なまえの練習相手は、松田が忠告した通り、なかなかにハードだった。
彼女は剣道に対して妥協がない。それでいて体力があるから、彼女の納得のいくかたちになるまで、降谷は竹刀を受け続けることになるのだった。
しかし、ハードなだけではなく、降谷にも十分な利点があった。
天才は出来すぎるがゆえに人に教えるのが下手だとよく言うが、なまえは教えるのも上手だったのだ。

「降谷くん、飲み込み早いね!」

なまえが防具を外しながら笑う。
お互い、まだ夏の手前だというのにTシャツの色が変わるほど汗をかいていて、なまえはあっついなーと笑いながら、風呂上がりのように豪快に頭皮の汗を拭く。
彼女の上気したピンク色の頬に気を取られながら、降谷はなんとか「そうか?」と返事をする。

「そうだよー。教えたこと、次の日には出来てるし」
「君の教え方が上手いのさ」
「…自主練してるでしょ?」
「……」

降谷は言葉に詰まった。目が泳いでしまう。
事実だった。なまえと練習のペアを組むようになってから、朝礼までの30分間、自主練をしていた。誰にも言っていないのに、何故知っているのだろう。

「諸伏くんにきいた」
「…ヒロか…」

景光には、なんとなくバレていてもおかしくない気がしてしまう。
降谷はため息をつくと、防具をまとめながら、なまえには視線を送らずにぼやく。

「かっこわるいだろ?」

自主練の理由は2つあった。ひとつは、先日負けた悔しさから。もうひとつは、なまえに出来るやつだと思われたかったから。
どちらもスマートな理由ではない。そう思って苦笑すると、なまえはきょとんとしていた。

「かっこわるくないよ?」
「え?」
「努力できることって、本当にすごいと思う。学科だって、簡単に首席とってるように見えて、すごく勉強してるよね。前から、すごいなって思ってたんだ」
「…そうかな」
「そうだよ。すごくかっこいい」

そう言って、なまえは屈託なく笑った。

降谷は、見た目を色々と言うやつらを負かしたくて、勉強もスポーツもそれ以外でも様々な努力をしてきた。
生粋の負けず嫌いのため、努力や苦労を表に出さなかったことで、“降谷は真面目すぎる”と距離を置かれることが増えた。賛辞に妬みが含まれることも茶飯事だったし、見た目で判断されることもあまり減らなかった。
警察学校に入ってからだって、「オールA入校のエリート」として一線を置かれることが多く、自分のことを同じ目線で正面から見てくれているのは、同じ教場の仲間たちだけだと思っていた。

こんなにも真正面からまっすぐに、誉めてもらうことなんて、あっただろうか。

「…照れてる?」
「…照れてないよ」
「はは、降谷くんって子供みたいなとこもあるんだね」

かわいいねーと悪戯っぽく笑うなまえにむっとして、思わずその無造作な髪をさらにぐしゃぐしゃにしてやりたくなった。手を伸ばしかけて、ぐっと握る。

「(まだ、早いだろ…)」

そう考えてから、「まだ」ってなんだよ、と自分自身につっこみを入れる。
なまえともっと仲良くなりたいと思っている自分に、気が付かないわけにはいかなかった。


「お前…髪グシャグシャじゃん」

訓練が終わり、各々防具を抱えて剣道場を出ようとした時、松田がなまえに声をかけた。

「…仕方ないでしょー」
「ちっとは気をつかえよ」
「常にぐしゃぐしゃな陣平に言われたくありませーん」
「あんだとコラ」

松田の腕が伸び、なまえの髪を乱暴にくしゃくしゃと混ぜた。防具を片手で抱えている松田と違い、小柄ななまえは両手でお腹に抱き抱えていて、空いている手がなく抵抗する術がない。やめて!となまえが嫌がるのを嬉しそうにするに松田に、降谷はため息をついた。

「おい、小学生か」

先程、自分が同じことをやりたいと思ったことは棚にあげる。

「降谷くん、もっと言ってやって!」
「おいコラ、ゼロを味方につけようとすんな」
「なによ、ガキんちょ」
「あんだよ、ガサツ女」

うーと唸り声をあげそうな剣幕で睨み合う二人に、どうしたものかと降谷は少し逡巡した後、にっこりと微笑んだ。

「本当に仲がいいんだな」
「「仲良くない!」」

案の定、同時に声を上げた二人は、気まずそうにお互いを見つめ合うと、同じようにため息をついた。俺、先行ってるわ、と気怠げに剣道場を出て行く松田に、なまえは不貞腐れた顔をする。

「ほんと陣平って意地悪なんだから」
「…仲がいいんだな」

今度は、なまえは否定しなかった。

「あいつ、誤解されやすいけど、いい奴でしょ」
「ああ」
「もうちょっと大人しくなってくれたらいいんだけどなあ」
「そうだな。僕なんか、ほとんど初対面で殴り合ったよ」
「え、降谷くんが?」

なまえが目を瞬かせる。その目には好奇心がきらきらとしていた。意外だな、と何故か嬉しそうにするなまえに、降谷は苦笑した。

「それより、髪、大変なことになってる」
「だよねー教官に見つかったらなんか言われそう。身だしなみ厳しいんだよね」
「それなら僕が、」

直してあげるよ。
そう言おうとして、また立ち止まる。松田が気兼ねなく触れていた黒髪が、降谷にはとうてい手の届かない絵の中のもののように思えた。

「…防具、持ってくよ」
「ありがと!ごめん、すぐ直すから…」

わたわたと手櫛で髪を整える姿に、降谷は内心でため息をついた。なんて情けない。

松田が羨ましい、そう思ってしまったら、もうどうにもならなかった。



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