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「…好きにしろ」

電話に残っていた通話記録の相手を言わないと、サンプルを開けバクテリアをかける。そんなコナンの脅しに、男はただ一言そう答えた。

「だってさ、ゆいな姉ちゃん」

それを聞いて笑みを浮かべ、作ったようなワントーン高い声で、コナンが振り向く。

「それって…それをかけられても問題ないってことだよね?」
「みたいだね」
「じゃあ、そのアンプルは偽物ってこと、で…」

ゆいなは自分の両手をまじまじと見た。赤くなった手。はじめて見た時ほどの恐怖を感じない。キッドと縋った希望的観測が、ゆっくりと確信へと変わっていく。

「多分、喫煙室に吹き付けられた漆にかぶれたんだ。こいつらの仲間の一人が漆職人みたいだったから」
「……死なないって、こと?」

じわり。視界が滲む。ゆいなは無意識に隣にいたキッドの手を握りしめていた。優しく握り返され、見上げればふんわりと微笑まれる。きゅっと切なくなって、余計に涙が溢れた。ゆいなは一度目を擦ると、息を吐くように、よかった、と呟いた。
何よりも、隣に居る彼が生きていてくれるということが、嬉しかった。

「俺を信じてよかっただろ?」
「うん…!」

力強く笑うキッドに、ゆいなも頷いて笑い返す。もう一度強く手を握ると、ゆいなの頭を撫でてから、キッドは踵を返した。

「さてと。姫の無事も確認できたことですし、そろそろ警部たちがやってくる頃でしょうから、わたしはこれで」

そう言って、未だ動けない男に手を伸ばしたキッドだが、何かに気がついて眉をひそめて振り返った。

「オメー…俺の仕事の邪魔はしねーって約束だったじゃねーか」
「努力するって言っただけだぜ?」

にやり、笑いながらコナンが掲げたのは、青色に輝くレディースカイだった。くそ、とキッドが悪態をつく。

「まあ、まだ予告の時間じゃねーから盗らねえよ」
「へーへー」
「では、ひとまず退散とさせて頂きますよ」

キッドが指を鳴らすと同時に、彼の足元から煙が巻き上がる。コナンとゆいなが目を開けた時には、晴れた煙の中にその姿はなかった。空を見上げたコナンが呆れたようにため息をつく。

「ゆいな、オメー、あんな奴のどこがいいんだよ」
「は!?なな、何言ってんの!」
「いや……なんでもねーよ」

顔を真っ赤に染めたゆいなを見て顔をしかめると、コナンは不機嫌そうに顔を逸らした。
唐突な質問に煩く鳴る心臓を押さえ付けながらも、コナンがそう聞いてきた真意を問おうとした時、エレベーターの扉が開いて中森を先頭として警察が流れこんできた。
中森は武装した男が三人も転がっている状況をみて、目を丸くしてしばし固まった。

「すごいな…ボウズがやったのか?」
「ボクだけじゃないよ!ゆいな姉ちゃんすごかったんだから!どんどん薙ぎ倒していったんだ!」
「えっ!?あ、ああまあ、えへへ」
「そ、そうか…ゆいなちゃん、ありがとうな」

若干引いたように驚かれたが、真剣に礼を言われたゆいなは慌てて曖昧に返事をし笑顔を浮かべた。中森が投げてくる視線は尊敬をも含んだもので、いたたまれなくなる。コナン君が全員倒したんですよ、と言いたくても言えない状況がもどかしい。
エレベーターに運ばれていく男たちを見送りながら、ゆいなは両手を背中に回した。戻ってきたエレベーターに、中森とコナンと乗り込み、ガラスに背中をつけた。

「あの…おじさん、私少しお手洗いに…」

手を後ろに隠したまま最後に降りると、振り向いた中森にお辞儀をする。護衛を付けようかという申し出を丁重に断り、二人と別の通路へ曲がる。振り向いた時にコナンと目が合い、目配せをすると、彼もしっかり頷いた。


「こんな手見たら、みんなパニックだもんね」

ゆいなは手を洗いながら呟いた。必要のない騒ぎを起こすことは避け、コナンがバクテリアについての説明を終えたあたりに合流するのがいいだろう。そう踏んで一人でトイレに来たゆいなは、洗面台に背中を預けて腕時計をみた。
進む針を見つめながら、自然と吐き出された重たいため息に自分で驚いた。

何か違和感がある。
なんだか、すっきりとしない。気付かなければいけないことに気付いていない、そんなかんじがした。

エレベーターの中で聞いたコナンの話では、ハイジャック犯の目的は次郎吉への復讐ではなく、細菌と爆弾を乗せた飛行船をでっちあげ、地上をパニックにして無人となった奈良の寺から仏像を盗むことだったらしい。そのこともすでに手を打ってあるみたいだったし、もう何も心配することはないはずだ。

そのはずなのに。

ゆいなは手をぎゅっと握って目をつぶった。思い出せ、はじめから。ひとつひとつ、幼なじみがいつもやるように、わかった事実と丁寧に照らし合わせていく。

「……っ!?」

ぱっと頭に浮かんだ事実に、一瞬目の前が暗くなる。
もし今気がついたことが、本当なら。この事件はまだ解決していない。
まずい。けれど、警察とコナンに教えに行っている時間はないかもしれない。
恐怖に支配されそうになる体にぐっと力を入れて、ゆいなは治療室へと走り出した。

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