06
シンガポールの煌びやかな夜景を見下ろしながら、キッドが事のあらましを説明する。
レオン・ローは、もともと紺青の拳を狙っており、あと少しのところで現在の持ち主であるジョンハン・チェンに先を越されてしまったそうだ。京極のスポンサーであったシェリリン・タンが裏切ったとみられているが、彼女は先日殺害されてしまった。
そこまでの情報があれば、レオンが容疑者になるだろうが、警察がマークしている様子はなかった。
「他に有力な容疑者がいるからさ」
「容疑者?」
「俺の予告状が、殺人現場に残されていたんだ」
「…なるほどな」
予告状が残されていたことにより、シンガポールの警察は、怪盗キッドがシェリリン・タンを殺害したとみているということだ。つまり、キッドは殺人容疑で指名手配されているということ。
「ちょっとまって、それをわかっててシンガポールまで来たの?」
「もちろん」
マリーナベイサンズの屋上の物陰に着地する。
アーサー・平井に戻るお時間だぜ、とコナンから博士の道具を預かる。思っていたより深刻な状況に怪訝そうな顔をするコナンとは裏腹に、キッドは余裕そうに微笑んでいる。
「こいつは間違いなく罠だぞ?」
「わかってるさ。だからお前を連れてきたんだ。この手のことは得意だろ?」
「理由はわかった。やり方は気に入らねえがな」
「頼んだぜ。じゃ、俺は工藤新一に戻るかな」
「……」
キッドが新一の姿になり、コナンがむすっとした顔をした。
蘭とプールで待ち合わせをしているし、あまり長い時間姿を消すのは得策ではないことは分かるのだけれど。
「あのさ、ゆいな」
「なに?」
「俺と蘭がその…あれなことって、アイツ知ってんのか?」
「あ、」
蘭と新一が付き合い始めたことを、どこかで言おうと思って忘れていた。
案の定、プールの中で寄り添っている二人の距離が近い。
ゆいなとコナンは神妙な顔でお互いを見合った。
コナンがじとっとした目でプールのほうを指さす。なんとかしろ、と目が訴える。
「ゆいな…」
「む、無理だよ、蘭に嫌われちゃう。アーサーくん、行ってきてよ」
「俺、さっき家に帰ったことになってんだけど」
「……」
綺麗な夜景を前に寄り添う二人の姿は、間違いなく恋人のそれだ。
これが本当に新一と蘭なら、ゆいなはニヤニヤと眺めるだけなのだが、蘭の隣でドギマギとしている男は自分の恋人なのだから、何も面白くない。
「(もうしないって言ったのに、快斗のばーか)」
”屋上、来れる?”
蘭と園子と、もう寝ようかという時に届いたメール。
ゆいなは少し考えて、飲み物を買いたいからと理由をつけて部屋をあとにした。
メールの送り主に、言いたいことがたくさんあった。
「悪いな、もう寝るってときに」
温かい気候でも、深夜手前の空気は少し冷たい。
プールにはまだちらほらと人がいるが、ベンチに座る彼は、黒羽快斗の姿だった。くるくるの黒髪が、なんだか懐かしく思えてしまう。
ゆいなを手招きし、隣に座らせると、どこからともなく差し出されるオレンジジュース。
「やっと二人になれた」
にっと笑う快斗に、確かに日本を出立してから、二人だけになる時間は初めてだった。
嬉しそうにニコニコしている快斗にいつものようになんだか毒気を抜かれ、ゆいなは息を吐いて背もたれにもたれかかった。夜景が眩しすぎて、星はあまり見えない。
「新一は?」
「俺の部屋だよ」
「それって大丈夫?」
「大丈夫だろ。詮索する奴じゃないしな」
随分と信頼関係ができているんだな、とゆいなは少し驚く。
本当に、いつの間に仲良くなったのだか。
「で、蘭といちゃいちゃしてたのを謝りにきたの?」
「……う」
「鼻の下伸ばしちゃってさー」
「してない!してない!てゆうかあいつら付き合い出したのかよ!?」
「うん」
「めっちゃ焦ったじゃんか!」
「で、なに、またお尻触ったの?」
「してないって!」
ゆいなの肩を両手でつかみ、まじだから、と真剣な目で答える。
さすがに意地悪しすぎか、と息を吐くと、快斗の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「あんまり不安にさせないでね」
「…はい」
「それに、殺人の容疑がかけられてるなんて聞いてない」
「…ごめん」
肩を引き寄せられて、快斗の腕の中に閉じ込められる。
背中に手を回し、ぽんぽんと背中を叩けば、閉じ込める腕の力が強まった。
「……はあ、ゆいな、落ち着く…ずっとこうしてたい…」
「…本当に大丈夫?」
「ああ、心配ねーよ」
日本とは法律も違う国で、殺人犯として追われているなんて、大丈夫なはずがない。
けれど、快斗と新一が協力すると分かっただけで、少し気持ちが楽になった。
快斗は顔をあげると、ところで、と言って立ち上がりてゆいなの手をとった。怪盗キッドがよくやるように、胸に片手を当てて、軽く会釈をする。
「さっきは三人だったから…今度は、二人きりでシンガポールの空を散歩なんていかがです?お嬢様」
「…いいよ」
「人のいないところ行こうぜ…夜景見ながら、ちゅーしたい」
「…っ、ばか、」
「いいだろー名探偵の手前、ずっと我慢してたんだから」
なんなら、アイツの前でもよかったんだけど。
そう言って頬に手を添え、にやりと笑う快斗に、ゆいなは顔を真っ赤にして、足を踏んで抵抗しようとするが、それも読み切った快斗によって、抱きかかえあげられる。
「ちょ、ちょっとまって」
「待ちませーん。さっきいいよって言いましたー」
「言ったけど、ね、ちょっと、ひゃあ!」
今日二度目の突然の浮遊感に、ゆいなが悲鳴をあげる。
シンガポールの夜の光が、段々と小さくなってゆく。夜はもう少し長くなりそうだった。
prev|top|next