかしい人たちがいたが、見ている春の方がはらはらしたのも懐かしい思い出だ。あれはトリオン体なら納得いきそうなものだが、残念ながら生身の人たちだった。転がる大観覧車に踏みつぶされる夢を視つづけた話をすると「そのニュース見た見た」と迅が笑った。「あれ、春さんたち絡んでたの?」と。
かいつまんで舞台裏をはなした。
何気ないニュースの裏側には、たくさんの人の暗躍があるのだ。あの観覧車で、誰が何を守ろうとして、誰が犠牲になったのか。すべてを知る人なんてほんの一握りだ。
春だって、三門のことをかつてはテレビ越しにニュースで知っていたけれど、それが全てではないことも今は知っている。
何気ない話が、ふいに途切れた。

「泣いてたね」

誰が、とは迅は言わなかった。

「うん」と返事をした。迅は式典にはいなかったけれど視えていたのかもしれない。彼はここで防衛任務についていたと聞いている。

「あの子さ、いい子だったよ。私の家の鍵見つけてくれて。鍵だけじゃなくて、もっと大事なものも見つけてくれた。可愛い子だった」
「大規模侵攻で全部を守りきれなかったのはおれ達で、春さんのせいじゃないよ。」

迅は春を見ない。空っぽの街並みを、眺めている。
残されたものにとって、残酷な真実だった。春がだまっていれば、その老婦人は永遠に孫の帰る未来を待っていられたかもしれない
生きているうちに会えてよかったという人もいるかもしれない。知らずにいられた方が幸せだったという人もいるかもしれない。
人の心は繊細で、答えは無数に存在する。正解なんてものがない。
春のせいじゃない、と迅が言う。その優しさに、泣きそうになる。
彼にとってはどちらが正解だっただろうか。
知りたかっただろうか、知りたくなかっただろうか。春は隣に座る迅の顔が見れないでいる。隊服を握りこんだ。
黙っていれば、今、彼はこんな顔をせずにすんだのだろうか。彼らの守れなかったものを、掘り返してしまった。傷口にできたかさぶたをひっぺがしてしまった。膿んだままの傷が、ぐじゅぐじゅになって彼を苛んでいるとしたら。


「春さん、そんな薄着でここいたら風邪ひくよ」

「引いたら、ユーイチ君に看病してもらうからいいんだ」

「実力派エリートは忙しいんだけどなぁ」

「そう言わずに」

遠まわしに、一人にしてほしいと言われたのは春もわかった。室内に、戻る気は少しもしない。

「林藤さんがね、迅が屋上にいると思うって教えてくれたの」
「ボスが?」
「そう」
「そっか」

林藤は、式典が終わると春を捕まえて言った。ただ「迅が屋上にいると思うんだよ」と。いつもの癖なのか、煙草を吸おうと胸ポケットに手を突っ込んで、喪服には煙草が常備されていなかったのに気が付いてばつが悪そうに頭をかいた。
一人にさせておきたくない、と林藤が言外に含ませたのがわかる気がした。


「・・・・実はね、知らないかもしれないけど、ユーイチ君は私のヒーローなんだ」

ヒーローなんだよ、と春は繰り返した。すっごい助けられたんだよ、と同じように街を見下ろしながら言う。

「おれは、そんな大したもんじゃない」

迅が隣で苦笑した。自嘲とまではいかないけれど。
たまらない気持になった。迅悠一の背中にのっかっているものが、眼下に広がる無人の街なのだとしたら、19歳の青年が一人で背負うには重すぎる。

鏡写しだ。迅の傷が、春には見えた。よく似た傷を自分も抱え込んでいる。痛みに耐えて、笑っている。泣けばいいのに。迅が泣けないのは、彼の糸がゆるめれるほどの安心を春ではあげれていないからだ。以前はあれだけ煩く騒いでいたくせに、ここ最近ちっとも姿を見せなくなった幽霊を思い出した。
ソーイチがここにいれば、もしかしたら迅は泣けたのかもしれない。


「私、ユーイチ君のヒーローとまではいかないかもだけど、もっともっと頑張るね」


『ありがと』と泣きべそかきながら言った少年に春は救われた。
あの日から、春の世界は180度姿を変えた。
もっともっと頑張らなくては。この張りつめた糸みたいな迅を見ているのがつらい。あの頃みたいに、無防備に泣いて泣いて、泣きわめいてほしかった。糸は張りつめすぎると、ぷつんと切れてしまうから。ソーイチの代わりになんてなれはしないだろうけれど、少しでも迅が楽になれたらいいなと思った。

互いの肩が触れた。あたたかい。

「春さんは、ヒーローになんかなんなくても大丈夫だよ」

迅が言う。


「春さんが居てくれたら、いい」


その言葉に、春ははじかれるように隣を見上げた。あまりに勢いをつけて振り仰ぐように隣を見たから、思わず体のバランスが崩れかけて、それが視えていたのか迅が春の腰を抱えて落下は免れた。
距離が近づいた。目の前に青い目がある。抱え込まれて、思わず縋るように隊服の前部分を握りこんでいる。

「・・・・びっくりした」

「びっくりした」同じ言葉を春は繰り返す。

「なんか、すごいデジャビュ、で、」

「居てくれたらいいって言った先から、居なくなりかけるんだもんな春さんは」迅が呆れたようにおどけてみせた。

「みえてた?」

「視えてた。おっこちてたら、春さん死んでたよ。まぁ俺が助けるんだけど」

「さすが私のヒーロー」

「春さんのヒーローになるのは簡単そう」

「喜びが安すぎると風間くんにも言われるけど、ヒーローはユーイチ君だけだよ」

「どうだかなぁ」

「ユーイチ君だけだよ」

大事なことなので二度繰り返した。春の腰に両腕をまわした迅は、きょとんとした顔で春を見た。



「 私ね、ユーイチ君に出会えて、ほんとに良かった」と春は言う。


懐にしまいこんだ写真を脳裏に思い浮かべた。出会えてよかった。あの時も、そして今も。
ここにきてよかった。
今、この瞬間を、自分がそばにいれて良かったと本当に春は思ったのだ。
ひとりぼっちで、ここに居させなくてすんでよかった。

ありがとう、とかみしめるように春が言うと、迅は困ったような顔をした。困惑して、眉をよせた迅が可愛くて、春はそのまま迅の頭をぐしゃぐしゃに撫ぜた。



春のヒーローを、今度は春が助けたかったのに。結局また助けられてしまって、泣きたいくらいにどうしようもなく幸せだった。




***




夢を見た。たぶん、ほんとうに、ただの夢だ。


『 春さんが居てくれたら、いい 』


迅が言う。そのシーンを何度も何度も繰り返し。
ふわふわする。地に足がつかない。困った。そんなセリフを言ってはいけない。
最近めっきり見ることがなくなりつつある、夢のかわりにするなんて最低だ。優しい言葉をかけてくれるならだれでもいいのかお前は。この尻軽め。お前みたいな女に迅悠一がふさわしいと本当に思っているのか。
度し難い。
八嶋春、有罪!と脳内裁判長が判決をくだした。春も同意する。判決に異議を唱える余地がない。
有罪だ。だれか私の首を刎ねてくれ。


『 春さんが居てくれたらいい 』


その言葉がリフレインする。
触れるぬくもりが、全身を圧倒的な幸福感でいっぱいにしてくれる。だめだ、これはまずい。離れがたい、離しがたい。
みえなくなった誰かが、春を責めている気がした。

迅に甘えるなんてダメだ。だって、もうこれ以上ないくらに背負っているものがある人なのだ。自分のことまでのっけてしまうなんて許してはいけない。ちゃんと自分の荷物は自分で持て、と自分を叱咤する。

じわりと、胸の片隅で湧き上がった感情を春は自分でも気づかないうちに、二重三重の箱に詰め込んで鍵をかけ、鎖でつないで仕舞い込んだ。


ユーイチ君が幸せになってくれたら、それでいいのだ。
そのためにできることなら、全部してあげたい。
春は夢の中で更に深い眠りに落ちていきながら、ただそれだけを願っていた。




***



ボーダー隊員の運用は本部長に権限がある。はじめ、個別に声をかけて非公式に春は動こうとしたけれど、上に話を通すべきだという風間の意見に渋々頷いたらしい。

「八嶋は「上の人は根拠もなく君たちを貸してくれるかな」と言っていた。確かに根拠はない、理由も言わない、ただ俺たちに手を貸してくれと言うだけだった」

メンバーは全員、成人していることを春は希望した。何故、と至極当然に本部長である忍田は問うた。
春はどこか寂しげに、悲しげに「そうした方が、貴方たちも後悔しない」と告げた。
迅はメンバーに選ばれなかった。

少女の遺体が見つかった、と報告が入る。4年間ひとりぼっちだった少女は迅たちの、旧ボーダーにとっての守れなかった一人だった。
深い深い消えない傷が三門市にはある。誰もが笑って、誰もが普通に生活しているすぐそばに、けして消えることなく。

「迅をはずせといったのは、これが、理由か」と風間は言った。

だまって春が頷いた。

「八嶋、」
「あの子は、今はもう視えないから、きっともう大丈夫」

大丈夫、きっと。そう言って春は笑った。
祈るようにつぶやいて。

「ユーイチ君のせいじゃない、彼らのせいじゃない、とは言えない。けど今は少なくとももうだいじょうぶ、視えない」

あなたたちのせいじゃない、とは言わない。責任はある。城戸にも、忍田にも、林藤にも、およそ旧ボーダーにかかわるすべての人間の肩にのしかかっている。
選んだメンバーの人選にはもう一つ、条件があった。旧ボーダーに所属経験のあるものを除くことだ。
春にはできなかった。彼らの守れなかったものを、再び彼らの目の前に直接突きつけることは、したくなかった。本当なら、彼らにさせるべきだったのだろうか。わからない。でも、春に視えて、春が見つけるのなら。どうするかは春が決めれる。
春は迅に、見せたくなかった。一人ぼっちで死んでいった、可哀そうな女の子を。きっと彼は傷つくから。
それは春の思いだ。死者への責任を無視して。だって仕方ない、春は死者を視るし彼らの助けになりたいと思うけれど、その思いよりも迅の方が優先される。


あの日、あの小さな男の子を助けたから。
この未来は生まれたのだ。


あの日、あの小さな男の子を助けなければ、どうなっていたか。それでも少女は助からなかっただろうし、もっと多くが犠牲になっただろう。だが、迅も、旧ボーダーのだれにもこんな重い重い責任を背負う未来は来なかったかもしれない。迅はもしかしたらネイバーフッドで重用されて、もっと楽ちんにいきれたかもしれない。何も知らずに死んでいけたら、この長い長い終わりの見えない戦いに彼らが飲み込まれることはなかったかもしれない。


「ごめんね、風間くん」

「何故お前が謝る」


全てのはじまりの引き金を引いたのは春だ。
だから、その放たれた銃弾が打ち抜くものすべては春にも等しく責めを負う義務がある。
風間蒼也は、大規模侵攻で兄を亡くしている。だから今回の件に誘うのにも抵抗があった。彼は何を思うだろうか。つらくはないだろうか。
それでもお願いのできる人間が思いつけなくて、メンバーに望んだ。


「今回、つらいことを思い出させたんじゃないかと思って」
「何がだ。俺は良かったと思っている。見つけたのがお前で、そしてそれに立ち会ったのがおれ達で」
「・・・・なんで」


風間はこれを春が見つけなければ、迅が見つけただろうと言った。迅が見つけ、上が対応して、すべてが終わった後で公表された情報だけが自分たちのところにくる。旧ボーダー内ですべてが対処される。
そうではなくてよかったと、風間は言った。


「俺はボーダーの人間だ」
「うん」
「ここで生きていくと決めている」
「・・・うん」
「旧ボーダーの上に、新ボーダーがある。その上にのっかって立っている俺たちに、あの人たちは『お前たちには関係ない』と言うんだよ。お前たちのせいじゃない。『俺たちのせいだ』とな」

春が風間隊で出ると進言した風間に『未成年は除きたい』と言ってくれたことに今、感謝していた。彼らはまだ、どこで生きていくのかを選択できる。自分とは違う。ボーダーが楽しいだけの、危ないだけの、組織ではないことを、まだ知らない。
風間はもうボーダーを選んでいる。

「関係はあるだろう。俺はボーダーなんだから」
「・・・・風間くんがかっこよくて惚れる」
「ふざけるな」
「・・・・ごめん。だってかっこいい。しびれる。私も風間くんみたいになれたらいいのに」
「なりたいなら、なればいい」
「簡単に言うなぁ」
「なれ」

こいつは”こちら側”の人間だ。風間は、ようやくそれを、本当の意味で理解した。八嶋春はボーダーに必要だ。どんな手を使っても。
迅悠一は、言い方は悪いがボーダーの神だった。視えて、暗躍し、操作し、守る。取捨選択をする。神様の言葉は絶対だ。最後の最後で、風間達の意見はそこに必要とされない。


「俺達にはお前が必要だ」

隠されてしまう、守られてしまう。風間達が知らない間に処理されていることが、おそらくは山のようにある。林藤は兄の師だった。その流れで、風間自身も師事した。だがすべてを教えられてはいない。まだ、ボーダーの最深部を風間は知らない。知りたいと風間は思っている。知らないままで、いるつもりはない。そして、その為には、きっと旧ボーダーの眼である迅を越えなくてはいけない。あのサイドエフェクトを、振り回せる人間が見つかったのは僥倖だ。

「俺は、俺たちは、あの人たちだけを悪者でいさせてやる気はない」
「悪の薦め?」
「知らなかったのか、ボーダーは悪の秘密結社だ」


顔を見合わせた。風間はぶれない。
追いかけている背中がどれだけ遠くても、まっすぐ前を見据えて走っている。


「・・・知ってた」


風間は目の横にきらりと光でも出したかのように、笑った。
まっすぐに前を向いて、歩く風間の立ち姿はとてもきれいで、その生き方がとても春は羨ましかった。








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