「……一応聞くけど、どうしてそんな不機嫌なんだ」
「……一応答えますけど、分かっているなら聞かないでください」
つぐみは、端末を操作している手を止めず、求められた回答の代わりにため息を落とす。端末の画面に広げているのは、エッジ・オブ・オーシャンの見取り図。まさに今、つぐみが立っている場所だ。東京サミットの会場として使われるため、テロに利用されるような隙がないか、電気系統や通気口の配置位置など、細部に渡り確認をしなければならない。
「……つぐみ」
降谷の先程より少し低い声に、つぐみはやっと顔を上げた。じっと真っ直ぐこちらを見下ろす青い瞳に、怒っているのはこちらだというのに、後ろめたい気持ちになる。こうなると、この上司に逆らう術はない。
「……来なくていいと言ったのに…」
「仕事だからかな」
「降谷さん、ワーカホリックすぎますよ」
「はは、それはお互い様だな。つぐみ、寝ていないだろ」
降谷が爽やかに笑って、つぐみの目の下を優しく指で擦った。こういうことをさらりとするところが、つぐみは納得がいかない。三重の生活をしているにも関わらず、その苦労を1ミリも表に出さない。今日だって、彼がこの現場に顔を出す必要などなかったはずなのに。
「私のことはいいんです!私は降谷さんのことを心配してるんです!」
「ありがたいな」
今回の警備準備は、自分たちに任せてもらえればいいと言ったのに。少しも休むということをしない、自分を労わる様子のないところが、つぐみはこの人の末恐ろしいところだと思っている。
「この間のNOCリストの時だって、私に内緒で現場に乗り込んで…どうして言ってくれなかったんですか」
「まだ怒ってるのか」
「もう少しでバレて殺されるところだったんだから、当たり前です。観覧車が転がっていくのを見ていた私の気持ち、分かります?」
立場上仕方ないことなのかもしれないが、彼は人に頼るということをしない。すべて一人で出来てしまうが故に、それが彼の首を絞めているようにつぐみには見えている。しかし当の本人は爽やかに笑うだけだ。
「僕にそんな風にいう部下はお前くらいだよ」
「私は言いますよ、降谷さんが心配ですから」
ぴたり、と彼の時が止まったように思えた。笑顔のまま、ほんの一瞬のフリーズ。しかし直ぐに降谷はつぐみの額を指で弾いた。
「僕の心配をするのは、お前にはまだ早い」
絶対的な自信の塊を前に、つぐみは反論をせず、そうですか、と呟いた。たしかにそうかもしれない。心配をするだけで、例の組織が絡んだあの事件だって、自分はまったく手出しが出来なかったのだから。
でも、大切な仲間を失う恐怖は、彼自身がよく知っているはずなのに。
「………ん?」
「どうした?」
つぐみは、端末に広げていた見取り図を拡大し、はて、と顎に手を当てた。
「降谷さん、これ知ってました?ここ、ガス栓をネットから操作出来るようになってます」
「…厄介だな」
「何らかの発火物を用意しておけば、遠隔で爆発を起こすことが可能ですね…」
「ネットから遮断する必要がありそうだな。風見にーーー」
その先の降谷の言葉は、耳を裂くような爆発音によって掻き消された。
爆風によって飛ばされたつぐみの身体を、降谷が起こす。走るぞ、という声に頷くと、立ち込める炎と煙に巻かれないよう、腕を掴まれたまま走り出した。走りながら振り返ると、炎に包まれた建物が、音を立てて崩れていく。纏わりつく熱風が、喉を焦がす。まさか、
「降谷さん!みんなが!!!」
「わかってる、」
「…みんなを!」
「…だめだ、離れるんじゃな…!」
「…!」
視界が真っ暗になる前に、つぐみが視界に捉えたのは、降谷の鋭い瞳と、歯を食いしばった姿だった。腕を思い切り引かれ、胸から地面に押し付けられる。呼吸を思い出した時には、降谷が自分の背中に覆いかぶさっていた。彼の背中から、バラバラと瓦礫が落ちる。慌てて彼を助け起こして、現れた彼の痛みを堪える表情に、心臓が冷えていく。
「…っ、降谷さん!」
「大丈夫だ。僕は被害の収拾に向かう。つぐみ、さっきの見取り図…やることは分かってるな?」
鋭い瞳。つぐみは一瞬言葉に詰まったあと、しっかりとその目を見返して、頷いた。お互いの頭に浮かんでいる、テロの可能性。公安として、いま、すぐに動ける自分がやるべきことは、ひとつ。
「任せてください」