03



「公安だと?公安が何の用だ」

中森警部が怪訝そうな声をあげる。オリーブドラブ色のスーツを着た刑事が、几帳面そうに眼鏡を上げた。
公安警察。テロ対策や国家防衛などをしているイメージがあるが、あまり詳しいことは公表されていない。ゆいなはこれまでに、そこに所属する刑事に出会ったことがなかった。身分を秘匿していることが多いとも聞くから、気付いていないだけかもしれないけれど。

「(なんだか、エリートっぽい人…)」

親しみやすい高木刑事や、父親としての面もよく知っている中森警部とは、纏っている雰囲気が違う。どことなくひりついている感じがするのは、公安警察という特殊な職務に就いている人の緊張感だろうか。
来日中のセリザベス女王が、このティアラを楽しみにしているため、盗まれるわけにはいかないのだと主張する彼に対して、中森警部は渋々といった様子で、首を縦に振った。

「じゃあ、女性陣には退室してもらおうか。キッドが化けるかもしれんし…」
「別室のモニターで見てるね、伯父様」
「ゆいなねえちゃんも、今回は別室でいいの?」
「うん、邪魔したら悪いし」
「へえ…ゆいなさんは、よくコナン君と一緒に、キッドと対峙してるんですか?」
「い、いえ、いつもたまたまというか…」

安室が興味深そうにこちらを見る。好意的にみえて、探るようでもあるその視線が、少し居心地が悪い。快斗の過保護を甘んじて受け入れて、今回は彼から離れて、観客に徹しよう。快斗が「楽しみにしてて」と言ったのだから。
ただ、公安警察が来たことだけが、予想外の事態なのではないかと心配だった。






「貴方達が白昼夢に現を抜かしている間に…?」

モニター越しに知った、新たな予告状の内容に、ゆいなは首を捻った。
深夜0時に、白昼夢。言葉の意味が正反対だ。

「ねえ、キッド様、どうやって盗むんだと思う?」
「やっぱり、警察を眠らせて?」
「でも、防護マスクされるのはわかってるだろうし…なんとかして、天井が落ちてくる仕掛けのスイッチを切らせる方法を考えるんじゃないかな」
「ふふ、ゆいな、なんだか新一みたい」

蘭がくすくすと笑う。ゆいなは呆気に取られて、考え込む姿勢のまま固まった。

「ほら、指を顎にあてて考える仕草とか」
「え、そう…?」
「ああ、がきんちょもやるよね、それ」
「そうだね」

指摘されると妙に恥ずかしくて、ゆいなは姿勢を戻すと、おもむろに机の上のポッキーをつまんだ。推理力も似てきているのであればまだしも、ポーズだけなんて、かっこわるい。それっぽいことを言ってはみたものの、それ以上のことはなんにもひらめかないのだ。

画面の向こうでは、先ほどの公安刑事と中森警部が何やら言い合っている。しばらくして、彼と安室が、展示室を後にした。

「(…なんか緊張してきた)」

時計が真上に向かって進むにつれ、ゆいなは落ち着かない気持ちでスカートを握りしめていた。気が付いて指を離し、しばらくしてまた気が付いて、の繰り返し。まるで、自分が役者で、舞台袖で緞帳が上がるのをじっと息をひそめて待っている気分だった。幕が上がる楽しみと、同じだけの不安。始まったらもう引き返せないという緊張。自分が心を騒がせても、どうにもならないのに。

「ちょっと、お手洗い行ってくるね」
「はーい、0時にちゃんと戻ってくるのよ」
「わかってる」

気持ちを落ち着かせたくて席を立つ。薄明りでモニターを凝視していると、画面の向こうに吸い付けられて、息を止めてしまいそうだった。

「……これなら、新一と残ったほうがマシだったかも」
「ゆいなちゃん?」

長めに息を吐きながら手を洗っていると、突然の呼びかけに思わず飛び上がりそうになった。慌てて振り向くと、入り口の壁から、梓が顔を半分出して覗き込んでいた。

「あ、梓さん?どうしたんですか?」
「あのね……」

梓が周りを確認しながら、小さく手招きをする。手を拭きながら近付くと、内緒話をするように彼女が声のボリュームを落とした。

「一緒に、展示室、見に行かない?」
「え?」
「園子ちゃんたちには、眠くなったから帰るって言って出てきたんだけど…どうしても気になっちゃって。こんな機会、滅多にないし…私もね、実は、キッドの大大大ファンなの!」

まるで告白をする少女のように頬を赤らめて、梓がゆいなの手を握った。

「ずっと、言い出すタイミングがなくって…」
「そ、そうだったんですね」
「ゆいなちゃん、警部さんの娘さんと友達なんでしょ?ポアロの常連さんだから、私も仲良くしてもらってるし、二人で押せばいけると思うの!」

ね、お願い!と潤んだ瞳で訴えかけられて、ゆいなは思わず首を縦に振った。予告時間まで間もないし、中森警部のことだから、おそらく断られるだろう。そう考えて彼女に手を引かれるままに展示室に戻ると、意外なことに中森の答えは「邪魔にならないように隅にいるのなら良し」だった。

「(おじさん、甘すぎる…)」
「え!梓ねえちゃんに、ゆいなねえちゃん!?」
「えへへ、気になって来ちゃった」
「中森警部がよく通してくれたね…」

コナンがじとりとこちらを見る。おそらく、梓のことをキッドの変装ではないかと疑っているのだろう。現に、彼女もゆいなも変装の確認をされていない。女性の顔を抓らないのは、配慮がある中森警部らしいところだ。彼女の正体ばかりは、ゆいなにも分からないので、首を傾げることで返事をした。安室と公安刑事が展示室に戻ってきたところで、中森が時計をみて声を上げる。

「よし、予告の一分前だ!」

ずらりと展示室の四方を囲む警察官が、中森の合図で一斉にガスマスクを装着する。
壁に沿うように並んでいて、ティアラの飾られているケースから距離があるのは、蓋を開けると天井が落ちてくる仕組みの、セーフティーゾーンが壁から一メートルほどであるかららしい。ゆいなも思わず天井を見上げて、自分の立ち位置を確認した。

カチリ、と腕時計が鳴ると同時に、屋上の鐘が大きな音で0時を告げる。
全員が固唾をのんで見守る中、ゆっくりと展示室の中に白い靄が立ち込め始めた。辺りを見回すと、天井の空調から大量の白い煙が降りてきている。

「これ、ただの煙じゃないですよ!」
「白い塗料を霧状にして、噴霧しているんだ!梓さん、ゆいなさん、ハンカチで口を!」

吸い込まないように口元を覆うが、あっという間に視界は奪われてしまった。霧よりも濃度の濃い白が、辺り一面を覆いつくす。

「ガスマスクを着けていないやつらは、展示室から出ていけ!」

中森の声がするが、もう前も後ろも分からない。一瞬戸惑って足を止めると、ハンカチを持っていない方の手を、誰かの大きな手が掴んで強く引っ張られた。

「わ!」
「こちらですよ!」

引かれるままに走ると、空気の流れる先に出口があった。霧が薄まって顔を上げると、手を引いてくれていたのは、公安の刑事だった。

「あ、ありがとうございます」
「いえ」

さっと手が解かれる。彼は最初の印象のまま、生真面目そうな表情を崩すことなく眼鏡を押し上げた。
やがて立ち込めていた煙がすべて部屋の外へ流れ出ると、部屋の中はペンキをひっくり返したかのように、真っ白に染まっていた。壁も床も、その場にいた警察官たちも、そして、中央の展示ケースまでもが。

「か、怪盗キッド!」

鈴木次郎吉が、展示ケースを指差して叫ぶ。真っ白い箱と化したそのてっぺんに、同じように白いカードが刺さっていた。
本当にティアラが盗られているのか、蓋を開けなければ分からない。仕掛けを解除し、コナンが慎重に蓋を開けると、すぐに「なくなってる!」と声を上げた。

「うそ…!」
「どうやって…?」

梓が興奮気味に呟く。中森警部の後ろからそっと覗き込むと、確かにあるのはベルベットの台座だけだった。
まだどこかにキッドが潜んでいるはずだという中森の予測のもと、すべての警察官が館内をくまなく探すこととなったが、キッドがそうだと分かる姿で隠れているはずもない。

「おそらく、あの三人の誰かだよ」

ゆいなの考えを読んだかのように、コナンが低い声で呟いた。視線の先には、先ほどまでゆいなが一緒に居た三人がいた。しゃがんでコナンに顔を寄せ、囁く。

「……どうして?」
「変装した状態で、ガスマスクはつけられないだろ?つまり、つけてなかったあの三人の中にいる」
「ん?それって、私もじゃない?」
「バーロー、オメーはねえよ」

呆れたようにコナンがため息をつく。

「ゆいなのこと、眠らせてどこかに隠すなんてこと、アイツはしねーだろ」
「そ、そうかも」
「そうすっと、オメーに協力してもらって成りすますしかねーけど…アイツがわざわざオメーを巻き込むようなこと、するとは思えねーよ」

当たり前だろう、という顔で言われて、ゆいなは返答に困った。その言い方は、キッドがゆいなを大なり小なり危険に晒すはずがないという、絶対的な信頼があるように思えてしまう。指摘はその通りだったけれど、素直に納得するのも気恥ずかしい。コナンにとっては、推理上必要なこととして、可能性をひとつ除外しただけにすぎないようだけれど。

「まあ、ちょっと探りを入れてみっか」

コナンはそう呟くと、声のトーンを一転させて年相応の声を作ると、安室をはじめ三人それぞれに、質問を投げかけ始めたのだった。


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