神田さんが、長期の任務に向かわれた。

どうやらだいぶ大物の事件のようで、エクソシストで室長補佐のリナリーさんと共に地下水路を下っていったらしい。
場所は中国の端のほうの小さな村で、担当した捜索隊の話によると、とても複雑な奇怪が起こっているそうだ。詳しいことは分からない。

じばらくの間、あのときのレアな神田さんの姿に舞い上がっていたわたしは、ほんの一瞬のあのわずかな微笑みに気分が上昇していたわたしは、それはもう残念な声で一言、

「さみしくなりますね」

と答えたのだ。(ジェリーさんは、そんな落ち込まなくったって、すぐに帰ってくるわよ!と励まして下さった)


それでもさみしいものはさみしくて。
もちろん今まで毎日会っていたわけではないし、お互いが任務であることのほうが多かったけれど、何日間も食堂にあのポニーテールが見つけられないことは、なかなかわたしの元気に影響をもたらしていた。

「はあ…」

柄にもなくため息をつく。だけど何かが変わるわけではないし、捜索隊のわたしなんかが室長さんに、神田さんの任務内容を聞けるわけもなく。
でも、近くにいたアレンさんは、優しいことにわたしの憂鬱を拾ってくれた。


「どうしたんですか、なまえさん」
「アレンさん。今日はいつもよりみたらし団子が多いですね」
「任務中食べれなかったんで、今その分を取り戻そうと……て、そうじゃなくて」

アレンさんは困ったように笑いながら、顔の前でみたらし団子の棒を振った。
わたしは少し逡巡した後、おそるおそるその名前を口にした。

「神田さん、が」
「っ!……すみません、神田がどうかしました?」

やはりアレンさんはもふもふと頬張っていた団子を喉に詰まらせそうになった。本当に、申し訳ない。

「長期任務と伺ったので、いつ帰ってらっしゃるのかと…」
「お、アレン!」

食堂の喧騒にも負けない、すごく明るい声がアレンさんの背後から聞こえた。
アレンさんとわたしがそちらを向くと、声と同じく明るい髪色の青年が立っていた。エクソシストでブックマンの、ラビさんだ。

「女の子と食事なんて、隅に置けないなーアレン」

ラビさんはにやにやと笑いながら、アレンさんの隣、私の斜め向かいに座った。そしてわたしを見てにこりと笑った。
噂には聞いていたけれど、すごく人当たりのよい方だ。わたしも笑い返して、自分の名前と捜索隊であることを伝えた。
するとラビさんは一瞬きょとんとしたあと、ああ、と思いついたように手を叩いた。

「ユウの…!」

そこまで言って、口を閉じてわたしの目をじっと見た。
神田さんの、なに?
わたしが聞き返そうとすると、ラビさんは先ほどのアレンさんのように、顔の前で手を振った。

「いんや、いいんさ。こっちの話」
「はあ…」
「それより、あんたさ、食堂でいつもユウのこと追い掛け回してるんだよな。なんで?好きなの?」

すごく直球な方だ。
わたしが一瞬面食らって黙ってしまうと、アレンさんがかなり慌ててラビさんの頭を叩いた。その気遣いに逆にわたしが慌ててしまって、先ほどのラビさんのように一生懸命顔の前で手を振った。

「いえ、その、好きとかっていうか、」
「うん」
「ただ、神田さんが、一人ぼっちで食事をされてたので……」
「うえ?」

それだけ?と間抜けな声で聞き返したラビさんに、わたしは頷いて答えた。
彼はしばらく呆気に取られたあと、ううーんと唸って、またわたしの目をじっと見た。

「噂どおりの、変わった子だなー」
「ええ?」
「ちょっと、ラビ!さっきから失礼ですよ!」

アレンさんが今度は、思いっきり、それはもうテーブルに顔がはまるかと思うほど強くラビさんの頭を殴った。ああ、極端な方だなやっぱり。

「だ…大丈夫ですか?」
「痛てえさ!アレンひどっ!」
「自業自得です」
「ひど…!違うんさなまえ、褒めてるんだって」

ラビさんは、にへら、と笑った。まったく勘に触らない笑顔。それでもアレンさんは彼に突っ込みを入れるのだから、きっととても仲がよいのだろう。
彼はにこにこと笑ったまま、手元のコーヒーカップにミルクを入れてくるくると回した。

「ユウさ、あんたの名前出すとめっちゃ怒るんさ。そりゃ面白れーくらいに」
「え?」
「今度食事誘おうかなーとか言った日にゃ、六幻まで持ち出すんさ。叩き斬るぞ!てな」
「は、あ…」
「言ってること、分かる?」

わたしは、返事に困ってしまった。
なんだかわたしのものではないような感情が、じわじわと胸の内側の壁を侵食していくようで、自分でも扱いが分からなかった。
だから、しばらく沈黙したあと、静かに首を横に振った。ほんとうは、なんとなくわかっている気が、していたけれど。

ラビさんは、やっぱり、というような困った顔で笑っていた。となりでアレンさんも、微笑んでいた。
わたしがなんだか申し訳ない気持ちで俯くと、ラビさんの優しい声が頭上から落ちてきた。


「つまり、あいつにはなまえが必要だってことさ」


すごく簡潔で、ひたむきで、大きな言葉。
わたしは思わず顔を上げて、見上げたラビさんの瞳がひどく真っ直ぐだったから、慌ててまた俯いてしまった。
どうしよう、なんか、なんて答えていいのかわからない。
すると、ラビさんはそんなわたしを見て静かに笑った。ほんとうに、透き通った優しさを含んだ声だった。


「あんたみたいに純粋な子が、ユウにはすごく大切なんだ」


目頭が急激に熱くなって、泣きそうになってしまった。

一方的で自己満足なわたしの気持ちを、ラビさんが届けてくれたような気がした。
勝手に追い掛け回して、もしかしたら神田さんを傷つけているかもしれないという不安の傷口を、優しく撫でてくれた。

わたしは涙目で、消え入るような声で、ありがとうございます、とだけなんとか呟いた。


きっと、内側から溢れ出しそうになってるこの気持ちは、ただわたしだけのもの。
その正体はまだ判明しないけれど、ただ、神田さんに会えばすべてはっきりするような予感がしていた。


だから、神田さん。はやくあなたに、会いたい。


(幻のような後ろ姿を追い求める)
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