刺すような冷たい風が、ローブの裾と、頑丈に巻き付けたマフラーの端を大きく揺らす。目の前を、まるで一本の線のように箒が走る。
獅子の絵を描いた横断幕が、鈍色の空の下で激しく波打つ。隣の一年生が、くしゃみをする。
クァッフルが丸い輪の中を、射るように通り抜ける。キーパーが悪態をつきながらゴールポストを蹴る。割れんばかりの歓声。また、くしゃみ。
紅のコートの選手が、くるりと一回転。ブラッジャーがすり抜ける。歓喜の口笛。拍手喝采。


「ナマエ、ちゃんと息してる？」

口元までマフラーを上げたリーマスが、ちらりと隣の彼女を見た。
彼女は、瞳だけを忙しなく動かしていた。まるで寒さで凍ってしまったかのように、体はまったく動かさない。
膝の上でぎゅっと拳を強く握って、背筋をぴんと真っ直ぐに伸ばしている。左手に握られた小さな旗だけが、"グリフィンドールに勝利を！"という黄金色の文字をきらめかせていた。表情を無くした彼女と、ポップな旗のアンマッチが、なんだか滑稽だった。

もう一度、リーマスが先ほどよりも大きな声で名を呼べば、やっと彼女は肩を大きく揺らした。

「え、あ、リーマス、」
「大丈夫？生きてる？」
「う、ん」

あまり大丈夫そうじゃないな。
リーマスは、彼女がすぐにフィールドに視線を戻すのを見つめながら思った。
ナマエの顔は、今にも心臓が止まってしまいそうなほど、青白い。拳を強く握っているのは、寒さのためでなく恐怖のためだろう。

それもそのはずだった。

彼女の視線の先にいるシーカーは、まるで水車のように垂直に一回転することで、ブラッジャーを避けたところだった。
観客から、悲鳴と拍手と感嘆の声が上がる。自慢するように急上昇して、両手を挙げる。そこにまたブラッジャー。ビーターが撃ち落して、ハイタッチ。
もう一度ブラッジャーを狙った相手の棍棒が、シーカーの頬を掠める。非難の声が上がる。しかし彼は、ひらりと空中で丸を描いて、笑顔でこちらに手を振った。

ナマエは、拍手するために手を開くことも、声を上げるために口を開くこともしない。
ただじっと、それを見つめるだけ。一時も逃さない、といでもいうように。強く噤まれた唇が、少し震えている。

その時、一段と大きな歓声が上がった。周りの生徒が立ち上がり、声援を送る。

シーカーが、地面に向かって急降下していた。ほぼ垂直の角度で、落ち行く雷のようなスピード。
しかし、相手のシーカーも同じことをしていた。自分が追いつかないと思ったのか、紅のコートの裾を掴んで、振り落とそうとしている。
反則だ。だが、誰もそれを咎める余裕はない。そのスピードが、許さない。シーカーが足だけで箒にぶら下がる。急降下は止まらない。

箒から振り下ろされる。誰もがそう思ったとき、ナマエが掠れた声で呟いた。

「ジェームズ、」

砂煙が舞って、辺りが白く包まれる。しん、と静まり返った場内。煙の中から突き上げられた男の手のなかで、金色のスニッチが星のように輝いていた。



「グリフィンドール最高！！」

選手控え用のテントから、紅のコートに身を包んだ選手たちが、スニッチのように顔を輝かせて出てきた。
出待ちをしていた生徒たちに囲まれて、まるでパレードのような集団になる。
その中で、一際人々を引き付けて、さらには胴上げをされている選手がいた。スニッチを握り締めたまま、寮生たちに担ぎ上げられて空中を上下していたジェームズは、人混みをかき分けてやってきた女子生徒に気が付き、笑顔を浮かべる。

「ナマエ！」

ジェームズは、ひょい、と胴上げから抜け出すと、彼女の手を取った。

「今から談話室でパーティさ。勝利の証だから、この服は脱ぐなってみんなが言うんだ」
「そう」
「でも、汚れたままにはしとけないよね」

コートの下から、杖を取り出して自分の頭のてっぺんに当てる。すると、まるで洗車の仕上げにのように、泥が地面へと滑り落ちていった。ジェームズが満足気に、にこりと笑う。
そのまま談話室へと向かおうとする手を、ナマエがそっと離した。

「ナマエ？」

ジェームズが、不思議そうに振り返る。
暖かい部屋へと戻っていく友人たちに、先に行ってて、と視線で合図をして、俯いたまま、一向に動こうとしないナマエの顔を覗きこむ。
すると、彼女は急に顔を上げて、きりっとジェームズの瞳を睨んだ。

「どうして、あんな飛び方するの？」
「え？」
「だから、どうして、危ない飛び方ばっかりするの！」

一瞬きょとん、とした顔をしたあと、ジェームズは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「ハラハラした？」
「したわよ！リーマスに心配されるぐらいにね！」
「そりゃ、プレーヤー冥利に尽きるね」
「ふざけないで！」

ナマエは不機嫌を通り越して、怒っていた。ジェームズが両手をあげて、まいったな、のしぐさをするが、その表情は悪びれていない。
それがさらに彼女の感情を逆撫でして、ナマエは彼の頬をひっぱった。先程ビーターの棍棒が掠めた場所だ。

「いたた、」
「この怪我の時だって、ビーターが殴ろうとしてくるの、わかってたでしょ！？てかその前のブラッジャーも、もっと楽に避けれた！」
「まあ」
「それに、スニッチ取るときだって、あれ、わざと振り落とされそうになってたでしょ！」
「あらま、バレてたんだ」

肩をすくめる動作をして、おどけたように舌を出す。ナマエは、当たり前、と言い捨ててくるりと後ろを向いた。
それでも、ジェームズは上機嫌である。にこにこと笑顔を浮かべたまま、自分の髪の毛をくしゃりとかき混ぜた。

「僕のこと、よく見ててくれたんだね」
「他の選手を応援したくても、怖くてジェームズから目を離せないよ」
「うんうん。かっこよかった？」
「そういう話じゃないでしょ！危険なことしないで、って言いたいの！」

再燃した怒りを抑えられず、彼を睨みつけるために振り向くと、彼は少し困った顔をしていた。
反省したのだろうか。そう思ってナマエが肩から少しだけ力を抜くと、ジェームズはじんわりと笑みをつくった。

「それは、無理かなあ」
「え？」
「だって、ナマエのために危ないことしてるようなもんだからさ」

ナマエは呆気にとられて、ぽかんと口を開けたまま、しばらく黙り込んだ。
塔のほうから、クラッカーの連続した音が聞こえた。「ああ、はじまったね」そう言いながら、もう一度冷え切った彼女の手を掴むと、思い出したように彼女が言葉を漏らした。

「それ、どういう意味…」
「言わないとわからない？」
「わかんないよ。あんたの頭の中、意味不明すぎて、」

本当に困惑して、自分の中で答えを探し回っている彼女の顔を見て、ジェームズは微笑んだ。
自分が蒔いた種で笑うなんて失礼かもしれないけれど、思い通りに振り回されてくれる彼女が、ひどく愛おしかったのだ。

「だって、そうでもしないと、僕のことだけ見ててくれないだろ？」