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20-2


三度ほど、八嶋春との任務を終えたころ、迅が三輪の前に現れて「春さんを見てて」とまた勝手なことを言い出した。
三雲の時のことを思い出して、思い切り嫌な顔になる自分がわかったけれど、隠すつもりもない。なぜ、俺が。お前がやれ。
言葉にしなくても伝わっただろう。視えているのなら、どうにかしたいのなら、お前がやればいいのだ。俺は知らない。知ったことか。
サイドエフェクトに似た力を持つのなら、自分で自分の危機を回避すればいいのだ。




『 あんたは知ってたのか 』

最初の任務で、別れるときに聞いた三輪の言葉に、八嶋春は『知っていた』と答えた。
何を知っていたのか、と具体的な言葉は何一つ言わずとも、それでも知っていた、と。そう答えた。
それでもう三輪には十分すぎるくらいの答えだった。迅と同罪だ。視えていたくせに。どうして。
へらへらと笑いながら、いまさら何ができる。死体を見つけたから何の意味がある。死人は帰らない。

三輪秀二は八嶋春を、迅悠一と同じように嫌悪した。触れたくない、存在だった。そんなことは、城戸とてわかりきっているだろうに『三輪隊』を城戸は指名の中にいれた。
命じられたのは『できる』と思われたからだ。嫌悪していようが、それがボーダーのために必要ならばやれ、と。命じられてNOを言えば、おそらく失望されるのだろうと分かった。試されている。
ボーダー隊員として、図られている。
近界民が憎かった。殺してやりたかった。そのために、ボーダー隊員であり続けなくてはならない。
だから城戸の命に頷いた。


『神のみぞ知るってやつだね』


神様きどりのお前たちが言うのか。
未来を覗き見て、何を助け、何を守り、何を見捨て、何を殺すか。掌の上に転がしている。吐き気がした。




***




「春さんなんか見えた?」といつものように米屋が聞いた。
「見えない。寒い。震える」

一番厚手のコートの下にセーターを着て、ヒートテックを装備した上にマフラーをぐるぐる巻きにした状態でもなお寒さはしのげていない。

「春さん着ぶくれしまくってんな〜」
「だって生身ですよ私。いいなトリオン体、便利だよね」
「怠けると寺島さんみたくなるらしいっすよ」
「まじか。それは危険だね」

いつものようにのんびり警戒区域を歩く。運の良さが発揮されていて、まだ近界民には遭遇していない。

「…くだらない。こんな任務をして何の意味がある」
「そう思う。ユーイチくん基準で考えるとそうなるんだろうけども・・・私はあそこまで高機能じゃない。どっちかというと多機能型だから一個ずつのアンテナはイマイチ調節が難しい」

三輪はまた嫌そうな顔をした。同意したんだけどな、と春は肩をおとした。


『三輪君、600m先に門が開くわ』と月見からの連絡が入る。トリオン体ではない春は内部通話はできないので、耳に通信用器具をくっつけていた。

「三輪、了解。陽介、奈良坂が対応に向かう。俺は八嶋春の安全の確保をしたのちに合流する」

『章平くんは』

「古寺は月見さんの方で。中間地点でどちらにも応援に行けるよう調節してください」

『了解よ。春さんは生身なんだからくれぐれも気を付けて』

「・・・八嶋、了解」と、春も返事をした。

門がひらくと独特の気配が空に満ちる。空気がぴりぴりと張りつめて、空が裂ける。そしてそこに黒い穴が開き、異界のばけものたちがやってくる。
忌々しそうに三輪が春に避難指示を出す。彼だって春にかまっているより、近界民を倒しにいきたいのだろう。


( あ、まずい )


その痛みは唐突にやってきた。
痛みの波が、高い高い津波になって、春に向かってきているのが分かった。こんな時に。

――場所が悪いんじゃないのか。

そういったナルの言葉がよみがえった。
三門市には、あまりにたくさんの《死》が日常の隣に埋められている。



((姉さん!その手鏡いいなぁ!ちょーだいちょーだい!))

無邪気な声がする。必死な声がする。
だれかの過去だ。楽しかった過去と、つらい過去。走馬灯のように通り過ぎていく。
ぐしゃぐしゃに見える映像を一つ一つ整理していきたいのに、痛みでうまくいかずにいた。


((あの子のとこまで、いかなきゃ、))

((あの子の、――      ))



空気が震えている。そこで正常な自分の意識がぶっつりと途切れるのが分かった。







***




春と三輪の真上にイレギュラーな門が開く。三輪は春を物陰に突き飛ばし、迎撃の体制に入る。門は小さい。すぐに閉じるはずだ。

三輪が這い出してくるトリオン兵を一体始末したところで、月見から通信が入る『ッ三輪君!春さんが離れてるわ!!』

三つに部隊を割っているせいで、把握が遅れた月見はすぐに春のマーカーを三輪に送った。何故動いたんだ、と三輪は最後に出てきたトリオン兵に鉛弾を撃ちこんだ。


『章平、とどめをさせ。俺は八嶋春の確保に向かう』

古寺の応答を待つよりも早く、三輪は駈け出した。八嶋春は生身なのだ。そして、月見の情報がただしければ、八嶋春のすぐそばで門が発生している。



――春さんのこと見てて。



迅の言葉が脳裏によぎる。何故お前が動かないんだ。わかっているのなら止めればいい。心配ならば任務自体をやめさせればよかった。なのに、そうはしない。
それがボーダーだ。ボーダーのやり口は、実際迅のやり口そのものだ。迅の未来視を元に、ボーダーは動く。城戸派も本部長派も、玉狛も。結局はあの神様きどりの能力を持つ男を信じて動くのだ。八嶋春が防衛任務で何かを感知する可能性があり、それがより迅にとって都合のいい未来につながるから、平気で危険にさらす。気を付けてといった同じ口で、任務を口にするのだ。

すぐに八嶋春は見つかった。トリオン兵をうまく避けているのは、さすが実戦に出た経験というやつなのだろう。
だが動きがおかしい。ふらふらと、幽鬼のように。歩く足が、身体をかばう手が。すべてがおかしいのに、気が付いた。


鉛弾で動きを止める、追いついてきた奈良坂と古寺の援護射撃が後ろからあった。米屋もおって追いつくと月見から連絡が入る。もう問題ない。多少のイレギュラーはあったが、いつも通りの防衛任務だ。




***




( こわい )


空から降ってくるトリオン兵から逃げ惑う。右へ左へ。物陰に隠れ、走って、走って。
足がもつれて何度か転んだ。この感覚は自分のものじゃない。それはわかっていた。
怖い、恐ろしい、だれか助けて。その感情は。

爆音がして、トリオン兵が地面にたたきつけられる。近くの壁に半身を寄りかからせて息を整えた。


( ……カットしろ ) 



同調しすぎている。視界が、滲む。自分の今目の前にある視界と、自分じゃない誰かの視界がごちゃまぜになっている。


「……無事ですか」


声がした。三輪の声だ。だがうまく視界にとらえられない。目の前にいるはずなのに。


「歩き方も不自然でした。怪我をしたんでしょう」


ああ、よく見ている。


( どうしよう )

みられてしまう。しられてしまう。心臓が煩いくらいになっている。早鐘をうつ、とはこのことなんだろうなとぼんやり現実逃避する頭の片隅で考えている。
「隠してない」と言っても三輪はますます怒りの色を濃くしていく。
トリオン体の三輪が春のコートに手をかけた。視えていたんだろうか、彼には、これが。
だって迅は言った。『無理はしちゃダメだよ』と。無理とはどこからどこまでの範囲を言うのだろう。痛くて仕方ないのに、黙っていること?隠して平気な顔をすること?いや無理じゃない、まだ我慢できる、我慢できてるなら無理じゃないってことだ、と春は思っていた。
意識してしまうと痛みがひどくなる。同調が、きれない。


( 痛い……!! )


笑え、笑えと表情筋に命令するのにうまくいかない。手で、胸を押さえて、ずるずると体が近くの壁によりすがってしまう。
誰かの手が伸びてくる。三輪の手、のはずだ。わかっている。わかっているのに。
違う手が、それに重なって見える。


「 ころさないで 」


震えた声がした。かすれたような。それが自分の声だと気づいて、思わず口を手でふさぐ。その声を、三輪は拾っただろうか。慌てて誤魔化すように続けた。


「や、あのね、あの、大丈夫!ちょっとそう・・・こけた!こけたの。ドジでごめん、だからその、」
「どこか怪我をしているんでしょう。自分たちの護衛中に何かあっては城戸司令に申し訳が立ちません」

聞こえるはずのない雨の音が、春の耳をかすめた気がした。この痛みは自分の痛みじゃない。腹に、胸に、絶え間ない痛みがじくじくと疼いている。


(じゃあ、だれの痛みだ?)



ぽっかりと、胸に穴が開いている気がした。
着たままではわからずらちが明かないと判断した三輪に着ていたコートをはぎとられ、セーターをめくりあげられてしまう。生身の春にはトリオン体相手ではどうにもできない。三輪たちが大げさに動揺した。そして現れた春の生身に更に体を固くした。

「・・・っなんだ、それ、あんた、」

絶句している。そりゃそうだろう。男子高校生に見せたい傷じゃあなかった。
いや、男子高校生だけじゃない誰にも、見せたくなかった。トリオン兵に追われてついた傷なんて、ひざの擦り傷くらいで。あとは。あとは全部。

「・・・・なんでもない、です」
「なんでもないわけないだろう!?誰にやられたんです、犯人は?警察は?何でへらへらこんなとこにいるんだアンタっ」

三輪は混乱していた。年上の、女性の、傷。オーバーラップする大事な姉の姿。これがなんでもないわけがないし、ちょっとこけた、という傷じゃない。


「警察には?城戸司令はご存じなんですか?!すぐに病院に、」
「うわっ、待って!待って三輪くんストップ!警察連絡なんてしなくて大丈夫だから!」
「DVの被害者は皆そういうとテレビでいっていた」
「DV?!いやそうでもなくて、警察の人も困っちゃうだけだし・・・いっ、」

大げさに大丈夫を表そうと腕をぶんぶんまわしていたら、痛みの波がじわりと襲ってきて飲み込まれる。まったくもって自分の体のポンコツさが嫌になる。崩れ落ちそうになる春を三輪が真っ青な顔で見ていた。

「・・・・・ほんと、だいじょうぶなんだよ。捜査協力してる事件の被害者が受けた傷、だから。夢でシンクロ?同調しすぎちゃうと、現実にもこうやって出ちゃうんだ。深く入り込みすぎると夢と現実を分けきれなくなったりする」

白状した。全部が本当のことじゃない。
この痛みは、捜査資料にない痛みだ。三門で、まれに感じる痛み。目の前の少年の存在に、引きずられているのかもしれない。それだけは知られたくなかった。




――あれはトリオン器官を、抜かれる痛みだ。



引きずり出される感覚。胸に、ぽっかりと穴があく感覚。それは過去に誰かに起こったことで、そしてこれは未来でも起こりうる可能性の一部だ。

能力の調子が良すぎても、悪すぎてもよくない。速度の出過ぎた車が中々止まれないのと同じだ。コントロールがきくくらいの中くらいが一番。けれどそこに保つのは自分の意志ではどうにもならない。能力に見合うだけのコントロール力が春には無い。それが何よりも春を苦しめる。

三輪は言葉もないようだった。そりゃそうだ。トリオン体での戦闘には生々しさがない。人は死なないし、怪我もしない。
だからこそ彼の眼が、自分を通して過去に向いたのがわかった。そうだ、彼は見たのかもしれない。戦闘での傷は生々しさに欠けていても、彼が戦うための力を手に入れる前に彼は目の当たりにしたはずだ。春が感じた痛みを、抱えた人たち。あの『大規模侵攻』で。

腕にまとわりつく赤い痣。耳にこびりついている悲鳴。ばれてしまったことで、急激にはりつめていた糸が途切れてしまう。痛みの波に飲み込まれる。ひとつの痛みが別の痛みを誘発させていく。よくない傾向だ。




( いたい )




春は波に飲み込まれた。
ぷつんと、糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた自分を、誰が支えてくれたのか、春にはもうわからなかった。











目を覚ますと、そこはもう外ではなかった。
救護室の先生も、初めての症例に困惑させてしまった。ある程度の通常の処置はしてもらったが幻覚にも近い傷なので、根本的にはどうしようもない。そのうち消えるのを待つしかない。どうにもできないことだ。こけたときにできた擦り傷だけ消毒してもらい絆創膏をはりつけた。実際の傷はそれくらいだ。

「痛みは」
三輪が、報告を終えて戻ってきた。入れ替わるように救護の職員が出て行った。

「もう今は平気。ごめんなさい、任務の方は大丈夫だった?」
「……あれくらいは」

あれくらい、なのか。人間の戦争とやはり規模が違うなぁと改めて感じた。
ミスだ。
やってはいけないことだった。迅の言うとおり『無理』をしたせいだ。近頃ずっと、調子が良くないのを、なんでもない顔をしてみないふりをして。自分はできる、自分は大丈夫と、自己暗示にかけて。挙句の果てがこれだ。 


「・・・うなされてましたね」

意識はなかったはずだ。それでも、うなされていたのか、と他人事のように三輪の言葉を聞いた。一歩、近づいた三輪に、大げさに体が震えたのに三輪が気が付いて、足を止めた。

「・・・嫌なもの見た後は、どんなにいい人ってわかっててもちょっと、構えちゃうんだ、ごめんね」


トリオン兵を恐れる感情と、いっしょくたになって現れていたのは最近依頼された事件の被害者の感情だ。誘拐され、傷つけられ、そして死んだ女性の嘆き。そんなものばかりを見ていたせいで深刻な男性恐怖症になりかけた時期もあった。
自分よりもずっと大人な人たちが、根気強く話を聞いてくれて、だいじょうぶだと傍にいてくれたから、何とかなったのももちろんあるけれど、結局は自分で心の整理をつけないと前にはすすめなかった。そうだ、と三輪に断ってから携帯を取り出して連絡を取る。
ワンコールですぐに相手は出た。FBIだ。見た状況から得た情報を整理して報告だけして通話を切った。頭が重い。誘拐されていた富豪令嬢はうまくいけば助かるはずだ。

「そんな状態で、まだやるんですか、貴方は」

「視えたから。今回は間に合うはず。あっちの傷の感覚も深くなかったし」

腹をさする。胸の方に感じた痛みについては絶対に口にしないと決めている。


「毎回そうなんですか」

「まさか。めったにないよ、ここまで酷いのは」

「……ずっと、それを繰り返して?」

「そうだね、  」

相槌のあとに思わずこぼれた言葉を、三輪が聞き取れていないことを祈った。頭がぼんやりしていて、失言ばかりしている気がした。
今回は間に合うはずだ。いつも、間に合わないことの方が春は多い。間違うことが怖いから、未来よりも過去ばかりを見ていたせいだ。


「みんなこわいし、みんな消えろって思うし、みんな許せないし、みんな敵だ、だれも信じられないって、もう何も見たくないって思ったりも、する」

ぐしゃぐしゃだ。見えすぎるとどれが自分の感情なのかわからなくなる。
三門には悲しい記憶がたくさんあって、そのどれかにひきずられた瞬間に春は一歩も動けなくなる。トリオン器官を抜かれる感覚が、ぞわりと背筋を凍らせる。怖い。逃げ出したい。
トリオン値が低い春もきっとああされるのだ。

「近界民も、わたしたちもぜんぶ。自分に受けた傷じゃなくても、怖いし、憎いし、腹が立つ。だから犯人逮捕に協力するんだけど、別にすべての人間がこんなことするわけじゃないのも知ってる。近界民も、こっちの人間も、おんなじだ。酷いことする人はする。しない人はしない」

そう思わなくては春はやっていられない。ある日突然目の前の人間が豹変するかもしれないなんて思いながらでは生きてはいけないのだ。信じるしかない。

「だからこそ、酷いことをするやつを一人だって見逃したくない。目には目を、歯には歯を、罪には裁きを、ってね」


肩をすくめても、わずかに痛む。今回ばかりは重症だ。まさかこんな風にばれてしまうなんて情けない。もう少し上手に隠していたかったのに。精進が足りないのかな、と自己反省した。

ボーダーは皆いい子だらけで、まったく、ほんとに計算外だ。上手に大人の顔をしていたいのに、情けないところばかりみせてしまうのだからやりきれない。赤井のような、スパダリは春にはレベルが高すぎる。

「・・・・きょうは、もういいと城戸司令から伝達がありました。しっかり休むようにと。家まで送ります」
「あ〜、いや、今日は作戦室に泊まっていくから。ほんとに、色々ありがとう三輪君、さっきも倒れそうなのとこ受け止めてくれて」

「それは俺じゃありません」

「そうなの?」

では米屋だろうか。奈良坂や古寺は後方支援がメインだろうから最初から違うと思っていた。だが米屋でもないらしい。


「迅が」


静かな声で、口にしたく名前を口にしている、と三輪はそういう顔をしていた。


「・・・・・ユーイチ君が」

「俺は報告が残っているので戻ります」

「うん」

「八嶋さん」

初めて、苗字を呼ばれた。


「お大事に」そう言って、三輪は救護室を出て行った。無事でよかったです、と。それは彼の姉に、本当は言いたかった言葉なのかもしれない。胸に、あるはずのない空虚な穴が、じくりじくりと痛んでいたのに、その言葉でほんの少しだけ和らいだ。









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