02



40分ほど並んでから、ゆいなたちは建物の中に入った。洋館を改修した造りの美術館は、中世の展示品と調和した空間作りがされていて、絵画や調度品などが上品に収まっていた。一際人が集まっている展示室は、中央にガラスケースが置かれただけの簡素な作りで、部屋の四隅に警備隊が立ち、人の波を注視している。

「あれが王妃の前髪?」
「みたいね」

人の頭の合間から、ガラスケースの中を覗き込む。
大きなガーネットが中央に埋め込まれた、繊細な金細工のティアラ。世界最大レベルだというガーネットは、親指くらいの大きさはありそうだ。ベルベッドの台座に佇む様子は、王妃に代々受け継がれていたというにふさわしい佇まいだった。

「(快斗の探してる宝石だったらいいんだけど…)」
「ゆいなさん、随分熱心ですね」
「あ、安室さん!」

見つめたところで、ゆいなには宝石のことは分からないが、それでもじっと中央の赤い光を眺めていると、いつのまにか安室がすぐ隣に立っていた。びっくりして身体を引く前に、内緒話をするように安室の顔が近付いた。

「ゆいなさんとは、一度ゆっくりお話したいと思っていたんですよ。是非、今度ポアロに来てくださいね」
「え、えっと…光栄です…?」
「はは、とって食ったりしませんから、そんなに警戒しなくても」

端正な顔立ちに浮かぶ、お手本のような笑顔。コナンから、彼は”敵ではない”と伝えられてはいても、ゆいなはどうしても、その笑顔の裏を考えて身体を強張らせてしまう。
ガラスケースから離れて、壁面の絵画の前に移動すると、安室も後をついてくる。

「僕が怖いですか?」

絵画へと目を向けたまま、安室が尋ねる。ゆいなはその横顔を見上げて、言葉を探した。

「怖くは…ないですけど」
「けど?」

青い瞳が、こちらを見る。口元には優しい笑みが浮かんでいるが、続きを言い渋ることは許さないという圧力があった。

「あんまり関わっちゃいけない、危険な男の人のかんじがします…」

安室の目がきょとんと丸くなる。整った顔に一瞬だけ素の表情を浮かべたあと、はたと我に返った安室は、細かく肩を揺らした。

「ははは!これでも良心的な探偵なんですけどね」
「ごめんなさい…」
「コナンくんから、何も聞いていないんですか?」
「えっと…安室さんがいい人だってことは、聞いてるんですけど、それ以外は」

いい人、ですか。と安室が含みを持たせた笑みを浮かべた。
ベルツリー急行で見かけた彼は、あきらかに"悪い人"だった。それをコナンがいい人だと言うのならば、彼への認識は180度改まる。

「どうやら、ゆいなさんは、物事の本質をよく見ているようですね」
「つまり、危険な男の人なんですか?」
「さて、どうでしょう」

安室がそっと人差し指を唇に当て、目を細める。その仕草はとても様になっていて、ゆいなは、彼がなぜあんなにも女性から人気があるのかを理解した。顔が良いだけではない。どこかミステリアスな香りが、余計に魅力を引き立てているのだろう。
うっかりすると、その端正な笑顔に簡単に絆されてしまいそうだ。ゆいなは、意を決して、言いたかったことを口にした。

「あの、なるべく、コナンくんを危険なことに巻き込まないで下さいね」
「うーん、むしろ彼は、自ら危険なことに飛び込んでいくほうだと思いますけど」
「う…確かに。事件が起こると、後先考えずに飛び出しちゃうんですよね…」
「あはは、分かります」
「でも…それでも、安室さんは、コナンくんを守れる人だと思うんです」

違ってますか?
ゆいなが首を傾げながら見上げると、安室の笑顔が静止する。一呼吸置いて、彼は先ほどよりも幾分か興味を持った目で、じっとゆいなを見つめ返した。

「安室さんたち、どうしたの?」

訝しがる幼い声にはっとすると、いつのまにか二人の間に立ったコナンが、眉を顰めてこちらを見上げていた。「なんでもないよ」と、安室が人当たりのよい笑顔を浮かべる。

「ゆいなさんのお願いは、極力叶えます」
「…ありがとうございます」
「だからそんなに警戒しないで、いつでもポアロに遊びにきてくださいね」

にっこり、と効果音がつきそうな笑顔で、大きな手がゆいなの肩を叩いた。安室を避けて、ポアロに顔を出していなかったことがバレていたのだろうか。
展示室を出ていく彼を見送っていると、コナンがゆいなの手を引いた。

「安室さんと何話してたんだ?」
「うーん…色々と?」
「おいおい、色々って…」
「大丈夫だよ」
「まあ、オメーのことも、安室さんのことも信頼してっけどさ…」

新一の信頼。ゆいなが安室のことを信用するに足る、それ以上の理由はなかった。彼が問題ないと言ったことは、いつだって必ず大丈夫だ。

「私も、新一のこと信頼してるよ」
「バーロー…んなこと、知ってるよ」

コナンがふいとそっぽを向く。
ゆいなはなんだか嬉しくなって、コナンの頭をわしゃわしゃと撫でた。嫌がっても押し返しはしない彼の優しさに、ずっと昔から救われている。
彼の信頼に、どうしたらもっと応えられるのだろうか。答えがひとつではない問いを、ゆいなはずっと胸に抱えていた。





予告の時間は深夜0時。まだたっぷりと時間があるため、ゆいなたちは日が沈むまでの間、近場のファミレスで時間をつぶすことになった。

「安室さんも来たらよかったのに」
「探偵の仕事で急用だって。夜には戻ってくるみたいよ」

美術館に入る前に、誰かに電話をかけていたようだから、その関係だろうか。
女性の店員が、グラスに入った水を5つお盆に乗せて持ってくる。一番奥に座ったコナンの前から順にテーブルに置き、最後にゆいなの前に置こうとしたとき、彼女の手がグラスにあたり、机の上にグラスの中身が広がった。

「あっ!申し訳ありません!」
「大丈夫ですよ!蘭、おしぼり取ってくれる?」
「でも、お客様、お洋服が…」
「スカートがちょっと濡れただけだし、水だから大丈夫…」
「乾かしますので、少しこちらに」
「ちょ、」

女性店員が、ゆいなの腕を掴む。思ったよりも強い力で引っ張られるままに席を立つ。ぐいぐいと進む彼女に連れられて扉をくぐると、裏口に続くバックヤードだった。「そこの椅子におかけください」と促されて、備品の山の間にあったパイプ椅子に腰掛ける。

「すぐに乾かしますので、スカートを少しの間脱いでいただけますか?」

床に膝をついた彼女の手が、ゆいなのウエストに伸び、スカートのゴムに指をかける。ゆいなは、ぱしりとその手を叩いた。

「こら、いい加減にして、快斗」
「あ、バレてた?」
「お客さんのスカート脱がせる店員なんていないでしょ」

ニッと笑顔を浮かべた彼女は、ゆいなの膝に肘を置くと、見上げるように顔を覗き込んだ。

「たまには、そういうのもいいかなと思って?」
「よくないです!」
「はは、冗談だよ」

彼女の手が、ゆいなの目を覆う。ワン、ツー、スリーと低い囁きのあと、開けた視界の中に居たのは、まぎれもない黒羽快斗だった。黒いTシャツにジーパンのラフな姿だった。快斗の早着替えは、何度見ても魔法のようだと思う。

「快斗って、女の子に変装するの好きだよね…」
「こっちのほうがもえるんでね…って、なんかこの会話前にもしたな」
「わざわざ変装しなくても、連絡くれたら会いにきたのに」
「いや、予想外の奴がいたから、念のため。でもここには来てなかったな」
「安室さんのこと?」
「そう。つーか、なんでオメー、アイツと仲良くしてんの?」

膝に被さるように上半身を預けた状態で、快斗がゆいなを見上げて唇を尖らせた。下から見上げられるのは落ち着かない。真っ直ぐな目を隠したくて、癖毛な前髪を撫でると、快斗は目を閉じて太ももに頬をつけた。ひだまりで眠る猫みたいだ。

「仲良く、はないと思うけど」
「展示室でコソコソ話してただろ。アイツ、俺のこと殺しかけたやつだぜ?」
「うーん、でも、安室さん、悪い人じゃないみたいだし」
「あのなあ、身元が悪い奴じゃないのと、人間性は関係ないからな」

快斗の言うことはもっともだった。
前髪を撫でていた手首を握られて、体を伸ばした快斗がもう片方の手を頬に添えた。海みたいな瞳にじっと覗き込まれると、全部を知られている気がして落ち着かない。肌を滑ったあと、親指と人差し指でゆいなの頬を挟んだ。唇がきゅっと中央に寄る。

「とにかく、ゆいなはトラブルに巻き込まれやすいんだから、気を付けろよ」
「それ、新一にもよく言われるけど、シンガポールで殺人犯にされかけた人に言われたくないですう」
「う、それはごもっとも…」
「でも、心配してくれてありがとう。それを言うために、わざわざ変装して会いにきてくれたの?」
「それもあるけど……」

快斗は眉毛を寄せて言い淀む。おもむろに立ち上がると、ゆいなの手を引いて、椅子から起き上がった勢いのまま、ぎゅっと抱きしめた。囲うような、閉じ込めるような抱きしめ方だった。

「快斗?どうしたの?」
「……まあ、これで許してやるよ」
「え?」
「なんでもねー!」

ぱっと身体を離した快斗は、ニッと笑ってゆいなの髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。髪が目に入りそうで、目を瞑って抗議の声をあげると、その隙をついたように、挨拶みたいなキスがひとつ。

「…そ、そういえば!今回はどうやって盗むの?」
「はは、ゆいな顔真っ赤、かーわい。悪いけど、それは教えませーん」
「た、たまには教えてくれてもいいのに…」
「タネと仕掛けを知ってるマジックなんて、この世で一番つまんねーだろ?」

それもそうか。
ゆいなは赤くなった顔を両手で隠すように包んだ。ふと、先ほどの園子の言葉が思い出されて、なんだか突然いたたまれなくなる。
快斗はにやけた顔を抑えようともせず、たしなめるようにゆいなの両手首を掴んだ。ぐっと近付いた自信たっぷりな瞳が、まるで他を見ることを許さないとでもいうように、力強く輝いている。

「ま、楽しみにしてて。格の違いを見せてやるよ」



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