本を閉じると、目を閉じてぐっと伸びをした。ラストで主人公が口にした台詞は、とても美しい言葉だった。それを頭の中で反芻して、そっと目を開けば、きらきらとこぼれる木漏れ日。素晴らしいほどの快晴。太陽に温められた草の匂いが、頭をすっきりとさせてくれる。やっぱり談話室から飛び出してよかった。わたしはなんだか嬉しくなって仰向けに寝転んだ。
今はグリフィンドールのクィディッチチームが最後の追い込み練習をしてて、ほとんどがそれを見に行っている。行かなかったのは、ジェームズに会いたくないリリーとそれに便乗したわたしくらい。そんなリリーも先生に呼ばれて、今はわたし一人。でもたまには一人の時間もいいものだなあ。
「リーマス先輩、競技場かな!」
ふいに耳に飛び込んだ言葉。体を起こして振り向けば、グリフィンドールの女の子二人組が楽しそうに笑いながら湖のほとりを早歩きで歩いていた。
びっくりするほど大きな音で、わたしの心臓がどくんと鳴っていた。
リーマスくん。
あの日から、姿を見る度、声を聞く度、名前を拾う度、考えてしまうのは彼の視線の先の"好きな子"
その姿は段々と私の中で勝手にイメージを成していって、まるで知ってる子みたいに"リーマスくんの好きな子"として存在していた。なんだか変なかんじ。でも、リーマスくんのシフォンケーキみたいな微笑みがその子に向けられてるって思うと、それ以上は考えられなくなる。だから"リーマスくんの好きな子"の顔はまだ、ないんだ。
「なまえ、」
きっと、こんなふうに優しくその子の名前を呼ぶんだろうなあ…ん、え、
「っ、リーマスくん!?」
「……なんでいま伏せたの?」
「なっ、なんとな、く」
「なにそれ」
ぷっと吹き出したリーマスくんは、芝生にキスしてる私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「り、ます、くん」
「え?あ、ごめん」
間抜けな声があがったあと、大きな手がぱっと離された。慌てて起き上がるけど、視線が合わない。なんだかどう返していいかわからなくて、わたしは慌てて話題を探した。なにより心臓がうるさかった。
「えっと、練習は終わったの?」
「あー…まだ、かなあ」
「見てなくてよかったの?」
「うん、お腹空いちゃって」
振り向いたリーマスくんは、悪びれる様子もなく笑う。わたしの隣に座ると、傍らに置いてあった本を手にとった。
「恋愛小説なんて珍しいね」
「うん、リリーのおすすめで」
「リリーの?え、意外だ」
「そんなこと言ったら保健室送りだよ」
リーマスくんはぱらぱらと本をめくって、初めのほうを軽く読み流しはじめた。何気なく覗き込めば、ヒロインと彼氏があつーいキスをしてるシーンだった。うわああああ
「じゅ、純愛ものなのっ!」
「ふうん」
「す、すごく感動でね!わたしもこんな恋愛したいなって思ったもん!」
「え、こういう恋愛がしたいの?」
「う、うん!」
おもいっきり首を立てに振ると、リーマスくんがふむと考え込んでしまった。え、わたしなんか変なこと言ったかな、あ、もしかして、ああいうキスがしたいって、やらしい子だと思われたのかな、え、どうしよ
「あの、リーマスく、」
「ね、リリーには僕から言っておくから、この本借りていい?」
「え?」
「だめかな?しっかり読み終わってからでいいから」
「もう読んだからいいけど…恋愛小説興味あったっけ?」
どうやら単純に中身が気になっただけみたい。わたしはほっと胸を撫でおろした。たぶん顔真っ赤。恥ずかしい。リーマスくんは本に目を落として困ったように笑った。
「あんまりないけど、ちょっと読んでみたいなって」
「あ…!もしかして、参考にするの?」
「っ、え?」
「だから、その…"好きな子"に」
途端、リーマスくんの顔がぼっと真っ赤になった。告白されてもモテると言っても照れなかったリーマスくんが、耳まで赤く染めて、目を見開いていた。わたしが呆然としていると、リーマスくんは慌てて立ち上がって背中を向けた。
照れているリーマスくんなんて、はじめて、みた。
まったく関係ないのに、わたしの頬まで熱くなる。それと同時に、リーマスくんがそれだけ"その子"のことを好きなんだってわかった。リーマスくんにこんなに好きになってもらえるなんて、幸せだね。
「あの、リーマスくん、」
「……なに?」
「あの…ね、もっと、自信を持っていいと思うよ」
「え?」
「リーマスくんのいいところ、わたしたくさん知ってるよ。だから絶対にその子も、リーマスくんのこと、好きになってくれるよ」
…だから、頑張って。そう続けようとしたわたしの喉は、振り向いたリーマスくんと目が合った瞬間に震えるのをやめてしまった。
「応援、してくれるの?」
「…うん」
「…っ、そんなの、」
「リーマス、くん?」
「だったら、なまえ、僕…!」
切なそうに歪んだ瞳に、わたしは思わず手を伸ばしていた。本を抱えるその腕に触れると、リーマスくんがびくりと跳ねて一歩下がった。あ、と小さく声を漏らす。
「ごめん、じゃ、本借りてくね」
「リーマスくん、」
「練習の様子、見てくるから」
「あの…っ」
じゃあ、また。
リーマスくんは、笑った。だけど、わたしの好きな笑顔じゃなかった。出来損ないの、無理に吊り上げた笑顔。いびつな、とても寂しい顔。
わたしの手をすり抜けて、リーマスくんは走っていった。
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