「あの、スネイプくん、」

ああ、なんで、大広間は寮ごとにテーブルが分かれているんだろう。
スリザリンのテーブルにおずおずと近づいた私は、なるべく目立ちたくない一心で、寮指定のネクタイをポケットにつっこみながら、ぎりぎりの小声で彼の名前を呼んだ。
スネイプくんは、広いテーブルの一番はじっこに、まるで影のように座っている。彼を取り巻く人は居ないから、私の存在に気がつく人は居ない。
それでも私は周りを気にしながら、本にのめり込んでいる彼の、すぐ傍にたどり着いた。そこでしゃがんで、頭をテーブルと同じ高さにした。

「あ、あの、セブルス・スネイプくん…?」

無反応。
まったくもって視線をこちらに向けようとしない彼に、心が折れそうになりながらも、私は負けじと息を吸い込む。

「あのね、ちょっと、」
「………」
「…聞いてる?ねえってば、セブ、」
「なんだ」

低くて、周りの喧騒に掻き消されそうなほど、細い声。相変わらず視線は本に釘付けだけど、答えが返ってきたことに、私はひどく衝撃を受けた。
だって、あのセブルス・スネイプだ。人とまったく接点のない、今まで一番私から遠かった存在。
私が感激して言葉を失っていると、彼が大きく舌打ちをした。

「用がないなら、どこかへ行ってくれ」
「ご、ごめんなさい。あの、あなたにお願いがあるんだけど、」

スネイプくんは、あからさまに、ものすっごく嫌そうな顔をした。
同じように顔が歪みそうになるのを堪えて、私はなんとか笑顔を浮かべた。

「あのね、よかったらその……勉強を教えて欲しいんだ」
「………は?」

本に固定されていた彼の視線が、瞬時に私の顔に走る。鋭い目。怒っているようにも驚いているようにも見える。よくわからない。
スネイプくんは、まるで初めて見た動物を観察するように、数秒間私の顔をまじまじと見たあと、一瞬で興味を失ったのか、表情を無にして本へと視線を戻す。
私がまた話を続けようとしたその時、周りの笑い声が大きくなる。私は驚いて、テーブルよりも低く頭を落とした。
窺うようにそっと辺りを見回すと、どうやらグリフィンドールのテーブルで、どこかの誰かさんたちが何か派手な悪戯を仕掛けたらしかった。
よかった、みんなグリフィンドールのテーブルにいるんだ。そう思って安堵して、頭を上げたとき、怪訝そうに私を睨むスネイプくんと目が合う。

「あ、えっと…」
「ポッターと、何か企んでいるんだろう」
「え?ち、違うよ!むしろ、ジェームズたちに見つからないようにしてるの!」
「なぜ」
「だって、もし私があなたと話してるのが見つかったら、また喧嘩するでしょ?」

彼らが顔を合わせて、その間を魔法が飛び交わなかったことなんてない。そんなの、何も面白くないし、見たくもない。

「お願い!あなたしか頼れる人がいないの!」
「お前の仲間に、聞けばいいだろう」
「そ、そんなこと頼んだら、ジェームズに何されるか……」

私の脳裏に、彼の不敵な笑みが浮かぶ。
あいつに借りなんか作ったら、こき使われて、リリーとの間を取り持たされて、悪戯の片棒を担がされて…私の平穏な学校生活が、終わりを迎えるに決まっている。
シリウスも頭がいいけれど、天才肌のあいつは教え方がひどく下手くそなんだ。

どうやら、私はとても歪んだ顔をしていたらしく、はっと気がついたときには眉間に皺がしっかりと刻まれていた。
私はそれをほぐすように目を擦ったあと、すがるような気持ちでスネイプくんを見上げた。

「私、ほんと壊滅的で…スネイプくん、教え方が上手だってリリーから聞いたの」
「……」
「絶対に落とすわけにはいかないの!でもこのままじゃ、先生も無理だって…」
「……何の教科だ?」
「闇の魔術に対する防衛術!」

元気よく答えた瞬間、スネイプくんが魔法にかかって石になったように固まってしまった。
私はその意味が分かっていたから、にっこりと微笑んで頷いた。

「…馬鹿じゃないのか?」
「スリザリンのあなたに、防衛術を教えてもらうことが?」
「お前、グリフィンドールだろう。しかも、ポッターの仲間だ」
「だから?」

彼は言葉を詰まらせた。
今まで鋭く光っていた瞳が、初めて動揺で小さく揺れたのを、私は見てしまった。

「僕には、近づかないほうがいい」
「なんで?」
「だから、」

彼の瞳を覗き込もうとすれば、顔を背けて避けられる。
私は目を見るのは諦め、黒く長い髪の向こうにある瞳を思い浮かべた。

「私とジェームズはちがう。私が信じる人は、私が決めるよ」

がたん、とスネイプくんが席を立った。荒々しく本を閉じて、椅子を蹴飛ばすように机に戻す。そして私を振り返らずに、食事を終えて大広間を出て行こうとする集団の中へと飛び込んでいってしまう。

「え、え…?」

なにか気に障ることを言ってしまっただろうか。
私は慌てて彼の背中を追うけれど、雪崩のようにたくさんの人が間に入ってきて、少し背中を丸めた後ろ姿を、あっという間に見失いそうになる。
なんとか手を伸ばすと、彼のローブの裾が指先を掠める。それを掴んでも、すぐに振り払われてしまった。

「あ、あの、ごめんなさい、スネイプくん、待って、」
「……」
「ちょっと、」

影のような彼は、するりと人混みに紛れ込んでしまう。必死に呼んでも、私を見てもくれない。ああ、もう、見失う。そう思ったとき、ほんの一瞬、彼がこちらを振り向いた。
雨空のような瞳と、確かに目が合う。薄い唇が少し動くと、いつの間にか彼が握っていた杖の先から、黄緑色の細い糸のようなものが伸びてきて、私の手に滑り込んだ。
慌てて手のひらを開く。

「……あ」

手のひらに乗っかった黄緑色の糸は、するすると何かの形を作っていく。ミミズのようにくねって、やがてそれは文字を作り出す。

『禁じられた森 西入り口のカエデの木 17時』

その踊る文字を読み終わった瞬間、背後から不意に声がかかって、私は慌ててその小さな光を握り潰した。

「ナマエ」
「…っ!ジ、ジェームズ!」
「今なんか、握り締めなかった?」
「いやいや!なんも!」
「ふーん…どうでもいいけど、誰か探してた?」

私は、冷や汗が背中を伝うのを感じて、それでもなんとか笑顔を貼り付ける。
ジェームズの鋭さは動物並みなのだ。

「な、なんで?」
「一生懸命、人混み掻き分けようとしてたからさ」

そう言って、ジェームズが人の波の向こう側を見ようと背伸びしたけれど、そこにもう彼の姿はないことは分かっていた。

「僕も一緒に探そうか?」
「ううん、大丈夫。もう見つかったから」

ローブの下に隠した右手から、さらさらと黄緑色の光が砂時計のように零れ落ちていくのを見送りながら、ジェームズに気づかれないように、私はそっと笑った。

ひねくれ者のおまえのことなんて、

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