05



深夜3時に差し掛かろうという夜の街は、幾分か灯りが消えて、もうすっかりと眠りに就こうとしていた。
空を飛ぶなら、やはりもう少し早い時間がいい。快斗はそんなことをぼんやりと考えながら、自分の右手を手錠で捕らえている男を見た。
ティアラを奪い、トランプ銃で屋上へと一気に上がった先に、待ち構えていたこの男。ゆいなは正体を正確に知らないようだったが、風見に変装していた快斗にはわかっていた。
公安警察、降谷零。
彼が潜入捜査をしている公安警察だというのならば、ベルツリー急行での一件もなんとなく察しがつく。

「(ま、関わらねーのが正解なのに変わりはねえけど)」
「そうだ。先程、貴方の正体に気がついたのは、"現場"の言い回しだと言いましたけど、実はもう一つあるんですよ」
「へぇー」

快斗は、空いている左手でティアラを月にかざす。赤い光が美しく煌めくだけで、特に何の変哲もないガーネット。最初からあまり期待はしていなかったが、これも返却することになりそうだ。
そうとなれば、このよく喋る男を、どう出し抜いてやろうか。
そう考えを巡らせながら彼を見ると、降谷はにこりと笑って、あろうことか1番聞きたくない名前を口にした。

「ゆいなさん」
「……っ」
「貴方、僕がゆいなさんとお話ししていたとき、一瞬だけ僕に敵意を向けましたよね」

降谷の表情には余裕が浮かんでいる。
ポーカーフェイス、と心の中で唱えてから、こちらも笑みを作った。

「気のせいじゃねーの?」
「仕事柄、そういうのには敏感なんですよ。随分と僕が気に入らないようですね」
「……」
「ゆいなさんが、貴方にとってどういう存在なのかは知りませんが、もし大切にしたいなら、気をつけたほうがいいですよ」

そんなこと、言われなくても分かっている。何度も何度も繰り返し、自分自身に言い続けてきた。
それでも、好きな女が他の男に触られて頬を染めているところを、なんでもないように眺めていられるほど、快斗は大人でも薄情でもなかった。その褐色の手を捻り上げたい衝動を抑えただけでも、褒めたものだろう。

「ご忠告どーも。俺からも言っとくが、アイツには魔法使いだけじゃなく、小さい騎士もついてるから、あんまりちょっかいかけないほうがいいぜ」
「小さい騎士、ですか」
「そーそー」

おっかねーやつがな。
降谷の頭に誰が浮かんだかは知らないが、快斗はニッと笑った。余裕そうに見えていればいい。お前に見抜かれたくらいで、どうってことないんだと。

「そういや、さっき言ってたよな。子供騙しだと馬鹿にしたって」

快斗は、手錠を強く引き、降谷の意識を逸らせると同時に、袖元に隠していた煙幕玉をサッと指先に滑らせた。

「忘れたのか?俺は怪盗キッドだぜ。子供なら子供騙しでふざけても、問題ないだろ!」

地面に叩きつけると、破裂音と共に煙幕が立ち昇る。煙に巻かれるように、快斗は手錠を外して、ハングライダーを夜空へと滑らせた。サッカーボールくらいは飛んでくることを覚悟していたが、なんの障害もなく風に乗る。屋上に残した降谷の姿が見えなくなるほど離れてから、快斗はスマホを取り出した。
あの子の声が、いま、どうしても聞きたい。



「…うん、そう。家族が迎えに来てくれたから…うん、ありがとね、園子」

ゆいなが電話の向こうへ優しい声を落とす。その背中を眺めながら、快斗は自身のバイクに軽く腰を下ろした。美術館から少し離れた駐車場には、さすがにこの時間となれば他に人影もない。逃走方法のひとつとして停めてあったバイクで、ゆいなを家まで送っていくからと呼び出したのだった。
電話を切った彼女が振り返ると、快斗はその細い手首を掴んだ。

「家族、ねえ……彼氏って言えよなー」
「もう、言えないって分かってるでしょう」
「わーってるけど」

唇を尖らせながら、彼女を引き寄せて抱きしめると、よしよしというように温かい手が背中を撫でた。
随分と体温が高いから、よっぽど眠たいのだろう。車で送ってもらえば、その間眠れたのに。かわいそうなことをしてしまったなと思いながら、快斗はそれでも彼女を離したくなかった。

「それにしても、まさかケースの上から、ダミーのケースを載せて、なくなったように見せてたなんて…シンプルなのに全然気づかなかった」
「シンプルなことをいかに見破らせないかが、マジシャンの腕の見せ所だからな。ま、名探偵にはバレちまったけど」
「あ!そっか、だから昼間に新一のこと挑発したの?ほら、安室さんがやったカードマジックとやり方が似てる」

ゆいなが体を離し、目を輝かせて声を上げる。自分で気が付けたことが、嬉しいのだろう。その無邪気さがなんとも悔しい。

「それもあるけど……」
「けど?」
「オメーが他の奴のマジック褒めてんの、ムカついたから」

ゆいなの目がきょとんと丸くなる。
ゆっくりと記憶を辿っているのか、しばらくその表情でいたあと、ふへ、と気の抜けた笑い方をした。

「ヤキモチってこと?」
「…そーだよ、悪かったな…」
「大丈夫、快斗のマジックが世界一だよ」
「…そこまで言われるとアレだけど」

へへへと機嫌良く笑うゆいなは、眠たくてちょっと気が緩んでいるのかもしれない。あんなちっぽけなことでムキになって子供みたいだと思うけれど、ゆいなが嫌がらないなら、まあ良いかと思い直す。
もう一度彼女の顔を胸に押し付けて、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。

「はぁーゆいなはやっぱ俺の弱点だな…」
「なにかあった?」
「いや、なんでもねー」

ポーカーフェイスを忘れるな。
呪文のように己にかけてきた言葉。実際、表情は崩れていなかったと思う。でも、一瞬だけ冷静さを欠いた自覚はあった。安室に頬を触られたゆいなが、照れたような顔をするから。彼女にそんな気がないのは分かっているのに。
苦しいよ、とゆいなが背中を叩くので、腕の力を緩めると、彼女のくりっとした目がこちらを見上げるので、ああ勘弁してくれと思う。
誰の顔にだって完璧になれるのに、ゆいなの前ではどうしても黒羽快斗をやめられない。

「それにしても、キッドのファンどんどん増えるよね。梓さんも最近ファンになったって言ってたし」

にこにこと嬉しそうに笑うゆいなに、ヘルメットを被せてやる。

「ま、令和の魔術師ですから」
「ふふ、それ気に入ってたんだ」
「どうやら、ゆいなちゃんもキッドのこと、恋する乙女みたいな顔で見てるらしいし?」

ヘルメットのベルトを閉めながら、ちょっとした仕返しくらいの気持ちで口にすると、ゆいなの顔がみるみる赤く染まっていく。安室に触れられた時の比じゃないほど熱った頬に、なんだか優越感を抱く。

「き、き、聞いてたの…?」
「あの時、園子おじょーさまに盗聴器つけたからな」
「ば、ばか……!」

真っ赤な顔と潤んだ瞳で見上げるゆいなに、快斗は思わず手を止める。本人はおそらく睨んでいるつもりなのだろうが、ただ可愛いだけだった。

「…そういう顔は、ヘルメットする前にしろよな」
「え…んっ」

快斗はたった今止めたベルトを素早く外すと、両手でヘルメットをずらして、頭を抱え込んだ状態のまま、柔らかい唇に噛み付いた。
たったそれだけで、1日ずっと感じていたモヤモヤが、すうっと遠くへ消えていく。さっきは、名探偵のことを小さな騎士と表現したが、ゆいなの騎士は俺がいいな、なんてぼんやりと考えながら。

「寝こけてバイクから落ちんなよ」
「…いまので目が覚めたよ…」

真っ赤な顔で唇を尖らせるゆいなを、やっぱりこのまま自分の家に連れて帰ったら駄目だろうか。
どう説得したら、彼女から望んだ答えが返ってくるのか、考えをめぐらせながら、快斗はバイクのエンジンをかけた。


end


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