15



心臓が煩いくらいに速く拍動する。ゆいなはじっとりと汗ばんだ右手を開き、息を飲んだ。

手の平に広がる、赤い発疹。

同じものを何回も見てその理由を知っていたゆいなは、声をあげそうになって、なんとかそのかわりに、目をぎゅっと閉じて深呼吸をする。ゆっくり、ゆっくり。真っ白になってパニックを起こしそうだった頭がものを考えられるようになってから、顔をあげれて隣の彼に声をかけようとすると、キッドはそこにいなかった。
慌てて立ち上がり、その姿を捜す。白い影は、スカイデッキの方へ歩いていた。

「快斗!」

もう隠す必要のない名前を呼ぶ。キッドは振り向いて、人差し指を唇に当て、前方を指差した。
そこでゆいなは漸くスカイデッキの異変に気がついた。

「火事…?」

白い煙が濛々と立ち込めている。ゆいなはキッドに駆け寄ろうとして、口を押さえて慌てて立ち止まった。

「発煙筒だな」

戻ってきたキッドがハッチに手をかけながら言った。

「発煙筒?」
「わざと煙を起こして飛行船を目立たせ、恐怖をあおいでるってとこか」
「なんで、また」
「とりあえず、名探偵に教えてやるか」
「ま、待って、快斗!」

降りかけたキッドが、驚いたように顔をあげる。
ゆいなは口を開きかけて、言葉を紡ごうとして、やめた。一度ぎゅっと手を握ってから、なんとか口端をあげた。

「……ここで待ってるね」
「おう」

にっと笑ったキッドが、飛行船の中に消える。
ゆいなはどさっとその場に座り込んだ。開いた左手を見つめて、ため息をつく。
伝えたところで、どうしようもない。心配をかけて、戸惑わせるだけだ。自分でなんとかしなければ。
ぐっと力強く手を握ると、大きく息を吐き、ひとつの決心を胸に目を開いた。


「あれ…おい、ゆいなは?」
「え?」

スカイデッキを見下ろし、そこから焚かれる発煙筒の理由に思いを廻らせていたとき。コナンの言葉にキッドが振り向くと、そこは真っさらな飛行船。風を避けて座っているのかと思い覗き込むが、そこには誰の姿もなかった。
さっと血の気が失せていくのがわかる。そこに居るはずのゆいなは、どこにもいなかった。

「まさか、アイツらに捕まったとか」
「だったら俺らだって見つかってるだろ」
「そう、だな」

キッドの目が不安げに揺れる。コナンはそれを見上げて、まるで自分自身の心を落ち着かせるように額に手を当て呟いた。

「ひとまず、船内を探そう」
「いや……もしかして、」
「何か心当たりがあるのか!?」
「ああ…」

モノクルの向こうの目が細められる。ばん、とてのひらで自分の頭を叩くと、キッドは小さく悩むようにうめいた。

「…ゆいなのことは俺に任せろ。オメーはやることがあるだろ」
「いや、俺も…!」
「アイツはきっと、それを望まねーと思うぜ」

その言葉にコナンはぐっと押し黙った。
ゆいなはきっと、蘭たちを優先しろと言うだろう。ハイジャックから彼女たちを守るために戻ってきたのだから、と。
コナンは深く息をはいて、自分を見下ろす怪盗の目を見つめた。

「……約束守れよ」
「たりめーだろ。怪盗は出した予告は必ず遂行する。ゆいなは俺に任せとけ」
「わかった」

コナンは力強く頷くと、もう一度飛行船の中へと戻っていった。


残されたキッドはシルクハットを目深に被り直すと、ひとつ重りを吐き出すように息をはいた。

何故気付いてやれなかったのか。

そんな後悔が渦巻いて、船内に一度戻る時、不自然に笑ったゆいなに気がついていながら、その理由を追及しなかった自分を殴ってやりたかった。
今しっかりと考えればわかる。彼女があの時自分を呼び止めたことも、近づいてこなかったことも、黙って姿を消したことも、全部の理由が。

「……ゆいな、」

とにかく今は、どこかで一人で恐怖に堪えている彼女を探さなければ。

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