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「……んっ!」

塞がれた唇に、ゆいなは驚いて大きく目を見開いた。
慌てて、握られていない手でキッドの胸板を叩くが効果はない。頭を後ろに引こうにも、いつのまにか後ろ手に頭をがっちりと固定されていた。
酸素を求めて唇が離れた瞬間に、声をあげようと唇を開くも、息が音になる前に素早くもう一度塞がれる。先程よりも深い口づけに、ゆいなはぎゅっと目をつむった。

「……っ、かい、と!」

切ない吐息を残して離れた唇にキッドが気を取られてる間に、ゆいなは彼の肩を押して立ち上がった。口元を押さえて白いシルクハットを見下ろす。そのつばとモノクルで、彼の顔はみれない。そのことに、沸き上がるような恐怖を感じた。

「なに…どうしてこんなことっ」
「さっき言ったじゃねーか」
「え?」
「好きだから」

顔をあげたキッドは、ゆいなの目を見てにっと笑った。子供のような無邪気な笑顔に、ゆいなの膝から力が抜けた。

「……快斗のばか…っ」
「おーおー」
「こんなことして、感染したら…!」
「そのつもりでキスしたんだけど。これで、死ぬときは一緒だな」
「……っ」

ぽろぽろと涙が零れる。信じられなかった。こんなふうに巻き込むことになるのなら、いっそのこと飛行船から身投げでもすればよかった。そうすれば、せめて彼だけは助けられたのに。

「快斗…!」

悔しくて悲しくて、必死に彼の胸に縋り付く。優しく回された腕は温かかった。温かくて、優しい。
こんなことをして笑っている黒羽快斗という男は馬鹿だと思った。
けれどなによりも、こうやって抱きしめてもらえることを、素直に喜んでいる自分が怖かった。一緒にいると言ってくれたことも、キスをしてくれたことも、一人じゃないことも、本当は嬉しかった。
どこかで安心してしまっている、自分がきらいだ。

「ごめんね、快斗…」
「なんで?」
「私、ほんとは、嬉しい。快斗が一緒に居てくれるの…ごめん…」

彼の胸に額を押し付ければ、ゆるゆると髪をすいていたキッドがくすりと笑った。

「よかった」
「……ごめん」
「なんで謝るんだよ。もういい加減泣き止めって、な?」
「でも…」
「じゃあ、泣きながらでもいいから、俺の言うこと聞いてくれるか?」

ゆいなはぐずぐずと鼻を啜りながら顔をあげた。「はは、ひでえ顔」とキッドが笑うものだから、むっとして彼の胸にもう一度頭突きをした。

「俺の考えてることが当たってたら、俺もゆいなも死ななくてすむんだ」
「……え?」

ゆいなは瞬きをした。驚いた顔を上げ、ゆったりと微笑みを浮かべるキッドを見た。

「発疹はどこに出てる?」
「え…っと、右手の平と、両手の甲…」
「他は?」

首を傾げながらも立ち上がり、顔、首、お腹、足と確認していく。その際スカートをめくろうとしたキッドの手を叩き払うのも忘れなかった。

「ちょ、っと!」
「うん、出てないみたいだな」
「このスケベ!スルーすんな!」
「スケベな怪盗って言ったのはオメーだろーが」

にやり、挑戦的な笑みを浮かべたキッドに、ゆいなは言葉を詰まらせた。食事の時に園子に言ったことを、まだ根に持っているらしい。

「ま、俺とキスしたいって言われて、嫉妬してんのは可愛かったけどなー」
「……っ!い、いいから、で、どうなの!?」
「おー怖い怖い。…な、おかしいと思わねえ?今までの感染者はみんな手の平に発疹が出てる」
「……そういえば」

藤岡、ウエイトレス、水川、みな手の平が赤くなっていた。ゆいなは自分の手をみつめた。右手だけというのもおかしい。

「そもそも、なんで喫煙室行ったんだ?」
「藤岡さんのライターを届けに…」
「そのとき、藤岡に何かされたか?」
「……あ!両手を握られ、た」

あの時は、両手を包むように握られた。藤岡の手の平は、自分の手の甲に確かに触れていた。

「……もしかして…」
「バクテリアは飛沫感染だ。触っただけじゃ感染しない。でも、触れたとこだけに発疹が出たってことは、」
「バクテリアじゃない、ってこと……?」
「俺が思うに、喫煙室に何かかぶれるもの、たとえば漆なんかが吹き付けられてたんじゃないか?ドアの取っ手とかに」

ありえる話ではあった。ドアの取っ手に漆が塗ってあれば、皆の手に必ず付着して、かぶれた跡は発疹のように見える。

ただ、そうだと決め付けるには証拠があまりにもなさすぎるし、今感染したのは全員喫煙室に入った者たち、その事実は変わらない。発疹だってまだ出ていないだけかもしれない。キッドの言うことは、ただの推測でしかないことは、ゆいなでもわかった。

「わかってる、ただの希望的観測だ。なんの根拠もない」
「……うん」
「でも、ゆいなを死なせたくない。だから、俺はこの予想を信じるぜ」

そう言って笑ったキッドが、頭を優しく叩く。つられるように、ゆいなも微笑んだ。

「……そうだね。私も、快斗を信じる」

そっと手を握れば、強く握り返される。生きるのも、死ぬのも一緒。でも、彼が居れば、何も怖くない。
不思議なほどに軽くなった心で、ゆいなはキッドに抱き着いた。さっきの言葉に返事をしていなかったことに気がついて、彼の肩に顔を埋めながら呟く。

「私も好きだよ、快斗」

彼と、これからもずっと一緒に生きていたい、そう願いながら囁いた愛は、もう一度キッドの唇に吸い込まれた。

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