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「みなさん、本日は”日本に憧れたヒマワリ展”にご来場いただき、誠にありがとうございます!」

園子のよく通る声が、真夏の青空の下で響き渡る。
色とりどりの花火や空に舞い上がる風船の演出と共に、レイクロック美術館で”日本に憧れたヒマワリ展”が開幕した。
集められた100人の観客たちが、興奮を抑えきれない様子で入場列を作り、報道陣が熱量高くそれを撮影している。
ゆいなはその客の中から、一人の女性を探していた。

「(今日は関係者だけって言ってたから、きっとどこかに…)」
「ゆいなお姉さん、早く早く!」

列を眺めながらゆっくり歩いていたが、歩美に手を引かれて駆け足になる。エックス線の手荷物検査と顔認証システムのゲートをくぐると、青空と向日葵の写真が、エントランスの壁一面に広がっていた。アルルの向日葵畑をイメージしているのだという。一目散に先へ進む子供たちのあとを追って展示室に入ると、壁にあるのは一枚の額縁だけ。他には造花の向日葵が、部屋いっぱいに咲き誇っている。

「わあ、綺麗!」
「いいでしょ、空間にもこだわってるのよ」
「うん、一枚の絵をこんなに大事に観るのってはじめてかも」
「…新一も来れたらよかったのに」

寂しそうに呟く蘭に、胸が痛む。

「(快斗が新一のチケットを使うなら、蘭と鉢合わせないようにさせないと)」

最後の部屋に全員が集まる形式になっているこの美術館で、それが本当に可能なのかは定かではなかったが、やはり蘭をがっかりさせたくなかった。
ひとつめのひまわりから目を離し、人だかりの中を見回すと、エレベーターを降りてから、そのまま足を止めずに下階へ続くスロープへと向かう人影が目についた。どきりとして喉が詰まる。入場前からずっと探していた人の姿だった。

「ごめん、知ってる人がいたから、声かけてくるね」
「そう?わかったわ」

足早にそのあとを追って、向日葵に挟まれたチューブロードを降りる。薄暗い鍾乳洞を背景に、まるで太陽の下のように立派に咲いている向日葵が、非日常的で不思議な光景だった。回廊が終わり、展示室に入ろうとして、ゆいなは思わず立ち止まった。

絵画の前で、着物を着た初老の女性が、背筋をまっすぐにして立っていた。
絵を眺めるというより、顔を逸らさずにじっと向き合う姿は、まるで人と対話しているかのよう。彼女が涙を拭う仕草を見て、ゆいなの足は地面から離れなくなった。おそらく彼女はひまわりの向こう側に、失った大切な人を見ている。
再会を、邪魔したくなかった。

「……よかった」
「ほんと、色々やった甲斐があったぜ」

すぐ後ろで聞こえた声に飛び上がる。制服姿の工藤新一が、ゆいなに向かってニヤリと笑った。

「かい、えっと…新一…」
「なあ、オレらも観に行こうぜ」

他の客がぱらぱらとゆいなたちを追い越して、絵画の前に少しずつ人だかりが出来始めている。ウメノさんの横に立つと、そっとその表情を窺い見た。彼女は涙を浮かべて、柔らかく微笑んでいた。
炎の中に、大切な人を残して去るしかなかった心の傷を思うと、その穏やかな表情がゆいなには意外だった。辛くないはずがないのに、心の傷も時が癒すというのは本当なんだろうか。彼のことを思い出して、苦しくないのだろうか。この絵のために、命を落とした人のことを。

「(……私だったら、)」

隣に立つ青年を見て、考えたくもない想像が頭をよぎった。慌ててそれを振り払い、絵画へと向き直る。分厚く塗り上げられた黄色の絵具が、力強い炎のようだ。快斗がこの絵を見て何を考えているのか、ふいに知りたくなって、口を開きかける。

「ほら、見えたわよ!」

園子の声がして、慌てて快斗を見ると、返事をするように小さく肩をすくめた。

「…またあとでな」

園子の姿が見えるのとすれ違いに、絵画に背を向ける。その後ろ姿を一瞬捉えた園子が、あっと声をあげて蘭を呼んだ。

「ゆいな、いま新一くんいなかった!?」
「え、見てない、けど…」
「えー、ごめん、見間違いだったのかな」

コナンのじとりとした視線から顔を逸らすと、ふと、床に落ちた一枚の白いカードが目に止まる。同時に気付いたコナンが、すぐに拾い上げる。裏返した途端に、幼い表情が固まった。

「蘭姉ちゃん、園子姉ちゃん!警備室に連れてって!」

白いカードの、絵柄がついた面を彼女たちに見えるように高く上げる。見覚えのあるマークに、二人ともはっと息を呑んだ。

「キッドカードだよ!もうレイクロックの中にいるんだ、怪盗キッドが!」





『14=(11人+1人)+2人
 15=(11人+1人)+2人+1人』

キッドがカードに残したその暗号を、コナンはキリストの十二使徒になぞらえて、7人のサムライたちの中に、裏切り者がいるという忠告だと読み解いた。すぐに中森が、彼らの素性を再調査をすると言ってくれて、ゆいなは内心でほっとする。
けれど、カードによってキッドが館内に居ると分かってしまったことで、客やスタッフは全員美術館から出され、出入口は厳重に封鎖されてしまった。今も7人で館内をくまなく捜索されていて、気が気ではない。

「(簡単に見つかるようなことはないと思うけど…)」

そう分かってはいても、じりじりと首元を締められるような、逃げ場のない不安が襲ってくる。チャーリーが服の内側を気にする素振りをしていたから、おそらく今も拳銃を所持しているのだろう。キッドがピンチにならないことを祈りながら、結果を待つだけの状態が苦しかった。

「ねえ、新一は、誰が裏切者か分からないの…?」
「バーロー、まだ情報が少なすぎる…」

しゃがみこみ、周りに聞こえない声量で、期待を持って問いかけると、コナンは眉を顰めた。それもそのはずだった。分かってはいるのに、焦る気持ちが抑えきれなくて、ゆいなはコナンの肩をぎゅっと掴んだ。

「…ゆいな、オメー、」

何かを言いかけた時、突如として部屋中の電気が落ちた。ひゅっと心臓が浮かび上がる感覚がして、慌てて立ち上がる。

「やだ、停電!?」
「すぐに補助電源を作動させるんじゃ!」

かろうじて光の残っている操作盤を、後藤と呼ばれたボディーガードが、素早く操作する。数秒の後に、モニターに七枚のひまわりが映し出される。薄暗い中ではあるが、どの絵も健在であることが確認され、次郎吉がほっと息を吐く。それから悔しそうに顔を顰めた。

「キッドめ、やはり館内に残っておったか」
「いや。この仕業、キッドじゃねえかもしれねえぞ。再調査で、怪しい人物が浮上した」

調査結果が映し出されたモニターから顔を上げた中森が、怪しい人物として、"東幸二"の名前を告げた。





監視カメラの向こう側で東幸二が語ったのは、ゆいなが寺井から聞いたのと同じ、空襲を受けた芦屋での話だった。寺井が贋作に偽装して海外に逃した芦屋のひまわりを、長年の捜索の末、アルルの民家の屋根裏で発見したこと。そして、ひまわりの扱いについて意見の割れた兄と揉めあった末、誤って兄を射殺してしまったこと。

「日本に憧れたヒマワリ展のことを知った俺は、学芸員として参加。おかげで、芦屋のひまわりが日本に戻ってくる瞬間を見ることができた」

東は監視カメラに背を向けて、芦屋のひまわりを見上げた。その後ろ姿が、先ほど同じように絵画に向き合っていたウメノの姿と重なる。
直感的に、違うと思った。
彼はひまわりを大切に思っている側の人物だ。傷つけることなんて、到底出来そうに見えない。
ゆいなはしゃがんで、考え込んでいるコナンに耳打ちする。

「…ねえ、今の話だと、東さんは違うんじゃ…」
「そうだな…裏切ってるとは――」
「おい!ひまわりが燃えてるぞ!」

東の叫び声に引き寄せられて、画面に視線を戻す。他の監視カメラの画角にも、次々と火災を訴える人々が映った。ちらちらと闇が揺れているのが見てとれる。

「……これ、だ」

快斗が防ごうとしていた"犯行計画"。絵を燃やして損なうなんて、なんてシンプルで恐ろしい方法。なにより、快斗が計画を防げずに実行されてしまったことが、ゆいなの恐怖を呼び起こした。キッドを見つけたという報告はないけれど、何かあったのかもしれない。

「私、ちょっと火事の状況、見てくる!」
「待って、ゆいな!」
「大丈夫、確認したらすぐエレベーターに行くから!」

回廊に降りると、両端の向日葵が勢いよく燃えていた。やはり人為的な火の上がり方だ。ゆいなは煙を吸わないようにハンカチを口に当てて、一番近い5枚目のひまわりの展示室に向かった。
嫌な胸騒ぎがしていた。
ひまわりが防火防水装置で守られて、厳重な避難システムが備えられているのは、一般人でも知っている。それでもその絵を燃やせると見越して、放たれた火。

その時、炎の向こう側に、見覚えのある紺色のブレザーが見えて、ゆいなは思わずその名前を呼んだ。

「……っ、快斗!」

蜃気楼のように、ぼんやりと揺れるその後ろ姿が、こちらを振り向いた。



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