「トリック、オア、トリート!」

ジェームズの快活な声が、グリフィンドールの談話室に響く。
もうお菓子を貰って喜ぶような年齢ではないというのに、眼鏡の奥の瞳は子供のようにキラキラと輝いていた。右手に握りしめた杖から、オレンジ色の火花。左手にはカボチャを模った大きなバケツ。「お菓子をくれなきゃ悪戯する!」という、半分脅しのような言葉に、生徒たちは笑いながら、バケツの中にお菓子を投げ入れた。

「投げるな投げるな!」
「うるせージェームズ。お前の悪戯は洒落にならん」
「ちょ、僕にお菓子を当てることが目的になってないか!?」

ジェームズは文句を言いながらも、楽しそうに笑い転げている。黒いマントを羽織っただけの手抜きな仮装で、談話室のソファの上に立つ彼の周りに、色とりどりの菓子の包み紙が飛び交う。

「シリウス、僕たちも菓子を投げよう!」
「いいだろう。俺たち特性の、食べると尻から火が出るキャンディーだ」
「おい、やめろ、どれがどれだか分からなくなる!」

生徒たちの抗議の声も空しく、あくどい顔をしたシリウスが、大きな袋をひっくり返した。ぎゃはは、と大きな笑い後。グリフィンドールの中心は、いつだって彼等二人であった。二人が並べば、いつのまにかその周りに人の輪ができる。
誰だって、二人の傍に行きたがった。ただ、ひとりの少女を除いては。

「ねえ、リリー!トリックオアトリート?」
「お菓子をあげたら悪戯をやめるなら、いくらでもあげるわよ」
「いや、やめないな」
「僕は、リリーからのお菓子が欲しいだけさ」
「いやよ」
「なんで!」


大げさに絶望した顔をするジェームズを、うっとおしそうに見上げるのは、深緑色の瞳が印象的な少女。綺麗な赤い髪は、今は肩の辺りでひとつに纏められている。
ジェームズは、リリーがとても嫌そうな顔をしているのに気がついていないのか、それとももう慣れ切っているのか、おかまいなしに彼女の鼻先にオレンジ色のカボチャの入れ物を突き出そうとした。しかし、勢いよく突き出したカボチャは、机の上に置かれていたインク瓶を掠り、蓋のあいたそれを盛大に羊皮紙の上にぶちまける形となった。

「……」
「……あ、」
「何してんの、あんたたち」

しん、と静まり返った場に、言葉を投げかけたのはナマエだった。
そして、彼等の頭越しに見えた真っ黒に染まったレポートの残骸を見て、げ、とカエルが踏み潰されたような声を出した。

「だだだ、大丈夫だよ、リリー!すぐ戻すから!」

そう言ってジェームズは、羊皮紙に向かって杖を一振りした。
すると、黒いインクの染みがもぞもぞと虫のように動いて、文字の形へと姿を変えていった。感嘆しながら覗き込むピーターの視線の先で、その文字達は言葉綴っていく。
しかし、タイトルの一文が出来上がった瞬間に、黙って見つめていたリリーが机を蹴るようにして立ち上がった。

「あなたってほんと、大馬鹿なんだから!」
「え、ちょ、待ってよリリー!」

女子寮へと駆け上がっていった彼女の後姿を見送って、ナマエはため息をついた。
親友たちが喧嘩したからといって、今更慌てるようなことはなかった。正直に言えば、日常茶飯事である。まったくもって予想の範囲内。

「何やらかしたのよ、プロングス君は」
「これ」

シリウスが差し出してきた羊皮紙の一番上に目を通して、ナマエはさらに大きなため息をついた。

「“ジェームズ・ポッターがリリー・エバンズをどれだけ愛しているかについて”…駄目だこりゃ」



「女ってなんて面倒な生き物なんだ!」

湖のほとりの一番背の高い木の下、鈍色にくすんだ空に向かってジェームズが吼えた。
しかしその言葉に同意も反発もなく、ただ彼の後ろからむしゃむしゃと音が聞こえてくるだけ。

「お、リーマスそれくれ」
「やだよ。これ美味しいんだから」
「リーマスのお菓子すごい量だね」
「リーマスにはなんか普通にあげたくなるよね。シリウス、私の食べれば」
「さんきゅー、て、これ俺たちのキャンディーじゃん」
「バレたか」
「お前が食べろよ。尻から火を出せ」
「レディーになんてこと言うんだ」
「聞けよ、君たち!」

ジェームズが大声を出すと、口の中をチョコレートでいっぱいにしたナマエが、やれやれと小さく首を振った。
それを目ざとく見つけたジェームズが、座り込んでいる彼女を、仁王立ちで見下ろす。

「な、ナマエ、そう思うだろ!女って理解不能じゃないかい!?」
「私、女なんですけど」

あれ、そうだったっけ?ととぼけるジェームズの頭に、空っぽになったカボチャバケツを見事クリーンヒットさせると、ナマエはふうと息を吐いた。
そして淀んだ空を見上げる。雨が降りそうだ、と告げようとした時、ビーンズを口に放り入れたシリウスの言葉が先を越す。

「ジェームズはさ、積極的すぎんだよ」
「そうそう。押して駄目なら引いてみろって言うじゃないか」
「ふうむ」

ジェームズは顎に手を当てて、ぼうっと湖の水面を見つめて何か考え始めた。
空回りしなきゃいいけど、と思いながらナマエはそのくしゃくしゃの頭を眺める。好き放題に跳ねまくったその髪は、まるで彼の性格を表しているようだ。
その時、ジェームズの視線の先で、水面がゆらりと揺れた。
はっとして、空を見上げる。黒に近い灰色がこちらを見下ろしていた。
もう何年もこの辺で長い時間を過ごしてきたからこそ、分かる予兆。先ほど水面が揺れたのは、水中人がそれを予期して水底に逃げ込んだから。

「やっべ、」

ジェームズが呟いたのとほぼ同時に、ものすごい勢いで雨が降り始めた。
他の音が何も聞こえないほどの大雨。世界がすぐに雨が描く線で覆われて、周りから隔離されたかのような状態になる。

「やらかした」
「やらかしたじゃないわよ!なんで私を掴むの!?」
「いや、つい」
「ついじゃない!」

木の真下から少し外れて立っていたジェームズと、慌てた彼に引っ張られたナマエがずぶ濡れになって、シリウスたちのところに逃げ込む。
幸いなことに、幹に近い場所では、かろうじて残る色づいた葉が雨を遮断してくれていた。
ぼたぼた、とローブの裾を絞って水を出しながら、ナマエは恨みを込めてジェームズの太ももに蹴りを入れた。

「しばらく止みそうにねーな」
「折角リリーと仲直りする作戦を思いつきそうだったのに、忘れた!」
「うるさい!あんたはちょっと頭を冷やせ!」

ナマエの蹴りが、今度はジェームズの背中に繰り出され、彼はそのままの勢いで雨の中へと投げ出された。
くせ毛を水でぺしゃんこにして起き上がった彼は、眼鏡を直しながら、にやりと笑ってナマエの腕を引っ張った。


「え、ちょ、ぎゃああ!」

音を立てて水溜りに飛び込んだナマエを見送って、シリウスが馬鹿にしたように笑う。
その声を見事にキャッチしたナマエは、腰に差していた杖を取り出して、瞬時にシリウスに向けた。彼が防御する前に、彼の体はふわりと宙に浮いて、彼女が浸かっていた水溜りにぼとりと落ちた。

「てめえ…」
「あはは!シリウス君、残念だったね!」
「うるせー!お前らいい加減にしろよ!!」
「……何やってるの?」

リーマスとピーターの笑い声に混じって、雨音を掻き消すような凛とした綺麗な声が響く。ジェームズがばっと顔を上げて、眼鏡を押し上げて、嬉々としてその声の持ち主の名前を呼んだ。

「リリー!」
「夕飯に来ないから、どうしたかと思えば…何やってるの、あなたたち」
「たすけてリリー!ジェームズがいじめる!」
「……」
「ち、ちがうよ!ナマエが僕を蹴飛ばしたりするから!」

慌てて弁明するジェームズの前に、浅いため息と共に黒色の傘が差し出された。
きょとんとした顔で彼女を見上げれば、リリーは赤い傘で顔を隠して「ほら」と呟いた。

「ハロウィンパーティーはじまっちゃうから、早く行きましょう」

傘からちらりと見えた彼女は、ちょっと困ったように微笑んでいた。
顔を輝かせてリリーの手を取ったジェームズは、そのまま傘をささずに城の方へ走っていった。ちょっと!と慌てた声で叫ぶ彼女の声を見送りながら、ナマエは呆れたように笑う。

「まったく、どこまでも手間のかかるカップルだこと」

その後、リーマスが呼び寄せ呪文で呼び寄せた傘を取り合いしながら、ナマエたちは大広間へ向かった。調子に乗りすぎてリリーに怒られ、しょげているだろう親友を、なんて言ってからかってやろうか。

あの日の僕らは、終わらない

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