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貯水タンクを爆破させて館内へと導いた大量の水が流れ去り、キッドは両足が地面に着くことにほっと息をついた。
計画通り消火には成功したが、予想よりも建物の痛みが酷そうだ。火災による気圧の変動で、鍾乳洞ごと崩れてしまうのも時間の問題かもしれない。

「(…まずは上まであがって、状況を把握する必要があるな)」

水を吸って重たくなったマントを、申し訳程度に絞る。動きづらくてかなわないが、仕方がない。

「オメー、犯人の計画を知ってたのか?」
「ああ、チューブロードが導火線になるなら、導水路にもなるはずだってな」
「ということは、犯人はチューブロードに向日葵を植えようと言い出した人物…」

コナンが呟いた言葉に、にやりと笑って頷く。
気絶してくたりとしている毛利蘭を抱き上げて、辺りを見回した。

「よし、脱出するぞ」

鍾乳洞の奥には、あらかじめ出口が用意してある。二人を抱えて真っ直ぐ飛ぶだけなら、かろうじてできそうだが、瓦礫が絶えず落ちてきている中で、それを避けながらとなると難易度が高い。服が水を吸っている分、重量にも不安が残る。もし自分に瓦礫が直撃して、気を失い落下でもしたら、3人まとめて湖に沈むことになってしまう。

そのことをコナンに話すと、彼の顔が曇った。自分たちが荷物であると悟ったような顔を、キッドは明るく笑い飛ばした。

「んな顔すんなよ探偵。オメーらが来なかったら、オレは今頃2枚目のひまわりと一緒に黒焦げだぜ」

冗談めかして言ったが、実際、コナンと蘭が来なかったら、2枚目のひまわりを防火防水ケースに入れることはできなかっただろう。その状態で、自分の命を守るためにひまわりを諦めて、貯水湖を爆破させる決断がすぐにできたかと言うと、正直自信がなかった。
怪盗として"引き際"は分かっているつもりだ。
けれど、自分の手の中にある一枚の絵が、何人もの命や想いを繋いで今に存在するものだと思うと、一瞬、天秤にかけた自分の命の軽さにぞっとしてしまった。

(……快斗)

ふと、炎の向こう側で自分を呼ぶ愛しい少女の姿が、鮮明に脳裏に浮かんだのと、コナンがその名を口にしたのは同時だった。

「ゆいな、泣いてたぞ」
「……」

キッドはなにも言えなかった。
あの時、炎の向こう側で、ゆいなは歯を食いしばって頷いた。泣くまいと必死に耐えて、理性を勝たせようとしている表情だった。
それなのに、こいつの前では泣いたのか、とどうしようもなく見当違いで身勝手な嫉妬が、チリチリと胸を焼いた。

彼女は、賢くて物分かりがいい。物分かりが良すぎて、いつだってこちらの求める言葉と行動をくれる。
逆の立場なら、胃が捻り切れそうなほど痛くなって、子供のように駄々を捏ねて暴れ回りそうなことも、ゆいなは大人の表情で受け入れてしまう。それが頼もしくて、愛しくて、寂しい。
だから、美術館で自分のマントを掴んだ彼女の必死な顔に、"知らなければよかったとは思わない"と言い切ってくれたことに、たまらなく後悔して、同じだけ嬉しかった。

「泣かせてばかりなら、アイツのことはもう諦めろ」
「…やーだね」
「……キッド」

自分の命が軽いなんて、そんなことあってたまるか。
ゆいなの顔を思い浮かべただけで、胸の奥からじわじわと熱が昇ってきて、思わず笑いそうになる。
一緒にいたい。だから生きて帰る。
そんなこと、頭で考えるまでもなく明白だ。

俺はヒーローじゃなくて、怪盗なんだから。世間が大切にしているものじゃなくて、自分の一番大切なものを、盗りにいく。

「…俺は決めたぜ、探偵」

笑みを浮かべている自分を、コナンが訝しげに見上げているのが分かっていたが、キッドは前を向いたまま続けた。

「アイツを守るためとか言って、隠し事したり遠ざけたりしてたけど、そんなの全部、オレの自己満だったって、分かったんだ」

タイミングがあれば、いつか言おうと思っていた。ゆいなを守る小さな騎士である、この男に。悔しいけれど、おそらくこれまで誰よりも彼女を大切にしてきた、この幼馴染に。

「だからオレは、ゆいなを全面的に信頼する。オレのことも全部信じてもらう。もうなにも隠し事はしない。アイツは賢くて強い奴だって、オメーもよく分かってるだろ」
「……まあ」
「おっと、だからと言って、共犯者にするつもりはねえから安心しな」
「あたりめーだろ!んなこと言ったら今ここで捕まえてやる」

コナンが噛み付く様はまるで、懸命に番犬であろうとする子犬のようだった。
ふとキッドは口元から余裕の笑みを消して、真面目な顔でその小さな番犬を見下ろした。

「オレは絶対にゆいなを守るよ。泣かせることもあるかもしれねーけど、必ず笑顔にする。約束する」
「……そーかよ」

ふいと顔を背けたコナンが、どんな表情をしているのか、窺い知ることはできない。
訪れた小さな緊張感を崩すように、キッドは少し大きな声を出した。

「つーわけで、ゆいなの騎士の座はオレに譲って、オメーは引退しな。これまでオツカレサマー」
「騎士ってなんだよ。つーか、信用ならねーから無理」
「は?後は任せたぜ…って言う流れだろ!?」
「オメーが大人しく捕まって盗みをやめたら、考えてやらねーこともないな」
「はは、そうくるか」

話している間に、チューブロードの最上階へ到着した。水流で流されないように、あらかじめ固定してあったアタッシュケースを外すと、中から通信機を取り出し、それをコナンに放り投げる。

「オレはこの先にあるエレベーターホールから脱出できないか調べてくる。オメーはその間に犯人をとっ捕まえておいてくれ」
「わかった」
「いつ瓦礫が落ちてきてもおかしくねえ。そのお嬢さんから目を…って、言うまでもねーか」
「ああ、蘭は必ず守る」
「……あーあ、オメーってほんと欲張りだよな」
「は?」
「なんでもねーよ」

手の届くところに大切な人たちを置いておきたい。そして自分の手で守りたい。他のやつには譲りたくない。
誰かを大切に思う気持ちに優劣なんてないのは分かっているが、手の届く範囲を全部自分で抱え込むなんて欲張りだ。
まあ、そういう身勝手さはお互い様か、とキッドは内心で独りごちた。

コナンは秘密がバレたら距離を置こうと思っているだろうが、それならばそもそもバレる危険がある距離にいることが間違っている。
巻き込みたくない気持ちと、近くに居たい気持ちのせめぎ合い。
結局自分の選択も同じなのだ。
ゆいなが望んでくれる限り、許される限り、一番近くに置いて、自分だけのものにしたい。

「…お互い難儀な恋だな」

そう呟いて、キッドは内ポケットから取り出した通信機を、耳元へとあてた。


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