リーマスとナマエは、理想的な恋人同士ということで、校内で有名であった。

まず、二人とも周りの生徒から人望がある。
シリウス・ブラックという飛びぬけた男がいるせいであまり話題にはならないが、リーマスもナマエも好ましい外見をしていて、寮の垣根を越えて親切であるし、勉強もそれなりにできる。そして何より、二人とも性格が穏やかであること。常にお互いを尊重して、相手を否定することはしない。年頃のカップルに見受けられる過度なスキンシップもなく、それでも心の底から相手のことを思いあっているのが、他人からでも手に取るようにわかる。

彼等の行く末は、まるでおとぎ話のように、"二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし"で終わるものだと、全校生徒がそう思っていた。


「……もういいよ」

暖炉の炎によって、顔が火照るくらい温かい談話室。しかし、リーマスがぽつりと呟いた言葉で、部屋の温度が一気に低下した。
言葉自体はなんてことない。ただ、ぽつり、こぼれた言葉が、外の霜をおろしている空気と同じくらい冷たかったことが問題だった。

周りの生徒が言葉を失って息を呑む間に、彼は音もなく立ち上がると、傍に置いてあったローブを少しだけ乱暴にひっつかんで、姿を消した。

「リーマス…?」
「おいおい……」

静まり返った談話室で、唯一声を出したのは、彼の親友のジェームズとシリウスだった。ジェームズはまいったという顔で額に手を当てたが、シリウスは唖然とした顔で呟いたあと、一気に顔を青くさせて、さっきまで彼と会話をしていた女子生徒を振り返った。

彼女、ナマエは、拳をぎゅっと握って俯いていた。
泣いている。そう思った生徒が、気まずそうにばらばらと自分の部屋に上がっていくのを尻目に、シリウスだけが彼女の顔を覗きこんだ。

「おい、ナマエ、」

大丈夫かよ。と続けようとした言葉は、しかし、ナマエがばっと顔を上げて立ち上がったことによって遮られる。
彼女は泣いてなどいなかった。眉を顰めて拳を握り締めて、そう、怒っていた。

「リーマスの…」
「お?」
「リーマスのばかやろう!!」

ナマエのあんな大きな声は聞いたことがない、とグリフィンドール生の間でしばらく笑い話になるのは、もう少し後のことだった。



「にしても、お前らが喧嘩するなんてなあ」

腕を組んでソファに座ったシリウスが茶化したように言う。
ナマエはその隣で、自分の膝を抱えて背を丸めていた。先ほどの勢いは、どうやら萎んでしまったらしい。膝小僧に顎を乗せて、彼女が唇を尖らせる。

「三度目」
「へえ、まじで?」
「うん。一回目は、付き合う前。二回目は、リーマスが隠し事するから、怒っちゃった」

ナマエの言う"隠し事"に心当たりがあったが、シリウスは口を噤んだ。
リーマスは自身の秘密を、まだ彼女に打ち明けられていない。

「私だって、リーマスが嫌がることを無理やり聞きだすのも嫌だから、その時は諦めて仲直りしたの」
「うん」
「でも、今回は…」

ユイナが、アルマジロのようにさらに丸まった。
途中で駆けつけたリリーの説得によって冷静を取り戻した彼女は、一変、ひどく落ち込んでいた。説得上手なリリーは、リーマスを追いかけていった。普段なら、こんなにも塞ぎこんだ彼女を励ますのは、リーマスの仕事なのだけれど。

「リーマスがね、図書室で女の子に勉強教えてあげてたの。二人きりで」

ナマエの覇気のない声が、抱えた膝の間からこぼれる。

「まあ、リーマスだしなあ」
「うん。わかってる。リーマスはただ親切にしてあげただけなんだけど…その子、リーマスのことが好きって公言してる、有名な子で」
「あー…なるほど」

恋愛は声が大きい奴のほうが有利とは、よく言ったもので。秘めた恋は美しものだが、言葉にする勇気が褒めたたえられることのほうが多い。特に女子はそうだった。シリウスも、何度も告白してくる女子生徒を断り続けたら、最終的には自分が悪者にされた痛い経験がある。

ナマエはちらりとシリウスを見上げて、首をかしげて微笑んだ。ちょっとでも元気があるように見せようとしているところが、健気で彼女らしい。
それでも見上げてくる瞳はひどく揺らいでいて、シリウスは内心で困ったように唸った。

「だからさ、なんか怒れちゃって」
「あいつ、謝らなかったのか?」
「ごめんって言ったよ。でも、リーマスっていつもそうなんだもん。すぐに謝ってくれるの」

それはリーマスが本当に優しいからだというのは、ナマエも承知しているはずだった。
しかしそれでも、そんな分け隔てない親切心が、相手の心を不安という簡単には対処できない感情で、縛ってしまうこともあるのだ。
そういう彼の長所でもある欠点を、シリウスもよく理解していたので、ああ、と納得したように頷くことが出来た。

「それで?謝ったリーマスが、なんで怒ったんだ?」
「……」

ナマエが膝から顔をあげた。じっとシリウスを見つめる瞳は、少し濡れているようにも思えたが、頑張って耐えているようだった。自分に非があると思っていることでは、決して泣かない。ナマエは、そういう女だった。

「なんか、私だけリーマスが好きみたいで、悔しくて、だから、」

視線がゆっくりと、つま先に落ちる。暖炉の明かりが作り出す陰を、じっと見つめて。
段々と言葉尻が小さくなっていく声を、シリウスはなんとかして拾い取った。

「私のこと、本当はそんなに好きじゃないんじゃないの、って言ったんだ…」
「お前、馬鹿だな…」
「わ、わかってるよ!さすがに私が悪いと思う。誰にでも優しいリーマスのことが好きになったのに、誰にでも優しいのが許せないなんて、おかしいよね」
「ま、リーマスの親切は行き過ぎてるときもあるな」
「考えちゃったんだよね。リーマスは優しいから、もしあの子がすっっごく頼み込んだら、キスくらいしてあげちゃうんじゃないかな、って…」
「ふーん…そんなに不安なら、試してみればいいんじゃね?」
「え?」

咄嗟に顔をあげたナマエのすぐ近くに、シリウスの顔があった。反射的に避けようと動かした手を、瞬時に捕まれて身動きがとれなくなる。
あ、と思った途端に、彼の大きな手が肩にのる。
灰色の瞳と至近距離で見つめあって、その瞳がゆっくりと近付く。

「離せよ馬鹿犬」

背後から、冷ややかな声。
ナマエが驚いて振り向けば、そこには仁王立ちしているリーマスが居た。滅多にない、あからさまに不機嫌な表情だ。いまにも噛みつきそうなほど。
ナマエは自分の頭が一気に真っ白になるのを感じつつ、ぽかりと空いてしまった口をなんとか閉じようとした。

「ほらよ、王子様の登場だ」
「っるさいな、シリウス」
「リ、リーマス、」

ぱっとシリウスの手が離れると、すぐさまリーマスの手が伸びてきて、ナマエの小さな手のひらを少し乱暴に掴む。
むすっとした表情を隠さずに彼女を立たせると、そのまま太った貴婦人の前まで引っ張っていって、穴を乗り越える。

「え、あの、」

何も言わずに廊下を突き進んでいくリーマスに、何も言えないで着いて行くと、途中の廊下の角にリリーが立っていた。
それも無視して歩いていってしまう彼に手を引かれながら、首だけ後ろを向いてリリーを見れば、彼女はにっこりと微笑んで、手に握った何かを振った。

「…ナマエ」
「な、なに?」
「ごめん」

しばらく無言で歩いたあと、リーマスがぽつりと呟いた。さっきの冷え切った声が嘘のように、柔らかで弱々しい声だった。
誰も居ない冷たい廊下に二人きりで、つながれた手のひらだけが汗をかきそうなほど熱を持っている。

「ううん、私のほうこそ、怒ったりして、本当にごめんなさい」
「ちがうんだ。さっきのこともあるけど、でも、ナマエがあんな風に考えてるとは、思わなくて」
「え?」
「全部聞いてたんだ、さっきの」

ナマエは、今度は恥ずかしさで頭が真っ白になるのを感じた。
ああ、そうか。だからリリーが笑ってたんだ。そういえば、手にしていたのは伸び耳じゃなかっただろうか。
自分はあの時、シリウスに何を話していただろうか。はっきり思い出そうとすればするほど、頭がぐるぐるとする。

「そ、なんだ」
「僕がナマエのこと好きじゃないわけないのに、そんな風に言われたことが悔しくて、不安になっちゃって、」

それで怒ったんだ、柄にもなく。
そこでやっと、リーマスが振り向いた。自信なさげに眉を下げて、ナマエの手を握りなおす。

「ナマエも不安だったんだね」
「……うん」
「ごめん」
「私も、ごめんなさい」

ナマエは強く握られた手に、もう片方の手をそっと添える。
暖かい熱が指先を溶かし始めるような気がした。

「僕には、ナマエ以外ありえないから。誰に頼まれたって、死んでやるって言われたって、君以外にキスなんてしないよ」
「う……ごめんなさい」
「それに、」

ふわり、とリーマスが微笑む。やっといつもの彼の表情が見れたことにナマエは安堵して、冬の廊下だというのにつま先まで温かくなっていくのを感じた。
握った手の甲にそっと唇を寄せて、リーマスは目を細めた。

「こんなふうに喧嘩するのも、不機嫌になっちゃうのも、君が大好きだからだよ」


三回目の喧嘩で学んだこと

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