急に落下速度が遅くなる。ふんわり、風に乗ったみたい。恐る恐る目を開けたとき、思い出したようにどさっと体が落ちた。
「きゃ、」
衝撃に体を強張らせる。だけど、固い地面にぶつかる思ったようなひどい痛みはなくて、何かに俯せに乗っかってるみたい。
ふわり、香る紅茶のにおいに、ふらふらしてた頭が目覚めた。
「…っ!?」
慌てて腕に力を入れて上半身を起こすと、目の前にリーマスくんの顔があった。わたしの髪が、さらりと彼の顔にかかって、くすぐったそうにリーマスくんが目を細める。しばらく彼の目を見つめて、彼もわたしを見つめ返していて、リーマスくんの綺麗な目がふと横に逸らされた時、わたしははっと我に返った。
「リ、リ、リーマスくん…!」
「なまえ、」
「ごめ、今どくね、ごめん、」
「待って、」
ぎゅっと腕を掴まれる。
わたしがそれに気を取られている間に、リーマスくんが上体を起こす。上に乗っかっていたわたしは自然にリーマスくんの膝に座って彼と向き合うかたちになって、恥ずかしくてしんでしまいそう。だけど手を離してくれないどころか、もう一度わたしの目をじっと見つめてきた。
「その格好…どうしたの?」
「えっ、と、ジェームズとか、シリウスくんとか、リリーが……」
「………」
目を逸らして黙ってしまったリーマスくん。不安になってその顔を覗き込もうとすれば、彼はぱっと口元を押さえて、目をうろうろとさせた後、とっても小さい声で何か呟いた。
「え?なに?」
「……すっごくかわいいよ、なまえ」
びっくりして、その後言葉の意味が理解できて、じんわり頬に熱が集まる。恥ずかし過ぎて逃げたいのに、体が動かなかった。
「か、かわ、かわいくなんてないよ」
「ううん、かわいい」
「え、っと……」
どうしようどうしよう。
頭が爆発してしまいそう。リーマスくんは至近距離で、紅茶の香りがして、わたしの腕を掴んでいた手がするりと動いて、指先を掠める。ぴくん、と肩が動いてしまって、それに気がついたリーマスくんが困ったように微笑んでわたしの手を握り直した。
「で、なんで空から落ちてきたの?」
「それは…シリウスくんが、」
「あいつ……」
はあ、とリーマスくんがため息をつく。それから眉をひそめて私の頭を撫でた。
「ごめん、怖かったね」
「なんで謝るの?わたしこそ、」
「僕が、なまえを連れて来てって頼んだんだ」
「……え?」
意味がわからなくて、首を傾げる。リーマスくんは照れ臭そうに笑っていて、なんだかちょっと緊張しているみたいだった。
「でも、リーマスくん、今日はその、告白……」
「うん。好きな子に告白する日だよ」
「………」
「でも、その前におめでとうを言わなくちゃ」
くるん、杖を回す。
ふわりと温かい空気が杖先から広がって、わたしのスカートの裾をふわんと揺らした。春の匂いがするその風はわたしたちを通り越して、湖の周りを沿うように滑る。
「わあ、」
わたしたちの周り、その風がとおりすぎた所から、色とりどりの花が咲いていく。赤、オレンジ、白、ピンク、黄色。気がつけば、一面が花畑。こんなに綺麗な景色を、わたしは見たことがなかった。温かく、優しい匂いが辺りに立ち込める。太陽の光を受けてきらきらとみずみずしく輝く花は、まるで宝石みたいだった。
「きれい…」
思わず呟くと、リーマスくんはくすりと笑ってわたしの髪を撫でた。指先がジェームズたちに貰ったヘアピンに触れたとき、ぽん、と軽い音がしてそれはシロツメ草の花冠に変わった。
リーマスくんはびっくりしたように目を丸くした後、くすくすとおかしそうに笑った。
「ほんと、あいつらに感謝しなきゃ」
「え?」
「なんでもないよ。なまえ、何か気付かない?」
リーマスくんが意味ありげに微笑む。わたしは言われたとおりに頭を巡らせる。花畑、花冠、湖、はじめて会った場所。
「……あの本!」
「そう。あの本の、ラストと一緒」
「すごい……」
美しい光景に、目を見張る。その時、一段と大きい風が吹いた。その風は花たちを掠めて、花びらをさらって、雪のようにわたしたちの上に降らした。
きれいで、涙が出そうだった。
「誕生日おめでとう、なまえ」
「……っ、ありがとう」
湿ってきた目を擦っていた手をどかされて、気がついたらリーマスくんの顔が近くにあった。優しい優しい目。わたしがずっと好きだった、
「それから、好きだよ」
柔らかい何かが、唇に触れる。
とっても温かくて、優しくて、蕩けそうな気持ちになる。それはそっと離れて、気がついたら少し顔を赤くしたリーマスくんがわたしを見ていた。
「好きだよ、なまえ」
もう一度、確かめるように、噛み締めるように優しい唇が言葉を紡ぐ。
ゆっくりと今の出来事を理解したわたしの脳が、心臓を動かし始めた。どくどく、うるさいくらいに鳴り出して、わたしは慌てて後ろに下がって、そのままリーマスくんの上から落ちて尻餅をついた。
「えっ、え、え、いま、キ、」
「キスしたよ」
「なん、なんで、」
「聞こえなかった?だから、僕、なまえが、」
わたしは慌ててリーマスくんの口を手で塞いだ。聞こえなかったわけじゃない。意味だってわかる。だけど、頭がついていかない。
「えっと、でも、リーマスくん好きな子が、」
「その好きな子って、なまえのこと」
「……っ」
気付いてくれてるかと思ったんだけど、とリーマスくんが呟く。わたしの頭はいっぱいいっぱいで、わからない。ふと指先が目の下に触れて、わたしはびっくりしてまた後ろに下がった。
リーマスくんが苦しそうに、困ったように眉を寄せた。
「……ごめん。嫌だった?」
「え?」
「泣いてる」
ごめんね。リーマスくんがつらそうな顔で繰り返す。ちがう、ちがうの。そんな顔して欲しくない。
わたしはぎゅっと、彼の手を握り返した。
おねがい、伝わって。
「ちがうの、うれしいから、」
「……なまえ」
「うれしいの。リーマスくん、だって、わたし、」
言い切る前に、ぐいっと肩を引かれる。そのままわたしの頭を包み込むように、リーマスくんの腕が回る。あったかい。安心したように、わたしの目からぽろぽろと涙が零れる。でも、言わなくちゃ、
「好き。だいすき、」
「なまえ、」
「ずっと好きだったの」
「ほんとに…?」
「嘘なんて言わない」
顔を離して、リーマスくんの目を見つめる。伝われ、伝われ。わたしが無くしてしまおうとしたこの気持ち。それでも消せなかった気持ち。
「好きよ、リーマスくん」
ぼっと音が鳴りそうなくらいに、リーマスくんの顔が赤くなって、それからわたしをもう一度引っ張ってぎゅっと抱きしめると、浅く息を吐き出した。よかった、なんて弱々しく言いながら、リーマスくんはぎゅうぎゅうとわたしを強く強く抱きしめる。
「……でも多分、僕のほうがずっと前から好きだったよ」
「え?」
「初めて喋った、その前から、ずっと好きだったんだ」
リーマスくんがわたしの髪を撫でる。つられるように顔をあげれば、とびきりに優しいわたしが大好きな微笑みで、リーマスくんはわたしを見ていた。
髪を撫でる手が心地良くてそっと目を閉じれば、もう一度やさしい温もりが、わたしにそっと、触れた。
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