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覚悟が足りなかった。
もし誰かにそう言われたら、ゆいなは言い返すことができない。
怪盗キッドを追いかけて、現場に行くということが、どういうことなのか。
何も知らされないなら、自ら知りに行けばいいと思ってた。これまでもそうだった。キッドの味方でいたいなんて、簡単に口にして。

「(なんにも、できないのに)」

犯人扱いされるキッドを庇うことも、拳銃を向けられた彼を助けることも、ゆいなには出来なかった。もしかしたら、彼はさっき目の前で死んでいたかもしれないのに。

立ち込める煙幕の中、マントを掴んだ手の感覚と、悲しそうに見つめ返すキッドの顔が頭から離れない。本当は何度だって思い知らされていた。自分はただ偶然、彼の秘密を知ってしまっただけで、怪盗キッドの仲間ではないということを。仲間になることを、望まれてはいないということを。


ひまわりは、壁に飾られた絵画の下から見つかった。慎重に額に収められるのを、呆然と眺めている間、コナンがずっと手を握っていてくれたことが救いだった。
暖かくて小さい手が、震えていた指先を落ち着かせてくれる。

傷や汚れの鑑定は美術館に持ち帰ってからとし、先にマスコミに向けて、ひまわり奪還の記者会見を行うらしい。キッドに盗られても、取り返すことができる。そう大きな声で胸を張る鈴木次郎吉の信頼度も、ぐっと持ち直すことだろう。
眩いライトを浴びる次郎吉たちを、少し遠くから眺めていると、コナンが深く考えながら呟いた。

「なんか出来すぎてねーか?」
「……え?」
「マスコミはキッドが呼んだみてーだし、ひまわりの隠し場所も、まるで最初から返すつもりだったみたいに…」
「………」

コナンの言うとおり、おそらくキッドはひまわりを返すつもりだったのだろう。そもそも彼の探しているものは絵画ではない。
そう分かってはいても、それを語るほどの自信がなかった。俯いて黙ったままのゆいなを見上げ、コナンが眉を顰める。

「……なあ、ゆいな。やっぱりオメーはもう、今回のことには関わらねーほうがいい」
「……新一」

コナンに袖を引かれ、膝を折って彼と同じ目線にしゃがむと、小さな両の手のひらが、ゆいなの頬を挟んだ。まっすぐな瞳が、正面からゆいなを捉える。幼くなっても変わらない、ずっと信頼してきた眼差しに、思わず涙が込み上げそうになるのをぐっと堪える。

いまここで泣いたら、新一は、今後キッドといることを許してはくれない。そんな気がした。

「大丈夫だよ」
「オメーの大丈夫を、信じられるわけねーだろ」
「…なんで」
「バーロー、どんだけ一緒にいると思ってんだよ」

コナンが眉を下げて優しく笑う。
どうしてこんなにも泣きたいのか、ゆいなは自分でもよく分からなかった。不安なのか、寂しいのか、悔しいのか。
奥歯をぎゅっと噛み締めると、頬を挟むコナンの手に力が入った。

「ほら、キッドが絡むと、いつもそんな顔ばっかだろ。インペリアルエッグの時だって、オメーがずっと真っ青な顔してたの、キッドのせいだよな?」
「………あれは…」
「危険なことからは、俺が絶対守ってやるけど…オメーが辛そうな顔してるのなんて、見たくねーんだよ…」

コナンが俯いて、声が少し小さくなる。大きな眼鏡に反射して、彼の表情は窺えなかった。

「……ありがと、新一」
「……」

ゆいなはそれ以上答えられなかった。彼の言うとおり、もうこの件には関わらないのが一番だと、本当は分かっていた。きっと、キッドもそれを望んでいる。大人しく家で、キッドの帰りを待っていればいい。きっと最後には、笑いながら帰ってきてくれる。

でも、もしも、帰ってこなかったら?

「……私、後悔したくないの」
「……ゆいな」
「新一だって、大事な人のこと、自分で守りたいって思うでしょう」
「守るって…」
「わかってる。私に彼を守ることなんてできないけど、でも、やっぱり、少しでも近くにいたい……何も知らないまま、気付いたら取り返しがつかなかったなんて、そんなのやだ…」

ぽろ、と涙が溢れて、ゆいなは慌てて目を擦った。コナンの手が頬から離れて、小さな拳を作る。

「……キッドの正体、知らなければよかったって、思うか?」

落ち着いた、静かな声だった。
最初からすべて知らなければ、何も知らないことに苦しむこともない。それは、新一が蘭に対して選んだ方法だった。
彼が、その問いでゆいなに何を望んだのかは分からなかった。でも、答えは悩むまでもない。

「確かに、キッドだって分かってから、不安なことばっかりだけど…」

暗殺者に狙われたり、飛行船で銃を持った戦闘集団と戦ったり、本当に心臓がいくつあっても足りない。彼が予告状を出す度に、いつも祈る気持ちで月を見上げている。ただの高校生として、普通のありふれた日常を考えなかったわけじゃない。でも、

「知らなければよかったなんて、思わないよ。私は、"あの人"の1番の味方でいたいから」
「……味方…」
「うん。私に協力出来ることがなくても、味方でいたい。だから全部、話して欲しいんだ」

もちろん、新一も。

今度は、ゆいながコナンの頬を両手で包んだ。眼鏡の反射で瞳は見えなかったけれど、彼がなんだか泣きそうに見えたのだ。顔を上げたコナンは、眼鏡の奥で眉を下げてため息をついたあと、頬を包むゆいなの手に、自身の小さな手を重ねた。

「バーロー、俺だって、ずっとオメーの味方だろ」
「うん、そうだね」
「だから…心配してんだよ」
「うん…」

ごめんね、と言うのはなんだか違う気がして、ゆいなは言葉を飲み込んだ。
コナンもキッドも、大切に想ってくれているから遠ざけるのだと分かっている。
でも、ゆいなだって同じように彼らのことを特別に想っていることを、分かってほしかった。

「……はあ、ほんっとオメーは頑固だな」
「………はい」
「まあ、でも、それがゆいなだし」

唐突に、コナンがゆいなの両手の甲をぎゅっとつまんだ。痛い、と声を上げて手を離すと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた彼が、両手でゆいなの髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。たまらず立ち上がって文句を言うと、はは、と幼い笑い声。
肩の力を抜いたコナンは、くるりとゆいなに背を向けて、ホテルの入り口に歩いていく。

「とにかく帰ろうぜ。次郎吉さんが送ってくれるだろ」
「あ、ごめん、新一。迎えが来てくれるみたい」
「は、迎え?」

コナンが眉を顰めて振り向くと、もうそこにはゆいなの姿はなかった。
慌てて辺りを見回したあと、コナンは額に手を当てて、浅く長く息を吐く。

「………これじゃ、誘拐だろーが」

盗んだんですよ、と気障な怪盗の声が聞こえたような気がした。




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