きっかけは、至極単純だった。

捜索隊の先輩が「神田ユウは捜索隊を馬鹿にしてる。あんなやつ人間失格だ!」と喚いていたから。
わたしにしてみれば、エクソシストさんたちのサポートをするのがわたし達の仕事なんですよ、個人的な感情に流されてはいけません。と言ってしまいたいところだったけれど、さすがに怖い先輩だったのでやめておいた。
だけど、その時からわたしは、神田ユウという人物が気になって仕方がなかった。
なんだか、なんていうのだろうか、恋愛感情的な“気になる”ではなくて、興味を持ったというほうが正しいのかもしれない。
どんな人物なんだろう、噂はどこまでが本当なんだろう。
挨拶しただけで睨まれるとか、毎日蕎麦ばっかり食べてるとか、アレンさんのことをモヤシって呼ぶとか。

だけど、本当に人間失格な人なんだろうか、とぼんやりと思っていたとき。

賑やかで愛に満ちている食堂の端っこで、一人きりでお蕎麦を食べている神田さんを見つけたのが、すべてのはじまり。



「あら、なまえちゃん!今日もかわいらしい、いい笑顔ねー!」
「こんにちはジェリーさん!今日もお元気そうでなによりです」

もっちろんよー!とジェリーさんが盛大に笑った。
わたしが「うどんお願いします」といつものように言うと、彼女(でいいんでしょうか)はいつものように大声で厨房に伝えてくれた。
後ろをちらりと見て、並んでいる人がいなかったので、もう一度ジェリーさんに向きなおった。

「あの、神田さんいらっしゃいましたか?」
「んふふ、なまえちゃんったらいっつも彼のこと追い回しちゃって…恋なんていいわねー」
「いえ、あの、そういうのじゃないんですけど」
「まーた、照れちゃってかわいいわー!ほらほら、あ、そ、こ、よ!」


ジェリーさんが可憐に指差した方を見れば、たくさんの色の頭に混じって、黒髪のポニーテールが見えた。
わたしは訂正するのもなんだか面倒な気がして、というかジェリーさんは聞いてくれそうになかったので、うどんを受け取ってお礼を言ってくるりと向きを変えた。
人の波を上手に避けて、黒いおっきな背中を目指す。

そういえば、任務に出る前。生きて帰ってきたら一緒に食事をすると約束したんだっけ。
いや、約束までにはならなかったんだっけ。神田さんは、確かふんと鼻を鳴らしただけ。いや、ふんと笑った?

ぐるぐると頭の中で考えを巡らせながら、一方でうどんの汁をこぼしてしまわないようにバランスを取りながら、なんとか神田さんの席までたどり着いた。
くるりとテーブルを回って、何か言われる前に彼の眼前の席にわたしのうどんを置きながら、わたしは思わず上昇する気分を抑えずに言った。

「こんにちは、お久しぶりです神田さん!」

ちっ、といつもの大きな舌打ちが聞こえてくると思った、のに。

「……」
「………あ、れま」

わたしが見つめた彼の顔は、いつものとっても不機嫌な表情ではなくて、安らかな寝顔だった。

からっぽの蕎麦の器を胸の前に置き、片手で頬杖をしてすやすや、という可愛らしい音まで聞こえそうなほどに寝入っている。
わたしは呆気にとられて、座ろうと椅子に手をかけた状態でしばし固まってしまった。

だって、あの、噂の、神田ユウが。

すぐに食堂内、もしくは教団内もしくは支部にまでも伝わっていきそうなこのスクープだが、幸いなことに周りの人は誰も気がついていなかった。
自分が寝ていたことに気がついたら、神田さん、すっごい顔するんだろうなあ。それだけめずらしいことなんだろうなあ。
そう思ったわたしは、そーっとそーっと椅子をひいて、わたしが出来る限り静かに座った。
食べる音で起きてしまうような気がしたから、ほかほかの湯気を顔に浴びながら、神田さんと同じように頬杖をして彼を観察することにした。


出会った人すべてにひと睨み。常に不機嫌な表情。眉間の皺。


そう噂されている(事実そうなのだけれど)彼が、今はただの成人前の少年の姿だった。
相棒の六幻を鮮やかに振るうエクソシストの影はなくて、満腹による自然の誘惑に負けるただの一人の人間だった。


「(……子供みたいな寝顔)」


ふふ、と思わず微笑んでしまったとき、神田さんの頭がかくん、と揺れた。

「あ。」

そして、そのまま滑らかに頬が手の平から滑り落ちて、がこんと大きな音と共に、神田さんの額が蕎麦の器にダイブした。
幸いなことに汁の中に顔を突っ込むという大惨事は避けられて、額を器の淵に打ち付けるだけですんだのだけれど、
神田さんはゆっくりと顔を上げた。それはもう、本当にゆっくりと。その顔は、なんと、赤かった。

「……」

わたしはもう何がなんだか、びっくりしてしまって、唖然としてしまって何も言うことが出来ずに神田さんを見つめ返した。
けれどすぐに、私を視界に入れて同じように呆気にとられている神田さんが、ものすごくおかしくなってしまって、


「ふ、ふふ…あは、あははは!」
「……っ!」
「あは、かんださ、ん、あはははは…げほ、げほっ」
「笑うな斬るぞテメェ!」
「げほ…っ……あー苦し、がこんって、すごい音がっ!」
「うるせえっつってんだろ!そもそもなんてテメェがこんなとこに…!」


立ち上がり顔を真っ赤にさせて怒鳴り散らす神田さんが益々レアで、わたしはお腹を抱えて咽ながら大笑いしてしまった。
なんだか、久しぶりだ。こんなに馬鹿みたいに笑うのは。
わたしが大笑いするなんて珍しいことで、神田さんがこんなに慌てた顔をしているのも珍しいことで、周りがざわざわとしてきた。
神田さんはさらにわたしに六幻を向けてきそうな勢いだったけれど、ちらりと周りの人たちがこちらを見ているのに気がついて、何か言葉を飲み込んで、まだ少し動転した顔で着席した。


「ふ…ふふ、ごめんなさい、神田さん」
「…で?」
「で?」
「いつから居たんだよ」
「神田さんがぐっすり夢をみてらっしゃるときからです」

がたん、と椅子が大きく動いて、また立ち上がるのかと思ったけれど、彼はぐっと机に置いた手に力を入れて自分を制しているようだった。
その代わりに、ちっ、とばつの悪そうな舌打ちが聞こえた。ああ、神田ユウだ。なんてわたしは感慨深くその音を聞いて。
なんだかすごく、いまさらだけど、久しぶりに神田さんに会った気がした。
彼の声を聞いただけで、任務に行っていた間どこかに行っていたわたしの現実が帰ってきたみたい。


「おかえりなさい、神田さん」


彼は先ほどのように呆気にとられてしばらく固まったあと、呆れたように「お前頭大丈夫か?」と、


すこしだけ、笑った。


(この瞬間を、永遠に残しておければいいのに)
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