01



「美術館で模写って、中学生じゃあるまいし…」
「ふーん、快斗ってば絵心ないからそんなこと言うのねえ」
「バーロー!んなことねーよ」
「快斗、声が大きい」
「ほらーゆいなに怒られたー」
「オメーもだろ青子!」

美術教師の説明がひととおり終わり、各々画材や画用紙を抱えながら踏み入れた損保ジャパン日本興和美術館は、平日で人がまばらなことも相まって、独特の静けさを纏っていた。うるさくしていた生徒たちも空気に圧されて口を噤み、快斗と青子のいつものやりとりはきっと後ろの方まで聞こえていることだろう。

「ゆいなは何を描くの?」
「私はやっぱりゴッホのひまわりかなあ。青子は?」
「わたしはどうしよっかなあー」

青子は壁に並べられた絵をふらふらと眺めながら、ここが難しい、これは描けない、と眉をしかめて呟いている。そんなに迷っていたら時間内に描き終わらないだろう。
そんな青子を尻目に、快斗は赤と青で描かれたサイズの小さい抽象画の前に腰を下ろし、大きなあくびをひとつ。

「…快斗、ラクなもの選んだね…」
「こーゆーのは手を抜かないとなあ」
「本当はめちゃくちゃ絵上手いくせに。もったいない」

怪盗キッドとして模造品も手がける快斗は、とても手先が器用だ。たとえ短時間で不十分な画材しかないとしても、簡単にそれなりの模写をこなすだろう。

「上手く描きすぎて、悪目立ちしても困るからなーどっかの探偵さんが目を光らせてるわけだし」
「探くんね」
「……だからお前なんで白馬のこと名前で呼ぶんだよ」
「別にいいでしょー」

むすっとした快斗を置いて、ゆいなは美術館の奥、ゴッホのひまわりに向かった。この美術館の目玉の作品だが、みんなもっと簡単なものを模写するのだろう、ゆいなの他に画材を広げている生徒はいなかった。

「(そういえば、園子がこのひまわりがどうとか言ってたような……なんだっけ)」

画用紙に下書きをして、絵の具を乗せてゆく。決して得意なわけでもないが、ゆいなは絵を描くことは好きだった。黙々と、とりとめのないことを考えながら、ひたすら見たままに色を加える。鮮やかな太陽のような黄色がとても眩しい。そういえば、ゴッホは他にもひまわりの絵を描いていたはずだ。それはどんなものなんだろう、

「お上手ね」

考えに耽っていたゆいなは、その声に思わず大きく肩を揺らした。お淑やかに微笑む老婦人が、覗き込んでいた。着物をしっかりと着込んだ、育ちの良さそうな老婦人だった。ゆいなは大袈裟な反応をしてしまったことを恥じ顔を赤くする。

「えっと…場所をとってしまってすみません。どうぞ」
「いいえ、いいのよ。しっかり描いてくださいな」

わたしは毎日見ているからいいのよ。
そう言って、隣に腰掛けた老婦人はゆったりと微笑む。その横顔がどこか悲しそうで、ゆいなは筆を止めた。

「この絵がお好きなんですか?」

とてもそんな表情には見えなかったのに、ゆいなはそう尋ねるしかなかった。

「ええ、でも、この絵ではないの」
「え?」
「これによく似た絵に、とても大切な思い出があって。観ることは叶わないのだけれど」

とても楽しい思い出があるようには見えなかったので、ゆいなはそれ以上言及できなかった。遠い昔のやりきれない想いを、押し込めて大切に昇華しようとしているように思えて、切なくなる。

「もしかしてそれは、昔日本で焼失したという芦屋のひまわりのことですか?」

いつのまにか快斗が後ろに立っていた。
その手にはすでに完成した先程の絵の模写。複雑ではない抽象画にしても、構図から色塗りまで完璧な出来だった。思わずゆいなは自分の画用紙を隠したくなった。

「いま、ゴッホのひまわりで存在がはっきりしていないのは、あの絵だけですから」
「あら、お詳しいのねえ。お嬢さんのお付き合いしている方?」
「えっ!?あ…そう、です」

突然言いあてられるとは思ってもみなかったので、ゆいなは思わず赤くなった顔を隠す余裕もなくただ頷く。快斗がにやにやと笑い出したので、お腹を肘で小突く。老婦人が嬉しそうに笑った。

「想いを伝え合っているのは、とても素敵なことね」
「…え?」
「………」
「お互いを大切にね」

老婦人は立ち上がると快斗に席を譲り、一度じっとひまわりを見つめたあと、他の絵の前には寄らず、そのまま姿を消した。

「なんか、悲しそうなおばあさんだったね…」
「そうだな…」

快斗はひまわりをみつめて、少し難しそうな何かを考えている顔をしていた。その表情が、まるであの老婦人の寂しさが乗り移ってしまったような気がして、ゆいなは思わず快斗の手を握った。

「大丈夫?快斗」
「え?」
「なにか辛いこと考えてた?」

快斗はきょとんとした後、柔らかく笑みをこぼして、ゆいなの手を握り返した。

「いや…大丈夫。ちょっと寂しい想像しちまってただけ」
「?」
「ゆいながすぐそばにいてくれてよかったなーって話。ちゃんと好きだっていつでも言えるからよかった」
「え、っと…?」

突然そんな嬉しそうな微笑みでそんなことを言われても困ってしまう。ゆいなは照れを隠すように空いた手を筆に伸ばすが、その手も快斗に捕まえられてしまう。両手をつなぐ状態になったところで、いよいよゆいなは焦った。

「ちょっと快斗、」
「いまなら他に人いないし、一瞬だけ、な?」
「ちょ、何言って、」
「ゆいなー!どうー描けたー?」

青子の明るい声に、ゆいなは慌てて両手を離した。勢い付いてまるで拳銃を向けられたかのように、両手を上に突き上げる格好になってしまった。ちえ、青子タイミングわりー、と快斗が唇を尖らせてこぼす。

「あっれー…青子お邪魔だった?」
「じゃま、」
「そんなことない!青子!青子の絵見せてよ!ね!?」

ゆいなは光の速さで快斗から離れると、首をかしげる青子の手を取った。顔が赤いのはバレているだろうがかまわない。あのままだと雰囲気に流されてしまうところだった、危ない。
振り向くと、快斗はまたあのひまわりを見ていた。

快斗から、「しばらく連絡取れないかも、ごめん。大丈夫だから」と簡潔でそっけないメールが来たのは、その数日後だった。


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