「お、リーマス。こないだの変身術のレポートなんだけどさ…」
授業前の教室では、たくさんの会話が飛び交っている。
スリザリンとの合同授業で、いつもより人数が多い分、ざわめきも多い。少し大きな声で話さないと聞こえないくらいなのに、私は見事に彼の名前を拾い上げた。
多分、どんなにうるさい場所でも、どんなに遠くの声でも、私はその名前をキャッチできるんじゃないだろうか。
そんな馬鹿みたいに過信してしまうほど、私の心は強く彼に捕まれてしまっている。
高鳴る気持ちを抑えつつ振り向けば、遅れて教室に入ってきた鳶色の髪の青年が、シリウスと話しているところだった。
真上へと昇ろうとしている太陽の光が窓から溢れて、彼の横顔を輝かせている。鳶色の柔らかい髪がきらきらと光っていて、かっこいいな、なんて見つめていたら、あろうことかリーマスと目が合ってしまった。
やばい、見ていたことに気付かれたかも。慌てて視線を逸らす前に、彼が柔らかく微笑んだりするから、思わず引きつった笑みを浮かべてしまった。最悪だ。
「ナマエ、変身術のレポートってさ、ソファーに変身するやつだよね?」
「え?あ、うん、そうだよ。物体に変身する時の注意点とか、そういうの」
「ほら、シリウス。君、ちゃんと授業聞かないと」
「授業中に成功したんだから、レポートなんて書く必要ねえじゃん」
「そうやって、シリウスは点数を落とすのよ」
「ナマエの言うとおり」
はは、と楽しそうにリーマスは笑った。つられて、今度は私も自然に笑みを溢す。
めんどくせーと唸るシリウスの隣に、いつものようにジェームズが座って、ずっと前の方で教科書を読んでいるリリーの気を引こうと頑張っている。
開始ベルぎりぎりで駆け込んでくるピーターのために、ひとつ席をとっておいて、私たちは筆記用具を並べた。
「…ナマエ」
こそり、と隣に座っていたリーマスが呟いた。
内緒話のような声に首を傾げると、彼は左手を差し出した。
その手の中には、ころんと黄色い包みのお菓子がひとつ。
「これ、すごく美味しいチョコなんだ。でも、ジェームズたちが勝手に食べるから、いつのまにか、最後の一個」
「え、もらっていいの?」
「ほんとは、ナマエと食べようと思って買ったんだよ」
あいつらが自由奔放すぎて、とリーマスは肩を竦めてみせた。
私と食べようと買ってくたことが、すごく嬉しくて、私は心の底からお礼を言って、その場ですぐにチョコを口に入れた。
ミルクの甘い味が口内に広がって、美味しくて嬉しくて、思わずそのままの気持ちを言葉にすれば、リーマスは目を大きく開いたあと、くすくすと笑い出した。
「な、なに…?」
「いや、やっぱり、かわいいなあと思って」
「へ……っ!?」
予想外の言葉に、私が驚いて椅子を蹴り上げて立ち上がると、開けた空間が目の前に広がって、先生と私の一対一になった。教室中の目が、私を見上げている。あれ、いつのまに授業始まってたんだっけ。
魔法史の退屈さに飽き飽きしていた何人かは、私の顔を見てにやにやと笑っているし、スリザリン生にいたっては冷ややかな目。
一気に真っ白になってしまう私の頭なんて知りもしないで、先生がごほんと咳払いをして、突っ立ったまま硬直した私に、静かな怒りを湛えた笑顔を向けた。
「この魔法使いの遍歴について何か意見でも?」
「い…いいえ…」
「そうですか。では発作的に立ちあがってしまう呪いでもない限り、しっかりと着席しているように。ミスターポッター、杖ではなく教科書を出しなさい」
立ち上がってしまう呪いを、本当に私にかけようとしていたジェームズを、しっかりひと睨みして、私は小さな声ですみませんと呟いた。
消えてなくなりたい。なるべく存在する面積を少なくしたい、と思って、体を小さくして座れば、隣でリーマスが一生懸命声を押し殺して笑っていた。
机の下で彼の足をばしんと叩けば、リーマスは笑いを堪えながら、目じりに涙を浮かべて謝ってきた。
「ごめ、ん…ナマエ、最高」
「全部リーマスのせいだからね!」
「あんまり大きい声出すと、また怒られるよ」
慌ててぱっと口元を隠すと、またリーマスが押し殺した声で笑う。もう一度、今度は強く彼の足を殴れば、彼は笑顔を浮かべたまま、羊皮紙の端にさらさらとペンを走らせた。
"ごめん"
男の子とは思えない、綺麗な字だ。私が感心していると、続きのインクが文字を作る。
"でも、まさか立ち上がるとは思わなかった"
"リーマスが変なこと言うから"
"変なこと?"
私ははっとして、ペンを止めた。
顔を上げると、リーマスにしては珍しい、悪戯っ子のような笑みを浮かべている。
続きを書いて、と目で訴えられる。そんな顔をされても、私は無駄にペン先からインクを滲ませるぐらいしかできなくて、顔が赤くならないように奥歯を噛みしめるのに必死だった。
インクの染みが広がっていく羊皮紙をみつめた後、リーマスは笑みを浮かべたまま少し私に近づくと、今度はゆっくりと唇を動かした。
「かわいい、って思ってるのは、本当だよ?」
チカチカする視界の片隅で見えたのは、リーマスの満足そうな顔だった。